婚活カウンセラーブログ
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1「誠実なのに真剣交際に進めない男性が陥りやすい“3つの落とし穴”と突破法」
「真剣交際に進めない」男性に共通するパターン お見合いも組める、仮交際にもつながる。でも2〜3回デートしたあたりで、相手の気持ちが離れていく…。自分としては“誠実に対応しているだけ”なのに、「温度差を感じた」「ドキドキしなかった」と言われて終わってしまう。 CoCo Agentは心理カウンセラーが運営する柏~我孫子の結婚相談所です ▶【CoCo Agent婚活サロン公式HP】又は【公式LINE】から無料面談予約受付中!公式ホームページ:https://coco-agent.amebaownd.com/ 公式LINE:@407pmqzh
CoCo Agent 婚活サロン
2025/10/31
2ご入籍のご報告
11月10日、元会員様より「無事に入籍しました」との嬉しいご報告をいただきました💐心よりお祝い申し上げます。本当におめでとうございます。 おふたりで築かれるこれからの日々が、あたたかく、穏やかで、たくさんの笑顔に満ちたものとなりますよう心より願っております✨ 千葉結婚相談所 萌(めばえ)は、ご成婚・ご婚約後もサポートが続く相談所です。不安なとき、迷ったとき、そして嬉しいご報告など、いつでもお気軽にご連絡ください。 このように、良いご縁がまたひとつ、またひとつとつながっていくことが、私たちの何よりの喜びです。 現在、無料婚活相談・結婚相談を開催しております。お気軽にお問い合わせください。 📞 TEL:043-400-8956千葉結婚相談所 萌(めばえ)
千葉結婚相談所 萌(めばえ)
2025/11/13
3婚活で疲れない人の共通点 〜力を抜いて、出会いを楽しむコツ〜
こんにちは。 ラポール結婚相談所のもとはらさよこです。 「思うようにいかない」婚活に疲れていませんか? お見合いや婚活パーティーに参加しても、思うように交際が発展しない。そんな日が続くと、「もう疲れた…」と感じてしまう方も多いのではないでしょうか。 実際、婚活の現場では、最初は意欲的だったのに、思うような結果が出ずに少しずつ元気を失っていく方がいらっしゃいます。しかし一方で、同じように活動しているのに、いつも明るく前向きに婚活を続けている方もいます。疲れ知らずでお見合いやパーティーに積極的に参加し、笑顔で新しい出会いを楽しんでいる人たちです。
ラポール結婚相談所
2025/11/13
4【お見合い盛り上がったのに、次に繋がらなかった…なぜ?】~CoCo Agent婚活サロン
仮交際へ進めず困っている方へ。 結婚相談所のルールって沢山あって、 お見合いも慎重に会話してるつもりだけど、もう何がNGで何なら良いの!? って悲痛な叫びが聞こえてきます…。 聞いてはいけない質問と、信頼を生む会話のコツ これを知っておけば簡単! CoCo Agentは心理カウンセラーが運営する柏~我孫子の結婚相談所です ▶【CoCo Agent婚活サロン公式HP】又は【公式LINE】から無料面談予約受付中!公式ホームページ:https://coco-agent.amebaownd.com/ 公式LINE:@407pmqzh
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2025/11/04
5「待っていては何も生まれない」〜加藤諦三教授の行動主義的自己実現への旅 https://www.cherry-piano.com
第一章:"待つ"という名の無意識的自己放棄 「待っていれば、いつかチャンスが巡ってくる」。そう信じている人は多い。しかし加藤諦三は、待つことの本質に鋭く切り込む。彼は著書『行動してみることで人生は開ける』の中で、「人間は考えているだけでは変わらない。ただ一歩行動することで人生は動き出す」と断言する(加藤, 1999)。 行動できない心理の背景には、「自分には価値がない」「どうせやっても無駄」といった無意識的な自己否定がある。これは単なる怠惰ではなく、深層心理の問題である。人は幼少期の経験から「やってもうまくいかない」という刷り込みを受け、それが行動を阻害する「待つことの正当化」につながる。 加藤は、待っている人は他人任せの人生を生きていると語る。自分の手で運命を切り開こうとする姿勢こそが、真の自由と幸福の第一歩なのだ。 第二章:自己実現の鍵は“行動する自己” 自己実現とは、単なる成功や承認の獲得ではない。加藤は、マズローの理論を引用しつつ、「自己実現する人は、自分の可能性や創造性を活かし、自分を知ろうとする存在」であると述べる(加藤, 2021)。 このような人々に共通するのは、自己探求への情熱と、恐怖に打ち勝つ勇気だ。彼らは「完璧な準備が整うのを待つ」のではなく、「とりあえずやってみる」という姿勢を持つ。行動を起こすことでのみ、自分の限界が見え、それを超える道筋も現れる。 この点で、加藤は“行動こそが自己理解の入口”と説く。思考だけでは到達できない領域に、実践は人を導くのだ。 第三章:エピソード①:「やっても無駄」の殻を破った青年 A君(仮名)は、大学生時代に自信を失っていた。就職活動での連続不採用に打ちひしがれ、部屋に閉じこもる日々。そんなある日、彼は加藤諦三のラジオ番組『テレフォン人生相談』を偶然耳にする。「今のまま何もしなければ、今のままの人生が続くだけです」。その一言に打たれ、彼は自分の趣味だった動画制作を始める。 最初は視聴者も少なく、結果も出なかったが、続けるうちに再生数が伸び、ある映像制作会社の目に留まる。A君はそこでインターンとして働き始め、最終的に内定を得た。 彼は後にこう語った。「行動した瞬間、自分を少しだけ信じられた」。加藤の教えが、彼の人生を静かに変えていった。 第四章:“安心”の幻想と「他人からどう思われるか」の罠 「安心したい」「人に嫌われたくない」という感情は、私たちを“無行動”に追いやる大きな要因だ。加藤は『安心感』でこう述べる。「個別化されていない自己は、他人の機嫌に依存し、すぐに不安定になる」(加藤, 1994)。 つまり、真の安心感とは他人の反応に左右されない内面から生まれる。加藤は、「他人の顔色をうかがう人生」から脱却しない限り、本当の自由や自己実現には到達できないと強調する。行動とは、他人の期待に従うことではなく、自分の意思で人生の舵を取ることである。 第五章:エピソード②:「いい顔」を捨てて新たな自分に出会った女性 Bさん(仮名)は、周囲の期待に応え続ける“いい人”だった。家族にも職場にも「波風立てたくない」と、自分の意見を飲み込む日々。しかし彼女は、加藤の著書『だれにでも「いい顔」をしてしまう人』に出会い、自分の行動が「嫌われたくない」という恐怖から来ていたことに気づく(加藤, 2007)。 それから彼女は、小さな反抗から始めた。夫に対して「今日は休みたい」と言う、上司に「それは違うと思います」と言う。その度に恐怖はあったが、同時に内面の静かな自信も育まれていった。 やがて彼女は、自分の人生に主体性を持ち、他者と対等に接する“対話”の中に安心を見出すようになる。「嫌われても私は私である」。これこそが、行動による真の解放なのだ。 第六章:行動できない人の心の深層——幼少期の愛情飢餓 加藤は著書『「うつ」になりやすい人』の中で、行動を阻む根本的な原因として「満たされなかった幼児的願望」を挙げている(加藤, 2008)。幼少期に愛情や承認を得られなかった人間は、大人になっても無意識に「どうせ自分は認められない」と感じ、行動を控える。 このような内的構造は、やがて「他人の評価を過度に気にする態度」や「安全圏から出ようとしない傾向」となって現れる。待っていても何も変わらないと頭では理解していても、心が動かないのは、この愛着の傷によるものだ。 行動できるようになるためには、まず自分の過去と向き合い、それを癒やす必要がある。加藤は、「心の中にある子どもを抱きしめるように、自分を理解する」ことが変化の出発点になると説く。 第七章:「まず、できることからやってみる」——行動の哲学 加藤は繰り返し「まず、できることからやってみる」ことの重要性を説いている。『ブレない心のつくり方』では、「考えすぎて動けない人は、自分に過度な期待をしている」とし、もっと小さな行動を積み重ねるべきだと述べている(加藤, 2023)。 例えば、「誰かにありがとうと言う」「今日の気持ちを紙に書く」「駅まで遠回りして歩く」といった日常の小さな実践が、心のしなやかさを育て、行動の筋肉を鍛える。 行動することは、特別な才能ではない。それは習慣であり、自分との対話の積み重ねでもある。加藤は「行動を通してしか、心の深層は変えられない」と語っている。 第八章:他者依存からの脱却 『不安をしずめる心理学』において、加藤は「人が『誰かがなんとかしてくれる』と思っている限り、自分の人生を生きているとは言えない」と述べる(加藤, 2022)。 これは親への依存、配偶者への依存、あるいは職場や社会制度への依存として現れる。行動を他者に委ねることで、一見安定しているように見えても、それは「外的コントロール」に支配された不自由な生き方である。 自己決定を取り戻すためには、「自分の思いに耳を傾け、自分の言葉で語り、自分の足で歩く」覚悟が必要だ。