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結婚相談所の事件簿 〜今日も扉の向こうで、ご縁がほどける〜 第2話 第二話:高望みのループ

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結婚相談所の事件簿 〜今日も扉の向こうで、ご縁がほどける〜 第2話  第二話:高望みのループ

※この物語は、結婚相談所「LuckBridalClub」を営む武田憲暁さん・眞由美さんご夫妻のご協力のもと、ご本人の了承を得て書いたフィクションです。
実名で登場するのは、ご夫妻のお名前と相談所の名称だけです。そのほかの登場人物、会員の方、施設、団体、出来事、会話は、すべて作者の創作です。実在の人物や会員の方とは関係ありません。
ご夫妻の言動や来歴にも、物語上の創作を含みます。

第二話:高望みのループ

選べることと、選ばれることは別のことだ。

選ぶという行為には、不思議な中毒性がある。
通販サイトで同じ種類の商品を三つ見比べる。口コミを読み、星の数を数え、一度カートに入れて、また外す。そのうち、買うことよりも比べることのほうが、楽しくなってくる。選択肢が多いほど満足するとは限らない、という話はよく聞く。けれど、頭でわかっていても、画面をスクロールする指は、止まらない。
人を選ぶ場合はもっと厄介だ。商品と違って、相手にもこちらを選ぶ権利がある。それなのに、画面の中の人たちが、商品のように見えてしまう瞬間が、ある。
これはそういう瞬間にはまりかけた人の話だ。

ひなたさんが初めて店に来たのは、秋の相談会の日だった。
二十代の半ば。小柄で声が大きい。いや、正確に言えば、声が通る。聞けば、保育士をしているという。子どもたちに声を届けるうちにそうなったらしい。入ってくるなり、「こんにちはー!」と店中に響き渡り、パソコンに向かっていたお客さんが、全員、顔を上げた。
「あっ、すみません、癖で」
彼女は肩をすくめて笑った。その笑顔で店の空気が、ふっと明るくなった。
髪はいつも低い位置で束ねていて、手首にはヘアゴムが二つ。バッグの口からは色とりどりの折り紙が、はみ出している。
「面談までまだ時間があるので、コーヒーをいただいてもいいですか。あ、お砂糖多めで。子どもたちと同じで甘党なんです」
「かしこまりました」
私が砂糖を二つ添えて出すと、彼女はカップを両手で持ち上げ、目を細めた。それから、バッグの口から、ひょい、と緑色の折り紙を取り出した。
「お礼です」
膝の上でくるくると指が動く。ものの十秒で小さなカエルができあがった。お尻を押すと、ぴょん、と跳ねる。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして。園で毎日作ってるんで」
カエルはいまもレジの脇の棚の上に座っている。

面談の中身は私にはわからない。ただ、そのあと憲暁さんが、いつものようにカウンターで一息つきながら、ぼかして話してくれた。
「素直でいいお嬢さんですねえ。お相手への条件もほとんどないそうですよ。年収も身長も気にしません、と」
「それは珍しいですね」
「ええ。ただ、ひとつだけ。お仕事を変えたくないそうで。今、担当している子たちを卒園まで見送りたい、と。ですから、お相手は今の生活圏の方でと」
「なるほど」
「ひなたちゃん、と呼んでもいいですか、と聞いたら、『子どもたちにはひなた先生と呼ばれてるので、ちゃんは新鮮です!』と」
憲暁さんはそう言って、うれしそうにコーヒーを啜った。
条件がほとんどない。気になるのは住む場所だけ。若くて、感じがよくて、素直。これでうまくいかないはずがない、と私は思った。たぶん、誰が聞いてもそう思っただろう。
その予想は半分、当たった。

ひなたさんは入会して一週間で申し込みを受け取った。
申し込み、というのはお相手の側から「お会いしたい」と希望が届くことだ。ひなたさんの場合、それが、一晩のうちに三件、四件と届いた。
「谷口さん、見てください。また来ちゃいました」
カウンターでスマートフォンの画面を私に向ける。画面の中の男性たちが、ずらりと並んでいる。スーツ姿、スポーツウェア姿、犬を抱いた姿。
「こんなに来るものなんですか」
「私もびっくりしてます。こんなにもらえるなんて」
照れながらもうれしそうだった。当然だ。人から「会いたい」と言ってもらえて、うれしくない人はいない。
ひなたさんはそのなかから二人を選んで、お会いした。二人とも感じのいい人でそのまま仮交際に進んだ。仮交際というのは複数の人と並行して、じっくりお付き合いを試す期間のことだ。そのうちの一人とは、もう一歩進んで、真剣交際に入った。
「ここまで順調ですね」
私が言うと、ひなたさんは胸を張った。
「ですよね! 私、この調子ですぐ決まっちゃうかも」
バッグから、黄色い折り紙を取り出す。くるくる。ぴょん。今度は鶴だった。「はい、おめでとうの前祝い」と言って、カウンターに置いた。
棚の上にカエルと鶴が、並んだ。