加藤は「他者依存からの脱却が、真の自立であり、行動の根拠となる」と結論づけている。 第九章:「選択する勇気」が生む人生の転機 加藤は「人生とは、選択の連続である」と語る。待っている姿勢は、裏を返せば「選択を他人に委ねている」状態である。著書『心の免疫力』でも、「選択する勇気が人生の主導権を握る第一歩である」と述べられている(加藤, 2021)。 選ぶという行為は、自分の人生に責任を持つことでもある。「楽そうに見える道」を選ぶのではなく、「今の自分に必要な道」を選び取る。そこに痛みや葛藤があっても、それが結果的に自己成長へとつながっていく。 選択から逃げず、むしろ小さな選択から始める。今日、何をするか。誰と会うか。どう過ごすか。それらの積み重ねが、自分の人生を形づくっていくのだ。 第十章:エピソード③:「選び直した」シニア世代の挑戦 Cさん(仮名)は定年退職後、空虚な日々を送っていた。「年齢的に、もう何もできない」と感じていたある日、書店で加藤諦三の著書『行動してみることで人生は開ける』に出会う。その中の「人生は何歳からでも再スタートできる」という言葉に衝撃を受け、彼は資格取得に挑戦。 周囲には笑われたが、Cさんは学習塾の講師として再就職。教えることの喜びを知り、「これまでの人生で最も生きている実感がある」と語った。 彼のように、「もう遅い」と思い込んでいた人が、自らの手で人生を“選び直す”ことで、遅咲きの花を咲かせることもある。それはまさに、加藤が説く“行動の価値”を体現した姿であった。 第十一章:行動によって得られる“自己信頼”の力 加藤は「行動を重ねることでしか、自己信頼は築かれない」と断言する。頭の中でどれだけシミュレーションをしても、実際にやってみなければ何も変わらない。行動には成功だけでなく失敗も含まれるが、その経験が「私はできる」という感覚を育てるのだ。 この“自己信頼”こそが、未来への不安を乗り越え、さらなる行動を可能にする源である。特に、初めの一歩が小さければ小さいほど、成功体験として定着しやすいと加藤は述べている。 自己信頼とは、理屈ではなく「経験を通して得る感覚」なのである。 第十二章:行動の連鎖が生む“生きがい”の構築 最後に、加藤は「生きがいとは、突き詰めれば“行動の結果としての意味づけ”である」と説く。誰かの役に立つ、感謝される、評価される……それらはすべて、行動の先にしか存在しない。 待っているだけでは、生きがいは決して見えてこない。むしろ、小さくてもいいから動いてみることで、人生が有機的につながり、「これが私の生きる理由なのだ」と実感できるようになる。 つまり、“生きがい”は探すものではなく、「行動の中で育つもの」なのだ。 結語:一歩踏み出す勇気が、人生を変える 加藤諦三の教えを貫く主軸は、「人間の尊厳は、自ら選び、自ら動くことに宿る」という信念である。 「待っていては何も生まれない」——この言葉は、私たちに“いま、この瞬間”の選択と行動の重要性を突きつけている。変化の起点は、いつも目の前にある。そして、たった一歩の行動が、長年閉ざされていた心の扉を開くこともある。その行動が小さく見えても、あなたの未来にとっては決定的な一歩となるかもしれないのだ。 さあ、あなたも「待つ人」から「動く人」へ、人生を踏み出してみてはどうだろうか。
ショパン・マリアージュ
2025/10/26
6婚活サポート充実なのに、この料金‼ ライトコース新設✨
こんにちは。福岡・博多・熊本の結婚相談所「マリプラ」の浜田です💁♀️ 「結婚相談所に興味はあるけれど、婚活料金が気になって一歩が出ない」「いきなり高いコースより、まずは無理なく始めたい」 そんなお声にお応えして、新しく“ライトコース”をご用意しました。
マリプラ福岡 熊本
2025/11/16
7【お見合いレポート】朝の穏やかなティータイム
本日、朝10:30から30代同士の会員さまのお見合いがありました。 女性は初めてのお見合いということで、慣れない場面や緊張を感じるだろうと思い、最初の自己紹介だけ私も同席しました。その後はおふたりにお任せしました。 お店の窓から差し込む朝の光の中、二人はパンケーキを楽しみながら、ゆったりと会話をされている様子を遠目で見守りました。笑顔や自然なやり取りが見える穏やかな時間に、思わずこちらも温かい気持ちになりました。 ◆ 今日のワンポイント 男性がドリンクだけでなくパンケーキもおすすめしてくださったことが好印象でした お互いにリラックスして過ごすことで、自然な雰囲気が生まれました こうした小さな時間の積み重ねが、出会いの大切な一歩になります。今日も素敵な時間が流れるお見合いとなりました。 🌸結婚サポート茉莉花🌸
結婚サポート茉莉花
2025/11/16
8静けさの中で整える時間──“止まっているようで、運が動いている瞬間” 🌸
秋の深まりとともに、街の空気が少しずつ澄んでいく季節になりました。 M’sブライダルジャパンにも、「焦りを感じながらも、一歩が踏み出せない」というご相談が増えています。 多くの方が、「動かなければ出会えない」「積極的でいなければ、縁は遠のく」と感じてしまいます。 しかし、長年このお仕事に携わっていると、実は“静けさ”の中にこそ、ご縁を引き寄せるエネルギーが満ちていることを実感します。 ■ ご縁は、焦るほど遠ざかる 婚活をしていると、つい「このままでいいのだろうか」と焦りが生まれます。 お見合いが続かない、交際が進まない、思うような出会いがない。 そんな時こそ、心の中に「焦り」という波が立ち、目の前のチャンスを曇らせてしまうことがあります。 ご縁というのは、まるで池に映る月のようなもの。 水面が静かであればあるほど、月は美しく映ります。 けれど、水面が波立つと、その光はぼやけてしまう。 焦りを手放すということは、心を静め、運氣を整えること。 不思議なことに、そうした“静の時間”のあとには、自然と動きが生まれます。 ■ “動かない時間”も、運が動いている時間 たとえば、当結婚相談所 で真剣交際に進まれた方々を見ていると、みなさん共通して“整える時間”を大切にされています。 一見、何も起こっていないように見える時期。 でも実は、ご縁の準備は静かに進んでいるのです。 「お見合いが決まらない」時期に、自分を見つめ直した方。 「次のご縁を待っている」時間に、心を整える習慣を持った方。 そうした方々が、ふとしたきっかけで“理想のパートナー”と出会っていらっしゃいます。 運は、外の世界で起きているように見えて、実は内側で育つもの。 静かに整える時間こそが、見えない運氣を大きく動かしている瞬間なのです。 ■ 心を整える3つの習慣 ① 朝の5分間、“深呼吸だけの時間”をつくる 呼吸が浅くなると、思考も浅くなります。 朝にゆっくり深呼吸をするだけで、焦りのエネルギーが自然と静まります。 ② スマートフォンから離れる時間をつくる 人の情報に心を持っていかれると、自分の軸がぶれてしまいます。 “他人の幸せ”を見る時間を減らし、“自分の心”を整える時間を増やしてみましょう。 ③ 「ありがとう」を口に出す 感謝の言葉は、運を流すスイッチです。 小さな感謝を積み重ねることで、ご縁が自然と引き寄せられます。 ■ M’sブライダルで感じる、“整える人”の共通点 25年のサポート実績を通じて感じるのは、 ご縁を引き寄せる人ほど「結果を急がない」という共通点を持っていることです。 もちろん行動は大切です。 しかし、行動には“静の準備”が欠かせません。 焦ってお申込みを重ねるよりも、 心が整った状態で出会うほうが、不思議と理想のお相手との“波長”が合うのです。 ■ 秋から冬へ──心を整える季節 今はまさに、静けさと向き合うのにぴったりの季節です。 紅葉を眺めながらカフェで過ごす時間。 夜空の月を見上げて深呼吸するひととき。 そうした“何もしていないように見える時間”が、実はご縁の準備を整える時間なのです。 どうか焦らず、今日も“自分を整える時間”を大切にしてみてください。 その静けさの中で、運は静かに、でも確実に動いています。 ✨ M’sブライダルジャパンインターナショナル ✨ 東京・丸の内/日本橋マンダリンオリエンタル東京・パレスホテル東京面談実施中 東京で結婚相談所をお探しの方には、【M’sブライダルジャパン インターナショナル】がおすすめです。 ➡︎ 結婚相談所 東京の専門ページはこちら
M’s ブライダルジャパン
2025/10/29
9“話しすぎない自己開示”で信頼をつかんだ女性の話
36歳の女性会員Rさん。「話を聞くのは得意だけど、自分のことを話すのが苦手」と悩んでいました。 どこまで話していいかわからず、交際が深まらない日々。そんなRさんが、ほんの小さな自己開示から変わったのです。
マリッヂサポート 梅田店
2025/11/16
10「素直さを取り戻す婚活」
なぜ“素直になること”が婚活成功の鍵なのか? 年齢を重ねるほど、経験が「フィルター」になってしまう 50代、60代の女性は、人生の経験値が豊富で、判断も的確。だからこそ、 「こういう人はダメ」 「この条件じゃなきゃ無理」 「私はこういうタイプと合う」という、自分だけの正解が強くなりやすいのです。 けれど、その“正解”は、今の自分が幸せになるための正解とは限りません。 人生の後半は、生き方も価値観も大きく変わります。だからこそ、過去の正しさより、未来の心地よさを基準にする必要があるのです。
株式会社TRUE NOW
2025/11/16
11寄り添えるパートナーを求める思いは人生の原動力
70代Aさんのご相談から感じたこと 相性鑑定ができる結婚相談所 When Now プランニング では、婚活サポートとは別に人生の節目に必要な“タイミングの整え方”や運気が上がるお引越し相談も承っています。 先日、70代の女性・Aさんが鑑定に来られました。 お体はとてもお元気。ただ、毎日の食事作りが負担になってきたこともあり、「動けるうちに、自分で選んだケアホームへ入りたい」というお気持ちがあったそうです。 ところが…ご家族との話し合いがなかなか進まない。「いつ動けばスムーズなのか?」その“タイミング”を知りたいというご相談でした。 ■ 今年は大凶。動くなら「来年」が吉。 Aさんの星を観ると、今年は大凶の年。物事をまとめようとすると、どうしても邪魔が入りやすい時期。 一方で、来年は大吉。物事がスッと動き、味方が現れやすい運気。 そこでAさんには、「動くのは来年に決めて、年内は下準備に徹しましょう」とアドバイスしました。 ・荷物の断捨離・ケアホームの下見・家族と落ち着いて話せる空気づくり できることを淡々と進めることで、来年の追い風に乗りやすくなります。 ■ 本当に聞きたかったのは「お友達、できますか?」だった ひとしきりお話ししたあと、Aさんは少し遠慮がちに静かにこう尋ねられました。 「あの…施設で、お友達ってできますでしょうか?」 その瞬間、私はハッとしました。Aさんがずっと胸に秘めていたのは“人とのつながりへの不安”だったのです。 Aさんは八千草薫さんのような柔らかい佇まいの、とても素敵なご婦人。お顔を拝見しても“人気運”がしっかり出ています。「Aさん、お顔に人気運がありますよ。素敵な方に恋心を寄せるのは、健康にも良いって研究があるくらいなんです。」 そうお伝えすると、Aさんのお顔がふわっと明るくなり、まるで花が咲いたように輝きました。 ■ 寄り添えるパートナーを求める思いは人生の原動力 私たちはつい、親世代には恋愛感情がないように思い込みがちですが…そんなことは全くありません。 文豪たちも晩年まで恋を楽しみながら、名作を生み続けていました。 Aさんも、数年前にご主人を見送り、子育ても孫育ても一区切り。これからは「自分の人生をどう生きるか」を選べるステージに立っています。 ためらっているなんてもったいない。新しいご縁は、あなたが動き出すのを待っています。 「もし気になる方ができたら、相性を見ますからいつでも来てくださいね。」 そうお伝えして、お見送りしました。 ■ 無料相談(オンライン可)受付中です🌈 When Now プランニングでは結婚相談にまつわる ・恋愛や再婚のご相談・シニア世代のパートナー探し・引越しや環境チェンジのタイミング・相性鑑定 ひとりで抱えなくて大丈夫です。あなたの“動けるタイミング”を一緒に見つけましょう。 あなたの人生が、より軽やかに、より心地よく巡っていきますように🍀
相性鑑定ができる結婚相談所 WhenNowプランニング
2025/11/16
12日本で婚活する韓国人男性急増中!!
最近日本の結婚相談所での韓国人男性と 日本人女性のお見合いが急増しています。 『韓国人男性専門』の相談所も増えています。 その背景にあるのが日本人女性の人気の高さなんです♬
寿Concierge ことこん
2025/10/30
13研修に行って来ました
こんにちは!縁スタイル畑中です。 TMS連盟の研修に行って来ました。 講師は驚異の成婚率95%を誇る SMART BRIDAL 吉野麻衣子さん 【離婚しない幸せな結婚をするために】たっぷりお話いただき最後はジャンケン大会 なんと!最後まで勝ち抜いて吉野さんの著書「婚活女子の本音」GETできました!! TMS連盟は【会員様の“成婚”を第一に考えた研修】が充実しています。 \吉野さんの経歴が凄いので一部ご紹介/ 10年間で結婚相談所10社以上!主要アプリは全て経験 管理本部長・CFOなど役員歴含め経験社数20社以上! ハイキャリアエリート公務員と結婚するも1年で離婚 14歳年下男性とアプリで出会い内面重視で再婚(後にハイスペ男子と知る) 4度の流産・不妊治療を乗り越え出産→心肺停止に陥るも乗り越える 出産後-25㎏のダイエットに成功! ミセスコンテスト世界大会 日本人初優勝! まだまだあるけど…この辺りにしておきます。笑 吉野さんのYouTube参考になるので是非ご覧ください🎵
縁スタイル
2025/10/24
14「年収ってそんなに大事?」幸せ探しのヒント
「未婚女性に聞いた『結婚相手に求める最低年収』は?」という調査結果を、ライブドアニュースで目にしました (引用元:https://news.livedoor.com/article/detail/29813295/)。 その中で「500万円以上の貯金を求める女性が44.5%」という数字が紹介されていて、思わず「みんな本音ではどこを見てるのかな」と考えさせられました。 年収や経済力って、たしかに大事。でも、それだけで人を選ぶ時代ではもうないはず。 札幌の結婚相談所として、そして長年夫と家庭を築いてきた女性として、今こそ「お金だけじゃない婚活の目線」について、一緒に考えてみませんか?
Hiroka
2025/10/23
15トランプカラーに染まった東京タワーと、“ご縁の光”が灯る瞬間
今夜、東京タワーがアメリカ大統領来日を記念して、 赤・白・青の「トランプカラー」に染まりました。 秋の澄んだ夜空に浮かぶその姿は、 どこか華やかで、そして力強く。 普段見慣れたオレンジ色のタワーが、 まるで別の都市の象徴のように輝いていました。 ライトアップされた東京タワーを見上げながら、 「人の心も、出会いも、こんなふうに“その時々の光”で変わっていくものだな」 と、ふと感じました。 ■東京タワーが教えてくれる「変化する美しさ」 東京タワーは、季節や出来事に合わせてライトアップが変わります。 春の桜色、夏の七夕ブルー、秋のキャンドルレッド、冬のシャンパンゴールド。 その時々のテーマに合わせて、東京の夜を彩る光は、 まるで人生の季節のようでもあります。 出会いにも、同じことが言えるのではないでしょうか。 “良いご縁”には、必ず「その時の色」があります。 若い頃には気づかなかった穏やかさに惹かれたり、 経験を重ねた今だからこそ感じる安心感に心を動かされたり――。 年齢や立場が変わっても、人の心にはいつだって “ときめき”という光が宿っています。 ■婚活の世界にも「季節のリズム」がある 結婚相談所 で活動される方々を拝見していると、 季節の移り変わりとともに、心の動きにもリズムがあることに気づきます。 春は、「新しい出会いに向けて気持ちを整える季節」。 夏は、「行動力が試される季節」。 秋は、「将来を見据えた真剣交際が進む季節」。 そして冬は、「ご成婚の季節」。 特にこの秋から冬にかけては、 「年内には良いご縁を見つけたい」と動き出す方が多く、 ホテルのラウンジでもお見合い・カウンセリングのご予約が集中する時期です。 マンダリンオリエンタル東京38階のラウンジから見える夜景も、 この時期は特別に美しく感じられます。 同じ窓から見える東京タワーが、季節ごとに違う光を放つように、 ご縁もまた、出会うタイミングによって姿を変えていきます。 ■「条件」よりも「タイミング」がご縁を決める 婚活を進めるうえで多くの方が口にされるのは、 「条件が合う方に出会いたい」という願いです。 もちろん、それはとても大切なこと。 でも、25年以上この世界を見てきて実感するのは、 最終的にご成婚に結びつくのは、“条件”ではなく“タイミング”ということです。 「仕事が落ち着いた今だから真剣に考えたい」 「家族を支えきって、やっと自分の幸せを考えられるようになった」 「もう一度、誰かと笑い合える日常を作りたい」 そうした“心の準備が整った瞬間”に出会うご縁は、 驚くほど自然に、そして穏やかに育っていきます。 東京タワーのライトアップが毎日少しずつ変わるように、 人の心にも日々の小さな変化が積み重なり、 ある日、ふと「この人となら」と感じる瞬間が訪れます。 ■ホテルラウンジで生まれる、“運命の予感” 最近では、マンダリンオリエンタル東京、パレスホテル東京、帝国ホテルなど、 落ち着いた雰囲気のホテルラウンジでの面談希望が増えています。 なかでも、秋の東京は街全体が穏やかなムードに包まれており、 お見合いの場にも「心地よい余白」が生まれる季節です。 コーヒーカップの湯気越しに交わす笑顔、 小さな共感の積み重ねが、やがて“運命の糸”を結びます。 お見合いの時間が終わる頃、 窓の外に見える東京タワーが、ふたりを祝福するように輝いていることも。 そんな瞬間を、これまで何度も見てきました。 ■“光”を自分で灯す人が、良縁を引き寄せる ご縁を掴む方には、ある共通点があります。 それは、「環境に合わせて自分の光を調整できる方」です。 相手に合わせすぎず、でも頑なにもならず。 季節が移ろうように、自分の魅力も柔らかく変化させていける人。 そういう方のもとに、良いご縁は自然と集まってきます。 東京タワーが季節や出来事に応じて色を変えるように、 自分の中の光を時に明るく、時に穏やかに灯していく。 その姿勢こそが、大人の婚活における“本当の美しさ”なのだと思います。 ■ご縁の光は、いつでもそこにある 婚活をしていると、ときに焦りや不安に心が傾くこともあります。 けれど、どんなに夜が深くても、 東京タワーのように、あなたを照らす光は必ずあります。 それは、あなたが誰かを思いやる気持ち。 誰かを信じようとする心。 そして、もう一度「誰かと生きたい」と願う勇気です。 その心の灯りが、あなた自身の人生を照らし、 やがて“ご縁”という形で外の世界とつながっていきます。 トランプカラーに染まった東京タワーを見上げながら、 私は改めて思いました。 どんなに世界が動いても、 人が人を思う気持ちの本質は変わらない――と。 それぞれの人生に、それぞれの光があり、 その光が重なったとき、初めて「ご縁」と呼ばれるのだと思います。 秋の夜、 赤・白・青に染まった東京の空の下で、 今日も誰かの心に、新しい光が灯っています。 結婚相談所 M’sブライダルジャパン・インターナショナル 東京・丸の内