つまずいたのは真剣交際に入って、二回目のデートのあとだった。
「終わりにしてもらいました」
カウンターでひなたさんは、いつもの元気な声で言った。元気すぎて、一瞬、何のことかわからなかった。
「終わり、というのは」
「真剣交際です。お断りしました。なんか、合わない気がして」
「どんなところが、でしょうか」
「うーん……」
ひなたさんはストローをくわえて、天井を見た。
「わかんないんですよね。いい人なんですよ。優しいし、ちゃんと話も聞いてくれるし。ただ、なんか、……なんか、です」
「なんか」
「はい。なんか、です」
私は頷くしかなかった。「なんか」と言われて、それ以上の質問が、見つからなかったのだ。
彼女は気にした様子もなく、バッグから折り紙を出した。今日の色はピンク。形はねこだった。
「次、行きます!」
棚の上の仲間が、一つ増えた。

そこから、ひなたさんは少し変わった。
申し込みは相変わらず多い。毎日のように数件、届く。ひなたさんはカウンターに座ると、スマートフォンをスクロールしながら、ひとりごとのように品定めを始めるようになった。
「この人、趣味がゴルフ。無理です」
「無理、ですか」
「だって、休みの日、ずっとゴルフでしょう? 私、日曜は園の行事が入ることもあるし」
「なるほど」
「この人は写真の笑顔が硬い。この人はプロフィールの文章が長い。長いの読むの疲れる……この人は靴が好きって書いてある。靴にお金かける人は、ちょっと」
「ちょっと」
「ちょっと、です。あ、この人はいいかも。……あ、でも住んでるところ、遠いな。却下」
「谷口さん、この人どう思います?」
「私に聞かれても……」
「ですよね。でも写真だけだと、わからなくて。この人、猫を抱いてるんですけど、猫アレルギーの人だったらどうしよう。……あ、私が、アレルギーじゃないから、いいのか。でも猫の毛が、私の制服についたら……」
「ひなたさん、まだ、お会いしてもいませんよ」
「あ、そうでした」
けらけらと笑う。笑いながら、指は止まらない。
そこへ憲暁さんが、通りがかった。
「ひなたちゃん、画面の中の方々はみなさん、一人ひとり、人生を背負っていらっしゃいますからねえ」
「あっ、憲暁さん! これ、すごいんですよ。見てください、今日の分」
「ほう、すごいですねえ」
憲暁さんは画面を感心したように眺めた。そして、何も言わず、ふらりと自分の席に戻っていった。
指が、すいすいと動く。画面の中の人たちが、右へ左へ流れていく。私は通販サイトを見比べている自分の姿を思い出していた。
断る理由は毎回、違う。ゴルフ、笑顔、文章、靴、距離。けれど、どれも会う前にわかることばかりだ。会ってみて、こうだった、という話はほとんど出てこない。
お見合いまで進んだ人は、何人もいた。けれど、会うたびに「なんか違う」「もう少し、こう、ビビッとくる人が」と言って、終わっていく。
そのたびに棚の上に折り紙が、増えた。カエル、鶴、ねこ、うさぎ、ペンギン、ぞう、きりん。いつの間にか、棚は折り紙の動物園のようになっていた。
浜野さんが、その棚を見上げて、腕を組んだ。
「谷口さん、この動物園、そろそろ入場料を取れる規模ですよ」
「取りません」
「せめて、名前をつけましょう。このカエルはカエルノスケ」
「そのカエルは最初のお礼です」
「じゃあ、このペンギンは」
「ペンギンは五人目のお見合いのあとです」
浜野さんが、ぎょっとして、私を見た。
「……谷口さん、全部、覚えてるんですか」
覚えている。覚えてしまうのだ。数えるのは私の癖でもある。