M’s ブライダルジャパン
2025/10/27
16恋愛心理学における“物語としての私”〜三宅香帆氏の視点から https://www.cherry-piano.com
序章 恋愛を読むことは、「私」を読み直すこと 三宅香帆という批評家の魅力は、恋愛を「心理学」でも「文学」でもなく、そのあいだにある“物語行為”として読む点にある。彼女にとって恋愛とは、生理的な欲求でも社会制度への通過儀礼でもなく、「人が人をどう見るか、どう語るか」という自己解釈のプロセスである。 たとえば彼女は、恋愛小説を読む読者を「自分の恋の言葉を探す人」と定義する。これは心理学的に言えば、“内的言語化”――自分の感情を言葉にして整理する作業――であり、恋愛を通じて「自分という存在を編集しなおす」過程だと捉えられる。 恋をするという行為は、単に誰かを好きになることではなく、「自分の物語の書き換え」なのである。 この視点を心理学的に展開すれば、恋愛とは“自己物語の再構築”にほかならない。恋愛心理学の領域では、エリック・バーンの交流分析やナラティヴ・セラピーの枠組みの中で、「人は自分の人生を物語として理解し、その中で“愛される私”を構築する」と考えられている。 三宅の視点は、この心理学的事実に文学的深みを与える。つまり、恋愛は他者を通して「自分を読む行為」であり、愛の対象は同時に“鏡”でもある。 第Ⅰ章 「好き」という言葉が発火する瞬間――恋の自己物語化 恋愛の始まりを、三宅は「言葉が身体を動かす瞬間」として描く。 誰かに「好き」と言う前に、私たちは“その言葉を自分の中で rehears(リハーサル)”している。 心理学的には、これは「内的対話(inner dialogue)」の始動であり、“自己物語化”の始まりである。 1. 「好き」は発見ではなく、構築である 恋愛心理学の研究者・ロバート・スタンバーグは「愛の三角理論」において、恋愛を情熱・親密さ・コミットメントの三要素から成るとした。しかし三宅香帆は、文学的な観点から「“好き”という言葉そのものが、これら三要素を呼び寄せる呪文である」と読む。 つまり、“好き”は感情の結果ではなく、感情を構築する言葉なのである。 たとえば村上春樹『ノルウェイの森』の直子への想いを語るワタナベは、彼女に惹かれたというより、「直子という物語の中で“悩む青年”としての自分を生きている」。 三宅の批評に即せば、恋とは“演じられる自己像”を選び取る行為である。心理学的には、これは「自己呈示(self-presentation)」の一形態であり、人は恋を通して“理想の私”を演じながら、自分のアイデンティティを確立しようとする。 2. エピソード:カフェでの沈黙 ある30歳の女性A子は、婚活アプリで出会った男性と三度目のデートをしていた。 彼女は彼に「好きかもしれない」と言いかけて、言葉が喉で止まった。 その瞬間、彼女の心に浮かんだのは「この言葉を口にしたら、私は“恋する人”として存在してしまう」という恐怖だった。 彼女の心理はまさに三宅のいう「言葉が私を規定する」瞬間である。 “好き”を言う前の沈黙は、恋の始まりではなく、“自分という物語を選ぶ葛藤”の現れだ。 彼女が沈黙を破った瞬間、世界の見え方が変わった。カフェの音、彼のまばたき、時間の流れまでも、すべてが“恋する物語”の中で意味を帯びたのだ。 第Ⅱ章 恋は「共感」ではなく「解釈」である――他者を読む力 恋愛心理学では、しばしば「共感(empathy)」が愛の基盤とされる。 しかし三宅香帆は、「恋における共感とは、他者を理解することではなく、他者の物語を“解釈する”ことだ」と指摘する。 彼女の読みは、まさに恋愛心理の核心を突いている。 1. 他者とは「読めないもの」としての存在 恋人という存在は、最も近くにいながら最も遠い“他者”である。 三宅の言葉を借りれば、「恋とは他人の中に“理解不能な余白”を見いだす行為」だ。 心理学的には、これは「認知的不協和(cognitive dissonance)」を抱えながらも関係を維持する能力――すなわち“心理的成熟”に対応する。 恋愛カウンセリングの現場では、「相手の気持ちが分からない」という訴えが頻出する。 しかし、相手を完全に“分かる”ことが愛ではない。 むしろ“分からないまま隣にいる力”こそ、恋愛の持続に必要な“解釈の余白”なのだ。 これは、三宅が村上春樹やジェーン・オースティンを読むときに見せる「わからなさを愛する読解」に通じている。 2. 事例:長年の夫婦における「読解の更新」 ある結婚20年目の夫婦が、夫の定年をきっかけにカウンセリングを受けに来た。 妻は「夫が何を考えているか分からない」と言い、夫は「妻は昔と変わった」とこぼす。 だが実際には、二人は互いを“古い物語”のまま読んでいた。 妻は「頼りになる夫」、夫は「家庭を守る妻」という旧来の脚本を維持しようとし、現実との齟齬が愛の摩擦を生んでいた。 心理学的介入では、二人が互いを“今の人物”として読み直すこと――すなわち「ナラティヴの更新」が鍵となる。 三宅香帆の視点から見れば、これはまさに“恋愛読解の再版作業”であり、愛は「読まれ続けることによってのみ生き延びる物語」である。 第Ⅲ章 「愛されたい」と「愛したい」の間――承認欲求の心理 1. 恋愛という“承認装置” 恋愛は、しばしば「承認の物語」として始まる。 誰かに見つめられ、名前を呼ばれ、気にかけられる――。 それは、自分の存在が“確かにここにある”という感覚を与えてくれる、きわめて原初的な経験である。 三宅香帆は、現代恋愛小説を読み解くとき、「人が人を愛するより前に、“誰かに見られたい”という欲望が先に立っている」と指摘する。 この“見られたい”という欲求こそ、心理学でいう承認欲求の核にほかならない。 すなわち恋とは、愛という名のもとに「自分の存在の証明を他者に委ねる」行為なのだ。 アドラー心理学で言う“所属の欲求”も、フロイトの言う“ナルシシズム的欲動”も、その根底には同じ問いがある。 ――「私は愛されるに値する存在なのか?」 恋愛はこの問いに対する、人生最古にして最も切実な実験である。 誰かの愛によって、自分の輪郭を確かめようとする。 そして、愛されたいと願うことが、そのまま“自己の再定義”の始まりとなる。 2. 「愛されたい」は“怖れ”の裏返しである 「愛されたい」という気持ちは、美しいようでいて、往々にして恐怖の感情を含んでいる。 三宅香帆は、恋愛小説を読む読者が最も共感する瞬間を「報われない愛」「届かない想い」に見いだす。 それは、愛されることの欠如が、自己の価値を測る鏡となるからだ。 心理学者エーリッヒ・フロムは『愛するということ』でこう語る―― “愛されることを求めるのではなく、愛する能力を育てよ。” しかし現代人の多くは、愛するよりも「愛される安心」を追う。 SNSの「いいね」は、恋愛のミニチュア版だ。 数字化された承認が、自分の魅力を測る定規になってしまった。 恋愛もまた、他者の反応によって“生きている実感”を得る装置として利用される。 たとえば、ある20代後半の女性B子はこう語る。 「好きな人に返信されないと、存在を否定された気がする。」 彼女にとって、“既読スルー”は拒絶ではなく、“存在の無視”である。 つまり「愛されたい」という欲求の奥には、“自分が見えなくなることへの恐れ”が潜んでいる。 この恐れを直視しない限り、愛は常に“確認行為”にすり替わってしまう。 3. 「愛したい」は“自己拡張”の欲求である 一方で、「愛したい」という感情は、まったく異なる動機から生じる。 三宅香帆は、恋愛小説の登場人物が恋に落ちる瞬間を「他者によって自分が広がる瞬間」として読む。 それは心理学者アーサー・アロンの言う「自己拡張理論(Self-Expansion Theory)」にほぼ重なる。 人は、他者を愛することで“自分では到達できなかった感情や世界”を体験する。 恋愛とは、他者という未知の物語を取り込み、自己の可能性を拡張するプロセスである。 しかしここで重要なのは、“愛したい”という純粋な動機も、しばしば“愛されたい”という欲求と混線することだ。 「相手の幸せを願う」と言いながら、実は「その優しさが自分をどう評価するか」に敏感である。 この心理を、三宅は“無意識の演出”として見抜く。 彼女の言葉を借りれば、「恋をしている私を演じているうちに、その役柄に溺れてしまう」のだ。 事例:与える愛の罠 40歳の男性C氏は、常に「相手を幸せにしたい」と語るタイプの恋人だった。 デートでは高価なレストランを予約し、相手の誕生日にはサプライズを欠かさない。 だが、関係が深まるほどに、相手は疲弊していった。 彼の「愛したい」は、いつしか「愛させてくれないと不安になる」に変わっていたのだ。 心理学的に言えば、これは**“自己犠牲型の承認欲求”**である。 愛すること自体が、自分の存在価値を確認する手段になってしまう。 つまり、彼の“愛したい”は、“愛されたい”の裏返しであった。 4. 「愛されたい」と「愛したい」の揺らぎ――鏡像としての恋愛 三宅香帆が描く恋愛の読解には、常に「鏡」というモチーフが潜む。 恋人は、私を映す鏡であり、愛はその鏡に映る“私の物語”を確かめる行為だ。 「愛されたい」と「愛したい」は、鏡の表と裏である。 「愛されたい」は、自分の価値を他者に投影する鏡であり、 「愛したい」は、他者の価値を自分に映す鏡である。 この二つの心理は、しばしば交互に反転しながら、恋のダイナミズムを生み出す。 心理的成熟とは、この反転のなかで“どちらにも偏らない愛”を獲得することだ。 恋愛心理学者スーザン・ジョンソンは、愛を「安全基地(secure base)」として捉えた。 本当に愛されていると感じる人ほど、相手を自由に愛せる。 つまり「愛されたい」欲求が満たされると、人はようやく「愛したい」力を取り戻す。 三宅の言葉で言えば、「愛されることを疑わない人だけが、物語を他者に委ねられる」のだ。 5. “愛されたい”から“愛する”へ――成熟の心理 心理学的成長のプロセスを描くとき、恋愛は極めて重要な“心理的通過儀礼”となる。 若い恋は「見つめられたい」から始まり、成熟した恋は「見つめ続けたい」へと移行する。 この移行こそ、三宅香帆が多くの文学作品で読み解いてきた“愛の変奏曲”である。 たとえば、夏目漱石『こころ』における「先生」の愛は、最初「愛されたい」という自己愛の延長だった。 しかし最期には、愛の痛みによって“他者の人生を生きられない自分”を悟る。 三宅ならそこに、「愛されたいという欲求を手放すことでしか、愛は自由になれない」という読解を施すだろう。 恋愛心理学でも、**成熟した愛(mature love)**は、“依存から自立へ”の変化として説明される。 つまり、「愛されたい」という他者依存的な承認の欲求を、「愛する」という他者尊重的な行為へと昇華させること。 それは、自己価値の回復であり、同時に「愛とは他者の自由を許すこと」という覚悟の始まりでもある。 6. 終わりに――愛は“他者の存在を許す”こと 恋愛の本質とは、誰かを手に入れることでも、承認されることでもない。 それは、「あなたが私をどう思おうと、私はあなたの存在を受け入れる」という決意である。 三宅香帆は、恋愛を“読む”ことを通して、私たちにこう語りかける。 「愛されるために努力する物語から、愛することで生きる物語へ。」 恋愛心理学の文脈において、この言葉は“依存から成熟への移行”を意味する。 愛されたいという衝動が、私たちを恋へと導く。 しかし最終的に人は、愛するという行為の中でしか、自分自身を真に承認できない。 “愛されたい”と“愛したい”のあいだ――その微細な揺らぎこそが、人間の心の成長を照らす最も美しい光なのである。 第Ⅳ章 文学に見る“恋の防衛機制”――嫉妬・投影・理想化 1. 愛が歪むとき――「防衛」としての恋 恋はしばしば、人の心の“防衛反応”によって形づくられる。 本来、愛とは「自己と他者の境界を越えようとする衝動」であるが、そこには恐れが潜んでいる。 傷つくこと、拒絶されること、見放されること。 その不安に耐えられないとき、人は**防衛機制(defense mechanism)**を発動する。 フロイトの心理学では、防衛機制とは「自我を守るための無意識的な心の操作」と定義される。 恋愛においては、愛そのものがこの“自我防衛”の舞台となる。 三宅香帆は文学作品を読む際、登場人物の「恋する姿勢」よりも、「なぜそのようにしか愛せないのか」に注目する批評家だ。 つまり、彼女は恋愛を“心の防衛装置としての物語”として読む。 そこには、愛と恐れ、理想と現実、憧れと破壊衝動が同居している。 恋愛とは、「心が自分を守ろうとする最も美しい戦い」である。 2. 嫉妬――「愛を失う恐怖」が作る幻想 嫉妬とは、愛が“喪失への予感”に変わるときに生まれる。 「他の誰かに奪われるかもしれない」という恐れは、恋の持続を支えるほど強力だが、同時に愛を破壊する。 心理学では、嫉妬は「自我境界の脆弱さ」から生じるとされる。 つまり、相手が“自分の一部”のように感じられてしまうのだ。 その結果、相手の行動は「私を脅かす出来事」として誇張される。 三宅香帆が『源氏物語』を論じるとき、特に光源氏の恋を「嫉妬の連鎖」として読むのは象徴的である。 彼は多くの女性を愛したが、それは“愛を得るための逃避”でもあった。 源氏が一人の女性に嫉妬されることを恐れながら、別の女性に愛を求める――。 この構図は、現代の恋愛心理にも通じる。 事例:SNSにおける“可視化された嫉妬” 現代の恋愛では、SNSが新たな嫉妬の温床となっている。 恋人の「いいね」、フォロー、過去の写真――それらが“他者とのつながり”を可視化し、想像を刺激する。 心理学的に言えば、これは**“空想的嫉妬(imaginary jealousy)”**である。 実際の裏切りではなく、「心の中で作り出された他者」が嫉妬を煽る。 この現象を、三宅は“物語的嫉妬”と呼ぶだろう。 私たちは、恋人のSNSの中に“物語の他の登場人物”を想像し、そこに自分がいないことに苦しむ。 つまり、嫉妬とは“物語の主役でいたい”という欲望の表れであり、 その根底には、「私はあなたの物語の中でどんな位置にいるの?」という問いが潜んでいる。 3. 投影――「愛されたい自分」を相手に映す 恋愛の中で、最も多く見られる防衛機制の一つが**投影(projection)**である。 投影とは、自分の中にある感情や願望を、無意識のうちに他者に押しつけること。 「彼はきっと私のことを運命だと思っている」 「彼女はきっと僕を必要としている」 ――そう思うとき、私たちは自分の欲求を相手に映している。 三宅香帆はこの心理を「恋という名の自己演出」と呼ぶ。 彼女の批評では、恋はしばしば“自分を相手に書き込む行為”として描かれる。 つまり、私たちは相手を愛しているようでいて、実は“自分が望む愛の形”を相手に見ているのだ。 文学的例:『失恋ショコラティエ』における投影の罠 三宅が好んで取り上げる現代恋愛作品のひとつ『失恋ショコラティエ』(水城せとな)は、まさに投影の典型である。 主人公の爽太は、年上の女性・紗絵子を理想化し、彼女に“恋の女神”を投影する。 だが、その理想化された紗絵子像は、彼の心の中でしか生きていない。 実際の彼女は、彼の投影に耐えきれず、曖昧な関係に終止符を打つ。 心理学的に見ると、これは「理想化―脱価値化サイクル(idealization–devaluation cycle)」である。 人は、相手を理想化することで自己価値を上げ、現実との齟齬が生じると、一気に相手を“冷めた目”で見る。 恋の熱狂が一瞬で冷めるのは、投影が壊れる瞬間だからだ。 4. 理想化――愛が“幻想”をまとって輝くとき 恋愛が始まるとき、人は相手を**理想化(idealization)**する。 これは単なる錯覚ではなく、心理学的には“恋愛初期の適応的防衛機制”とされる。 理想化は、相手を過度に美化することで、不安や拒絶への恐れを抑える働きを持つ。 しかし、理想化は永遠には続かない。 理想が崩れたとき、初めて人は“現実の他者”を知る。 三宅香帆はこの瞬間を、「恋愛が文学になる瞬間」と表現する。 つまり、理想が破れ、現実が露わになったときにこそ、人は“愛とは何か”を問うようになるのだ。 事例:理想が壊れた瞬間 ある女性D子は、婚約者の優しさに惹かれた。 しかし結婚準備が進むにつれ、彼の優しさが「決断力のなさ」に見えてきた。 かつては“包容力”と感じたものが、いまは“受け身”に見える。 心理学的に言えば、彼女の心では「理想化から脱理想化」への過程が進んでいた。 この過程をどう乗り越えるかが、恋愛の成熟を決める。 理想が壊れるとき、人は“他者を現実の存在として受け入れる”準備を始めるのだ。 三宅なら言うだろう。 「理想が壊れることは、愛が終わることではなく、愛が始まることだ。」 5. “防衛”から“受容”へ――心が成熟する恋 恋愛心理学において、防衛機制は悪ではない。 むしろ、それは心が“愛の重みに耐えるための装置”である。 嫉妬は「失うことへの不安」から生まれ、 投影は「理解されたい願い」の表れであり、 理想化は「愛を信じたい心の防衛」だ。 しかし、これらの防衛はやがて限界を迎える。 そのとき、人は「防衛する愛」から「受容する愛」へと変化する。 心理療法家のハインツ・コフートは、人の成長を“自己愛の成熟”として説明した。 彼によれば、愛とは「他者を通して自己を整えるプロセス」であり、 嫉妬や投影を経て、ようやく人は“他者の独立性”を認めるようになる。 