あるとき、私は気づいた。
棚の上の折り紙は最初のカエルをのぞいて、十七個になっていた。
十七人。ひなたさんが、この半年でお見合いをして、断ってきた人の数だ。お見合いのたびに彼女は折り紙を一つ折る。それが、いつの間にか、そのまま記録になっていた。
数えながら、私はふと、胸の奥にちくりとしたものを感じた。
私にも似たところがある。
私のタブレットには、新しい事業の案が、いくつも並んでいる。A案、B案、C案。最初はどれもぞくぞくするほど面白い。ところが、しばらくすると、別の案が浮かぶ。そちらのほうが、少し良く見える。だから、前の案には手をつけない。そのうちにまた、もっと良い案が浮かぶ。
「もっと良いものが、あるはずだ」
その考えは悪いものではない。けれど、いつまでも「もっと」を探し続けて、目の前の一つに手を触れない。それが、私の癖だった。
ひなたさんの「なんか、違う」と、私の「もっと良い案があるはずだ」はきっと、同じ根を持っている。
けれど、私はそれを口にしなかった。
自分のことを棚に上げて、誰かに言える話ではない。それに言ったところで聞こえるとは限らない。

そんなある日、私は眞由美さんに思い切って尋ねた。
「ひなたさんのこと、あのままでよいのでしょうか」
眞由美さんは窓際の席でいつものようにぬるめのコーヒーを両手で包んでいた。
「あの子は今、楽しいんですよ」
「楽しい」
「ええ。たくさんの人から声がかかって、会って、お話しして。それが、楽しい。楽しいうちは人の言葉は、耳に入りません」
「では」
「つまずくまで待ちます」
眞由美さんはさらりと言った。そのあと、小さく付け足した。
「ただ、そのときのために紙とペンを用意してあります」
「紙と、ペン」
「ええ。私が、答えを言ってもあの子の答えには、なりませんから」
眞由美さんは微笑んで、湯気を吹いた。
その日が、思っていたよりも早く来ることを私は、まだ知らなかった。

その日は相談会の日だった。
ひなたさんの面談が、いつもより、長かった。
私はカウンターの中から、個室の扉をちらちらと見ていた。中でどんな話がされているのか。わからない。ただ、一度、扉の隙間から、紙をめくる音と、ペンを走らせる音が聞こえた。
一時間ほどして、扉が開いた。
出てきたひなたさんは、いつもの明るい顔ではなかった。かといって、暗い顔でもない。何かをぐるぐると考えている顔だった。手には一枚の紙を持っている。
「谷口さん、コーヒー、いただいてもいいですか」
「はい。お砂糖は」
「ひとつで」
ひとつ。いつもはふたつだ。
私が出すと、ひなたさんは紙をカウンターの上に広げた。
「これ、見てください」
紙には十七行の文字が、並んでいた。
左の列はひなたさんの字だろう。丸みのある、大きな字。「ゴルフが趣味」「笑顔が硬い」「プロフィールが長い」「靴が好き」……これまでに断った理由が、びっしりと書き出されている。
右の列は細くて、きれいな字。眞由美さんの字だった。
「それは会う前にわかることでしたか」
「それはお相手の方が、悪いことでしたか」
「それはあなたが、ずっと大切にしたいことでしたか」
右の列には毎行、同じような問いかけが、小さく書き添えてあった。答えは書いていない。ところどころ、ひなたさんが、ペンで線を引いたり、丸をつけたり、バツをつけたりしている。
「眞由美さんが、ひとつずつ、聞いてくれたんです」
ひなたさんは紙を見つめたまま、言った。
「そしたら、私、……ほとんど、答えられなかったんです」
「答えられなかった」
「十七個のうち、会ってから、わかったことは四つだけでした。残りの十三個はプロフィールを見ただけで断ってたんです。会ってもいない人を」
ひなたさんはストローでコーヒーをかき混ぜた。
「それで眞由美さんが、最後に聞いたんです。『ひなたさんはどんな人と、結婚したいですか』って」
「それで?」
「……答えられなかったんです。結婚したいって、ずっと思っていたのに。ひとつも出てこなくて」
声が、少し小さくなった。
私は黙って、聞いていた。