三宅香帆の文学的視線もまた、この成熟のプロセスを読み解く。 彼女にとって恋愛小説とは、「防衛がほどける物語」である。 人が自分の心の弱さや嫉妬心に気づき、それを言葉に変える瞬間――。 そこにこそ、愛が文学へと昇華するドラマがある。 6. 終わりに――心の“防衛”が、美しい物語を生む 恋愛は、理性で制御できない心の防衛の集合体である。 嫉妬、投影、理想化――これらは一見、愛を歪めるもののように見える。 しかし、三宅香帆の読み解く文学世界では、それらこそが愛を形づくる言葉の源泉である。 嫉妬がなければ、愛の痛みを知ることはできず、 投影がなければ、他者を通じて自分を見ることはできない。 理想化がなければ、恋の始まりのきらめきも生まれない。 恋愛心理学と文学が交わる地点――それは、「防衛」が「理解」に変わる瞬間である。 三宅香帆はこう語るかもしれない。 「恋の痛みを読むことは、人間の心の防衛線を知ること。 けれどその痛みこそ、私たちを言葉へと導く光なのだ。」 愛の防衛機制とは、心が傷つくことを恐れながらも、なお誰かを信じようとする試みである。 その不完全な努力のなかにこそ、人間の最も美しい“生の証”が宿る。 第Ⅴ章 恋愛と自己効力感――“選ばれる私”の幻想 1. “選ばれる恋”という物語の呪縛 恋愛をめぐる多くの物語は、「誰かに選ばれる私」という構図で描かれてきた。 王子に見初められる姫、告白される女子高生、モテる女性としての成功――。 三宅香帆が指摘するように、現代の恋愛観の根底には“選ばれる側の幻想”が根強く残っている。 しかし心理学的に見れば、この「選ばれる私」こそが、恋愛における自己効力感のゆがみを生む。 自己効力感とは、心理学者バンデューラが提唱した概念であり、 「自分は自らの力で望む結果を得られる」という信念である。 恋愛に置き換えれば、それは「自分の魅力を活かして関係を築ける」という確信だ。 だが、“選ばれる私”という幻想に囚われると、自己効力感は他者依存的な構造に変わってしまう。 つまり、「相手に認められたら自信が持てる」という、外的承認に支えられた脆い自信である。 三宅香帆が恋愛小説を読むとき、そこに登場する女性たちは往々にして“選ばれたい自分”を演じている。 だが、彼女の読解はいつもその裏を突く。 ――「なぜ、選ばれることを自分の価値の証にしてしまうのか?」 2. “選ばれたい”心理の構造――自己肯定感と依存のあいだ 恋愛における「選ばれたい」という欲望は、自己肯定感の裏返しである。 「愛される価値がある」と信じるために、他者の承認を必要とする。 それは人間にとって自然な欲求だが、過剰になると心は常に“他人の評価”に支配される。 ある30代女性E子のケース。 彼女は恋愛がうまくいかないたびに、「どうして私は選ばれないのだろう」と自分を責めた。 友人の結婚報告を聞くたびに、焦燥と劣等感に襲われる。 「私にも魅力があれば…」「もっと可愛くなれば…」 その努力は一見前向きだが、実際には“他者の評価基準”に自分を委ねる行為である。 心理学的に言えば、これは**外的自己効力(external efficacy)**の状態だ。 自分の価値を“他者の選択”に委ねているため、恋愛の結果に一喜一憂し、精神が不安定になる。 これは恋愛依存症の予備段階にも通じる。 三宅香帆はこうした女性像を、しばしば“物語を外注した人”として描く。 つまり、自分の人生を自分で語らず、他者に“選ばれること”によって意味づけようとする人である。 彼女の批評は、そんな女性たちに“自分の物語を取り戻せ”と静かに促す。 3. 「選ばれる私」から「選ぶ私」へ――主体性の回復 恋愛心理学において、自己効力感を高める最大の要素は**主体性(agency)**である。 恋をする自分を“演じる”のではなく、“選び取る”こと。 自分が誰を好きになるか、自分がどう愛したいかを決めるのは、自分自身であるという感覚。 三宅香帆は、恋愛小説におけるヒロインの転換点を「愛されることから、愛することへと立場を変える瞬間」として読む。 たとえばジェーン・オースティン『自負と偏見』のエリザベス・ベネットは、その象徴である。 彼女は裕福な男性ダーシーから求婚されながらも、相手の人間性を見抜き、 「私はあなたの財産ではなく、あなた自身を選びたい」と拒絶する。 心理学的に言えば、これは自己効力感の回復にほかならない。 「私は誰かに選ばれる存在ではなく、自分の意思で愛する存在である」という確信。 それは、恋愛における“主体的自己”の確立である。 三宅の読解では、恋愛の幸福は“選ばれた瞬間”ではなく、“自分で選んだ瞬間”に宿る。 彼女は恋を“行為”として読む――つまり、感情ではなく、決断としての恋。 その視点が、恋愛心理学における自己効力感の理論と見事に響き合う。 4. 自己効力感と“努力の方向”――愛されるためか、生きるためか 恋愛相談で多い悩みの一つが、「どうすればモテるか」という問いである。 これは一見、自己改善のように見えて、実は“他者の評価軸への従属”になりやすい。 外見、年収、話題性――それらは確かに恋の入口を開く鍵にはなるが、 自己効力感を支える基盤にはなり得ない。 心理学的には、自己効力感は「成功体験」や「他者からの励まし」によって高まる。 だが、恋愛における“成功”を「告白されること」「好かれること」と定義してしまうと、 努力の方向は常に“他人の心をコントロールすること”へと向かう。 それは、失敗するたびに自信を奪う悪循環を生む。 三宅香帆は、この心理的罠を文学的に暴き出す。 たとえば『東京タラレバ娘』の登場人物たちは、理想の恋を追い求めながら、 実は「他人に選ばれる人生」しか想定していない。 彼女たちは“選ばれるための努力”に疲弊し、 やがて“生きるための自分”を取り戻す。 三宅の読解における転換点は明確だ。 「恋の努力は、“愛されるため”ではなく、“自分を生きるため”でなければならない。」 恋愛心理学でも同様に、真の自己効力感とは「他者を操作できる感覚」ではなく、 「自分の感情を自ら調整できる感覚」である。 つまり、愛することにおける感情の自己決定力こそが、恋愛を成熟させる。 5. 事例:婚活の現場に見る“選ばれる努力”の限界 婚活カウンセリングの現場でも、「選ばれる私」という幻想は根強い。 プロフィールを磨き、条件を整え、他者のニーズに合わせて自分を演出する。 それ自体は戦略的行動だが、過剰になると「本来の自己」が消えてしまう。 ある婚活女性F子は、アプリで数十人と出会ったが、常に同じ悩みを抱えていた。 「どんなに頑張っても、選ばれるのは“別の人”なんです。」 彼女のプロフィールは完璧だった。 だが、彼女自身が“本当の感情”を語ることを恐れていた。 「こんなことを言ったら嫌われるかも」と自己検閲を重ねるうちに、 “理想の女性像”だけが残り、彼女自身はどこにもいなかった。 心理学的には、これは**自己呈示(self-presentation)**の過剰適応状態であり、 自分を偽り続けるうちに、自己効力感が空洞化していく。 「自分を出しても愛される」という体験を持てないままでは、 恋愛の中で“本当の安心”を得ることはできない。 三宅香帆の言葉を借りれば、 「恋愛は、自分の言葉で話す勇気の物語である。」 婚活市場においても、心理学的に見ると、 “選ばれるための努力”よりも“自分を見せる勇気”のほうが、長期的な幸福に直結する。 6. “選ばれない私”が見つけた自由 三宅香帆が特に注目するのは、「選ばれなかった女性たち」の物語である。 『源氏物語』の夕顔、『花宵道中』の遊女たち、 そして現代小説に登場する“報われないヒロイン”たち。 彼女たちは、社会的には“選ばれない女”として描かれるが、 三宅の読解では、むしろ“自分の生を引き受ける女”として輝く。 選ばれなかったことが、彼女たちに自由を与えるのだ。 心理学的に言えば、これは**内的自己効力(internal efficacy)**の獲得である。 自分の価値を他者の判断に委ねず、自らの生き方で定義する。 「愛されなかった私」ではなく、「愛した私」として生きる。 その瞬間、恋は終わっても、自己物語は続いていく。 7. 終わりに――“選ばれる私”という幻想を超えて 恋愛における最大の錯覚は、「愛されれば自信が持てる」という信念だ。 だが実際には、愛される前に、自分を信じる力が必要である。 三宅香帆は、恋愛を“自己物語の編集”と捉える。 愛とは、自分の語りを誰かに預ける行為であり、 そのとき“自分の筆を握っている”という感覚を失えば、愛は他者に支配される。 恋愛心理学の言葉で言えば、 真の自己効力感とは、「愛の成否にかかわらず、自分を尊重できる力」である。 誰かに選ばれなくても、私は私を選び続ける――。 その心の強さこそ、恋愛における最も成熟した自由なのだ。 そして三宅香帆の批評は、こう結ばれるにちがいない。 「恋とは、選ばれることではなく、“自分を物語として生きる”こと。 その物語を自分の手で書き直す限り、誰も本当には敗者ではない。」 第Ⅵ章 別れは再構成の物語――喪失と再生の心理 1. 「終わり」が始まりになるとき――三宅香帆の視点 恋愛小説の終盤に訪れる「別れ」の場面。 多くの読者はそれを“悲劇”として読むが、三宅香帆はそこに“再生の兆し”を見いだす。 彼女の読解では、恋の終わりとは「愛が物語から“生”へと還る瞬間」である。 なぜなら、別れとは“他者を失う”ことではなく、“他者との物語を再構成する”ことだからだ。 心理学的に言えば、これは**喪失の再意味化(meaning reconstruction)**のプロセスにあたる。 人は、失われた関係を単に消すのではなく、「それをどう物語るか」を通して自分を癒やす。 三宅香帆が好んで引用するのは、『失恋ショコラティエ』や『源氏物語』の終幕のような、 “別れが新しい生の文法を教えてくれる物語”である。 彼女にとって恋の終わりとは、“自分を失うこと”ではなく、“自分を読み直すこと”なのだ。 2. 喪失の心理――「愛が抜けた場所」に何が残るか 心理学では、別れの体験を「喪失体験(loss experience)」として扱う。 愛する人を失うとき、人の心は“空洞化”を経験する。 しかしその空洞こそが、心の再構築を促す“余白”でもある。 たとえば、長年の交際の末に別れを迎えた女性G子の例を挙げよう。 彼女は半年間、何をしても涙が止まらなかった。 だが、ある夜ふと、元恋人と歩いた道を一人で歩きながらこう感じたという。 「あの時間があったから、今の自分がいるんだ。」 この気づきは、単なる自己慰撫ではない。 心理学的に言えば、彼女は“関係の再定位(reorientation)”を果たしたのだ。 失った相手を心の中に“象徴的存在”として再配置し、自分の物語の一部として受け入れた。 これは、カナダの心理学者ニーメイヤーが提唱した「喪失のナラティヴ理論」に通じる。 ――人は、失われたものを“物語の中で意味づけ直す”ことで、悲しみを統合していく。 三宅香帆の文学的読解もまた、まさにこの心理を代弁している。 彼女にとって恋愛小説の別れとは、“失うことで物語が完結する”のではなく、 “語ることで悲しみが変容する”瞬間なのである。 3. 「なぜ、終わらなければならなかったのか」――物語化の力 失恋を経験した人はしばしば、こう問いかける。 「なぜ、あんなに愛していたのに、終わってしまったのか。」 この“なぜ”の問いこそ、心理的回復の最初のステップである。 三宅香帆は、恋愛を“読む”ことを通じてこの問いを言語化する。 彼女が分析する恋愛小説には、共通して“語り直し”の構造がある。 主人公が過去の恋を思い出し、それを語ることで初めて“意味”が立ち上がる。 心理学的に言えば、これは**ナラティヴ・セラピー(Narrative Therapy)**の原理そのものだ。 人は「なぜ失ったのか」を考えるうちに、 “自分は何を得たのか”“何を学んだのか”へと視点を変える。 物語化の過程が、心の再生を導くのである。 たとえば、『花束みたいな恋をした』という映画を三宅が論じるとき、 彼女はその別れを「痛みではなく、成長の証」として読む。 恋人を失うことは、“自分という物語を次の章へ進めるための儀式”なのだ。 「別れとは、物語の句読点である。終わりではなく、次に進むための休符。」 ――三宅香帆 4. “記憶の編集”としての別れ――心理的再構成のメカニズム 喪失からの回復には、“記憶の再編集”が不可欠である。 心理学的には、これを**再構成的記憶(reconstructive memory)**という。 私たちは過去を固定的に記憶するのではなく、“今の自分”に必要な形に書き換えている。 恋愛においても同様だ。 別れた後、人は無意識のうちに「都合のいい物語」を作り直す。 相手を理想化したり、逆に悪者にしたり――それは心が自分を守るための作業である。 三宅香帆の批評が鋭いのは、まさにこの“記憶の編集”を文学的に描き出す点だ。 彼女は、『源氏物語』の紫の上を「愛された過去を語り直す女」として読む。 源氏の愛を失ったあとも、紫の上は彼の記憶を自分の中で再構成し、 “悲劇ではなく経験”として語り直す。 この心理は、現代の恋愛相談にも通じる。 別れを“後悔”として語る人ほど、心の再構成が途中で止まっている。 一方、別れを“人生の一章”として語れる人は、すでに“再生”を始めている。 「愛を失った人ほど、物語の力を知っている。」 ――三宅香帆 5. 再生の条件――「相手のいない世界」を生きる勇気 別れの後、人が最も恐れるのは“空白の時間”である。 恋人がいた生活のリズム、共有した習慣、呼び慣れた名前――。 それらが一気に消えると、世界が“色を失った”ように感じる。 心理学的に言えば、これは対象喪失後の同一化の崩壊である。 人は愛する相手と無意識のうちに“心理的同一体”を形成しているため、 相手を失うことは、自己の一部を失うことと同義なのだ。 だが、再生はそこから始まる。 相手を失って初めて、“自分とは何か”を再定義できる。 三宅香帆が『ノルウェイの森』を論じる際、 彼女はワタナベが直子の死を通じて“他者の不在を生きる力”を学ぶ過程を描く。 愛する人の喪失は、自己の境界を拡張する体験なのだ。 恋の終わりを悲劇ではなく“生の再出発”と見る視点――それこそが三宅香帆の批評の核である。 彼女は言う。 「別れとは、相手を手放すことではなく、“その人のいない世界を生きる勇気”を引き受けること。」 6. 事例:再構成の物語としての離婚 40代女性H子は、結婚15年の末に離婚を経験した。 当初は「失敗した」と自分を責め続けたが、時間とともに、 「この別れがなければ、私は自分の人生を取り戻せなかった」と語るようになった。 心理学的に見ると、彼女は**喪失の再定義(redefinition of loss)**を果たした。 失うことを“終わり”ではなく、“転換点”と再構成する。 それにより、心の物語が再び動き出す。 三宅香帆的に言えば、これは“再生する語り”の典型だ。 恋愛を“完結した章”として閉じるのではなく、 “次の章を開くための終止符”として受け入れる。 文学的に言えば、それは“喪失の美学”であり、心理学的には“成熟の徴”である。 7. 終わりに――喪失の中でしか、生は深まらない 恋愛とは、生の歓びを知ると同時に、“失うことの痛み”を学ぶ体験でもある。 だが三宅香帆の批評において、喪失は決して否定的なものではない。 むしろ彼女はこう語るだろう。 「別れを知った人だけが、本当の意味で“他者を愛する力”を持てる。」 心理学的にも、喪失は人間の成長に不可欠なプロセスだ。 フランクルは『夜と霧』で、「人生の意味は苦しみの中で発見される」と語った。 恋愛における別れもまた、愛の意味を深める“通過儀礼”なのである。 三宅香帆の読む恋愛小説のヒロインたちは、皆“喪失を生き抜く者”である。 別れを経験してなお、自分を語り直す力を持つ。 愛を失っても、自分を失わない――その姿こそ、彼女が見いだす“女性の成熟”である。 「恋が終わるたびに、人は少しずつ言葉を覚えていく。 愛の痛みを語るたびに、人は自分の物語を深く生きるようになる。」 別れは、終わりではない。 それは、愛という物語が“心の中にかたちを変えて生き続ける”ための再構成の儀式である。 その儀式を経て、人はもう一度――誰かを、そして自分を、愛する準備を始めるのだ。 第Ⅶ章 SNS時代の恋愛――“見られる愛”と“語られる私” 1. 「物語化された恋愛」の到来 スマートフォンを開けば、恋が“語られている”。 手をつなぐ写真、記念日の投稿、恋人との旅行動画――。 現代の恋愛は、かつてのプライベートな情動ではなく、社会的に共有される物語へと変貌した。 三宅香帆は、この現象を「恋愛の物語化が、読書の外へ拡張された時代」と捉える。 彼女にとって、恋愛を“読む”とは、物語として理解し、他者に伝えることである。 そして今、人々はSNSを通して、自ら“恋愛小説の登場人物”を演じ始めている。 心理学的に言えば、SNS時代の恋愛は**自己呈示(self-presentation)**の連続的演技である。 人は他者の目に映る自分を意識しながら、「見られる愛」をデザインする。 もはや恋愛は二人の間の出来事ではなく、第三者の視線を織り込んだ社会的パフォーマンスとなった。 2. “見られる愛”――SNSが作り出す心理的舞台 恋人とのツーショットを投稿する。 「いいね」が増えるたびに、心が軽くなる。 ――この瞬間、愛はすでに“他者に承認された関係”として存在している。 社会心理学では、これを**社会的証明(social proof)**と呼ぶ。 他人の反応が、自分の選択の正しさを裏付ける仕組みである。 つまり、「誰かに見られている」という感覚が、愛の実在を保証する。 しかし三宅香帆の視点では、ここに危うさが潜む。 「誰かに見せるための愛は、物語としては完成しても、心としては未完成である。」 “見られる愛”とは、常に「観客の視線」に依存する愛である。 それは、恋人への愛情というより、“私たちは幸せです”という物語の演出に近い。 SNS上で恋人を称える投稿は、しばしば“自己ブランドの更新”のような側面を帯びる。 心理学的に言えば、これは**外的自己価値(external self-worth)**の高まりと引き換えに、 内的自己効力(internal efficacy)が低下していく現象だ。 つまり、「他人の反応によって自分の愛を確かめる」構造である。 3. “語られる私”――愛の自己演出としてのナラティヴ 三宅香帆は、SNSを「現代の小説空間」として捉える。 そこでは、人々が“語り手”として恋を綴り、“登場人物”として自分を演出する。 