そのとき、憲暁さんが、個室から出てきた。
いつものすっとぼけた顔だった。ゆったりと歩いて、ひなたさんの隣の席によいしょ、と腰を下ろす。
「谷口ちゃん、私にもコーヒーをいただけますか」
「はい」
私がカップを置くと、憲暁さんは湯気を見つめながら、独り言のように言った。
「いやあ、申し込みが多いのと、選ばれているのは別ですねえ」
ひなたさんが、顔を上げた。
「……どういう、ことですか」
「ああ、いえ、独り言です。うちのハンコ屋でもね、注文が多いのと、大事にされているのは、別でして」
「はあ」
「年賀状の印刷が、山ほど来る季節でも、そのうち何枚が、ちゃんと読まれているのやら。数が多いのはありがたいことですけどね。それで自分が偉くなったわけでは、ないんですよ」
憲暁さんはコーヒーを一口啜った。
「……なんの話か、よくわかりません」
ひなたさんが、正直に言った。
「そうですか。じゃあ、聞かなかったことにしてください」
憲暁さんはにこにこ笑って、窓の外を見た。
ひなたさんはしばらく、黙っていた。それから、ゆっくりと、紙を見下ろした。
「……申し込みが、来るから」
ぽつり、とつぶやく。
「申し込みが、たくさん来るから。私、まだまだ選べるって、思ってました。もっと良い人が、絶対、いるって。ひとり断ってもまた、新しい人が来るから」
「ええ」
「でもそれって、……私が、選ばれたわけじゃ、ないですよね。プロフィールを見て、『会ってみたい』って、言ってもらえただけで」
「そうですねえ」
「会ってみたら、私のこと、ちゃんと見てくれてたのに。私はそれを並べて、比べて、……」
ひなたさんは言葉を探した。
「私、人を比べてたんですね。品定めみたいに」
誰も何も言わなかった。眞由美さんが、そっと、個室の扉の陰から、顔をのぞかせていた。静かに頷いている。
ひなたさんは顔を上げた。
目が、少し赤かった。けれど、その目はあの元気な、まっすぐな目に戻っていた。
「憲暁さん」
「はい」
「私、ひどい人でした」
「いいえ」
憲暁さんは首を横に振った。
「若くて、素直で選ばれ続けてきた方が、そうなるのは自然なことですよ。気づけたのはすごいことです」
「でも十七人も」
「十七人に会えたんですよ。会えた、ということは十七人、ひなたちゃんと会ってもいいと思った人がいた、ということです。それはひなたちゃんの財産です」
「財産……」
「ええ。その財産をこれから、どう使うか。それはひなたちゃんが、決めることですねえ」
ひなたさんはしばらく、黙った。それから、紙をぎゅっと握りしめた。
「谷口さん、折り紙、あります?」
「はい?」
「あ、持ってるか」
自分のバッグから、白い折り紙を取り出した。

それから、ひなたさんは変わった。
最初の一週間は反動が、すごかった。
「谷口さん、私、今週、四人に会いました!」
「四人」
「プロフィールで断らないって決めたので。会ってみようって」
手帳が、びっしりと、予定で埋まっている。月曜日、火曜日、木曜日、土曜日。喫茶店の名前が、ずらりと並んでいた。
「それは少し、詰め込みすぎでは」
「やっぱり、そう思います? 私も昨日、お相手の名前を間違えそうになって」
そこへ憲暁さんが、にこにこしながら、やってきた。
「ひなたちゃん、ひとつずつ、ですよ」
「はいっ」
「一人に会うごとにちゃんと、思い出す時間を取りましょうねえ。その人と、何を話して、どんな気持ちになったか」
「はいっ」
「それが、『数を打つ』と、『ご縁を探す』の違いですからねえ」
ひなたさんは手帳をぱたりと閉じた。それから、しばらく、考えて、会う人数を週に一人か二人に減らした。
まず、申し込みへの返事を変えた。プロフィールを読んで、断るのをやめた。会ってみたいと思ったら、会ってみる。それだけを決め事にした。
もう一つ。眞由美さんと一緒に「これだけは譲れない」を三つだけ、決めた。意外にも「ゴルフ」も「靴」も入っていなかった。
「ひとつめは私の仕事を尊重してくれる人。ふたつめは子どもが、好きな人。みっつめは……一緒にいて、笑える人」
ひなたさんは指を折りながら、数えた。
「それだけ、でした」
「たったそれだけ、ですか」
「たったそれだけ、でした。私、ずっと、なんにも条件がないって言ってたけど、本当は条件がありすぎたんです。でもその中身はほとんど、どうでもいいことばかりでした」
しばらくして、彼女はあるお見合いに臨んだ。
相手は実は前から何度も、申し込みを送ってくれていた人だった。ひなたさんは毎回、スルーしていた。理由はプロフィール写真で大きな魚を持って、満面の笑みを浮かべていたからだ。
「魚の人、無理って、思ってたんです。何だろう、あの得意げな顔」
「それは……」
「でも会ってみたら、……すごく、いい人でした。釣った魚、その日のうちに近所の人に配っちゃうんですって」
ひなたさんは声を立てて笑った。
「三回目のデートは公園だったんです。そしたら、お弁当を作ってきてくれて」
「お弁当」
「魚のから揚げでした」
「魚の」
「はい。自分で釣って、自分でさばいたって。大人の男の人が、真剣な顔で骨を取って、渡してくるんですよ。園の子たちが『先生、これなあに?』って聞いてくるのと、同じ顔で」
想像して、つい頬がゆるんだ。
「食べたら、おいしくて。そしたら、『よかった。昨日、三回練習したんです』って」
「三回」
「三回です。魚の人、私のために練習してたんですよ」
ひなたさんは声を立てて笑った。
「そのあと、公園のブランコに二人で並んで乗りました。大人二人で。あの人、ブランコがすごく下手で。漕ぎ出しがぎこちなくて、私、笑いすぎて落ちそうになりました」
「それは危ないですね」
「でもちゃんと聞いてくれたんです。園の子たちの話。誰が何を作ったとか、どの子が泣いたとか。『大変そうだけど、いい仕事ですね』って」
そこでひなたさんは、はっとした顔になった。指を折って、数える。
「仕事を大事にしてくれて。子どもの話を楽しそうに聞いてくれて。一緒にいて、笑える。……私の三つ、全部、あの人、持ってました」
「それはよかった」
「写真の笑顔だけで断ってた人なんですけどね」
ひなたさんはストローを噛んで、照れた。
「まだ、全然、決まったわけじゃないですけど」
その顔は初めて店に来た日のあの明るい笑顔だった。
そこへ憲暁さんが、ふらりと近づいてきた。
「魚の人ですか。いい方ですねえ」
「憲暁さん、知ってたんですか」
「いえいえ。私は何も。ただ、あの写真の魚は大きかったですねえ」
「それだけですか」
「それだけです」
憲暁さんはすっとぼけた顔で天井を見上げた。
この人は本当は最初から、全部、見えていたのかもしれない。けれど、それはあくまで私の想像だ。確かめる術はない。確かなのは憲暁さんが、「魚の人はやめておきなさい」とは一度も言わなかった、ということだけだ。
ひなたさんはバッグに手を入れた。
「あの谷口さん」
「はい」
「これ、いつものお礼です」
差し出されたのは折り紙の船だった。白くて、帆がぴんと張っている。
「それから、もうひとつ」
もうひとつ、白い船を取り出した。同じ形のものが、二つ。
「こっちはあの人に渡そうと思って」
彼女ははにかんだ。
「今までの動物たちは、お見合いの数を数えるために折ってたんです。でもこの船は数えるためじゃなくて、渡すために折りました」
棚の上に白い船が、ちょこんと座った。十七匹の動物たちの隣で。

その夜、私は店を閉めたあと、カウンターの前でタブレットを開いた。
A案。B案。C案。D案。E案。F案。G案。
七つの案が、画面にずらりと並んでいる。ひとつずつ、見直す。どれも悪くない。いや、どれも面白い。けれど、私が、そのうちのひとつにでも、手を伸ばしたことが、あっただろうか。
「ひとつ、決めた」
ひなたさんはそう言って、笑っていた。
私はまだ、決められない。もっと良い案が、あるかもしれない、と思ってしまう。
スタイラスペンを手に取って、画面の上にかざした。そのまま、しばらく、止まっていた。
棚の上で白い船が、帆を張っている。十七匹の動物たちは、十七人の人たちの数だ。そして、その隣の一艘はその十七人のあとで初めて、自分から手を伸ばした一人のしるしだ。
私はペンを置いた。まだ、今日ではない。けれど、いつか、私の七つの案の隣にも、一艘、置けるだろうか。
「もっと良い人」の「もっと」は何と比べていますか。

この小説は note ラt九ブライダルで読むことが出来ます。
https://note.com/noriaki_takeda/m/m3b95134db447