彼女の批評によれば、SNS上の恋愛表現は「日記でも報告でもなく、物語的編集」である。 心理学的に言えば、これは**ナラティヴ・アイデンティティ(narrative identity)**の形成過程だ。 人は自分の経験を物語として語ることで、自我の一貫性を保つ。 恋愛の投稿もその一部であり、「愛されている私」「支え合う私」といったストーリーを通して、 “自分らしさ”を維持しているのだ。 しかし問題は、この語りがしばしば“演出された現実”であることだ。 投稿する写真や言葉は、感情の一部しか映さない。 “うまくいっていない恋”や“孤独な夜”は、SNSの文法に合わない。 その結果、愛の物語は次第に「嘘のない嘘」として機能し始める。 三宅香帆の批評はここで鋭い。 「SNSの恋は、小説のように語られるが、編集権は常に“他者の目”に握られている。」 つまり、恋愛が語られる場所はもはや“私の心”ではなく、“他者のタイムライン”なのである。 4. “他者の視線”がもたらす不安――比較と羨望の心理 SNS上の恋愛表現は、承認とともに比較の不安を生む。 他人の幸せな投稿を見るたびに、「自分の恋は劣っているのではないか」と感じる。 心理学では、これを**上方比較(upward comparison)**という。 他人の恋愛物語は、自分の現実を映す鏡となる。 “理想のカップル”“映える愛”“長続きする関係”――。 それらのイメージが、無意識に“私の恋”を測る基準に変わる。 このとき、人の心は「愛の不安」ではなく、「評価の不安」に支配される。 恋がうまくいっているかどうかより、“うまく見えているかどうか”が重要になる。 三宅香帆はこうした現象を、“愛の観客化”と呼ぶだろう。 彼女にとって恋愛とは、“他者と共に生きること”ではなく、 “他者の視線を受け入れながら、なお自分を保つこと”である。 心理学的に言えば、これは**自己同一性(identity coherence)**の課題である。 つまり、“見られる私”と“感じている私”のあいだのズレをどう統合するか。 それが、SNS時代の恋愛における最大の心理的テーマなのだ。 5. 事例:削除された投稿――「語れなかった恋」の真実 ある20代女性I子は、1年間交際した恋人との別れをきっかけに、 SNSに投稿していたすべてのツーショット写真を削除した。 彼女はその理由をこう語った。 「思い出を消したいわけじゃない。ただ、“見られる愛”がもう嘘に感じた。」 彼女が削除したのは写真ではなく、“語られた物語”だった。 その瞬間、彼女は“観客に向けた恋”を終わらせ、“自分のための恋”を取り戻した。 心理学的に見れば、これは**ナラティヴ・ディスエンゲージメント(narrative disengagement)**の一形態である。 物語から自分を切り離し、再び“自分の声”で語り始めるプロセスだ。 別れの痛みは、語らないことで癒えることもある。 三宅香帆の読解で言えば、彼女の行為は“語られなかった愛の文学”に近い。 「語られない恋こそが、最も真実に近いことがある。」 “語る”ことが自己形成なら、“沈黙”もまた自己回復の言語なのだ。 6. SNSと恋愛の“演技的自己”――ゴフマンの社会舞台論から 社会学者アーヴィング・ゴフマンは、人間の社会的行動を「舞台演技」として説明した。 人は常に“観客”を想定しながら、自分の役を演じる。 SNSは、まさにこの理論の現代的舞台である。 恋人との日常を投稿することは、“私たちの愛”という劇を上演する行為だ。 しかしその舞台は、常に観客の反応に晒され、編集され続ける。 ゴフマンの言葉を借りれば、SNSとは“前舞台(front stage)”の拡張であり、 本来の“裏舞台(back stage)”――つまり本音や葛藤――がどんどん縮小していく。 三宅香帆の批評的視点からすれば、 この現象は“恋愛という物語が、現実を侵食していくプロセス”でもある。 つまり、人は「愛している」よりも、「愛しているように見えること」に夢中になってしまうのだ。 心理学的に言えば、これは**認知的不協和(cognitive dissonance)**の拡大である。 感じている現実と、見せている現実の乖離が広がるほど、心は疲弊していく。 “見られる愛”を維持するために、感情を装うようになる。 しかし、三宅はその偽りをただ非難しない。 むしろそれを“生き延びるための物語化”として読む。 「愛を演じることもまた、愛のひとつの形。 だが、本当の物語は、舞台を降りたあとに始まる。」 7. “見せる愛”から“感じる愛”へ――再び「私」の声を取り戻す SNS時代の恋愛が抱える最大の課題は、 “他者の物語の中で生きる私”が、“自分の物語”を失ってしまうことにある。 誰かの目に映る“理想の私”を演じ続けるうちに、 “感じる私”が声を失っていく。 恋愛心理学的に言えば、この状況からの回復は**内的自己との再接続(self-reconnection)**である。 外界の承認ではなく、内面の感情に耳を傾ける。 「いいね」がなくても、「この人といるときの自分が好きだ」と思える関係。 それが、“SNS以後の愛”の成熟形である。 三宅香帆は、この回復の物語を“読む力”として表現する。 「恋を読むことは、自分の心の声を取り戻すこと。 誰かの目ではなく、自分の言葉で“愛”を語る力を育てること。」 つまり、“見られる愛”の時代においてこそ、人は“語らない愛”を学ぶ。 誰かに見せるためではなく、自分の中で育てる愛。 それが、三宅香帆が描く「静かな恋」の核心である。 8. 終わりに――SNSという鏡の中の“愛の肖像” SNS時代の恋愛は、鏡の中の愛である。 その鏡は、他者のまなざしと自分の欲望が交錯する場所だ。 だが、三宅香帆の批評はその鏡を恐れない。 むしろ、その中に映る“物語としての私”を愛おしむ。 「たとえSNSに映る愛が虚構でも、その虚構を必要とした私の心は本物だ。」 恋愛心理学もまた、この立場に寄り添う。 人は虚構を通じて現実を理解する。 恋の演出や編集も、心が自分を守るための“心理的物語”なのだ。 だからこそ、重要なのは“見られない部分”をどう生きるかである。 スクリーンの外で、語られない愛を感じること。 その沈黙の中にこそ、 真実の愛――他者を通して自分を知る静かな光――が宿る。 第Ⅷ章 婚活の物語化――条件の中のロマンチック・ラブ 1. 「恋」と「条件」の交差点で――婚活という新しい物語装置 婚活という言葉が定着して久しい。 かつて恋愛は“偶然の出会い”から始まるものだったが、現代では“条件の一致”から始まる。 アプリ、結婚相談所、マッチングイベント――。 そこにあるのは“愛”よりもまず“検索”であり、“感情”よりも“適性”だ。 だが、三宅香帆の批評的視点は、こうした合理化の中にも「物語の萌芽」を見いだす。 彼女は言う。 「婚活とは、恋愛の物語を“社会に書き換える”装置である。」 つまり、婚活はロマンチック・ラブの死ではなく、新しい物語構造の誕生なのだ。 そこでは、恋の始まりが“偶然の出会い”から“条件の選択”に変わっただけであり、 人はなお“意味のある出会い”を求め続けている。 恋の物語が“運命”から“設計”に変化した――それが現代の婚活の本質である。 2. 「条件」は冷たいのか――心理的合理性と情熱の共存 婚活市場で交わされる会話の多くは、数値化された“条件”を中心に回る。 年収、学歴、身長、居住地、価値観診断――。 その合理性の背後には、心理学でいう**不確実性回避(uncertainty avoidance)**が働いている。 つまり、人は「傷つく恋」より「安心できる関係」を求めて婚活をする。 恋愛心理学では、これを“安全志向の愛(secure love orientation)”と呼ぶ。 無意識に「愛の持続可能性」を計算しているのだ。 だが、三宅香帆の目はもっと繊細である。 彼女は“条件”という合理性を、冷たさではなく“生の防衛本能”として読む。 「婚活のプロフィールは、心の鎧である。 けれどその鎧の内側には、傷ついた恋の記憶が隠されている。」 つまり、条件の裏には“情熱の残響”がある。 婚活の合理性は、かつてのロマンチック・ラブの痛みの上に築かれた防衛装置なのだ。 心理学的にも、これは**愛着理論(attachment theory)**に基づく反応である。 “安定型”の愛着を求める人ほど、「安全で確実な関係」を志向する。 婚活とは、情熱を失った行為ではなく、情熱を守るための方法なのである。 3. 婚活の“自己呈示”――条件を語る私、語られない私 婚活プロフィールには、“語られる私”と“語られない私”が共存する。 自己紹介文の中にあるのは、“相手に好まれたい自分”であり、 そこには、恋愛心理学でいう**自己呈示(self-presentation)**の緻密な戦略が働いている。 しかし、三宅香帆が注目するのは、プロフィールの文体そのものだ。 彼女は言う。 「婚活の言葉は、恋愛小説の第一行に似ている。 そこには“物語が始まる予感”と、“誰にも届かない孤独”が同居している。」 つまり、プロフィールは“条件”の羅列ではなく、 “語りの断片”――自分という物語の入口なのである。 心理学的に見ると、プロフィール作成は**ナラティヴ自己構築(narrative self-construction)**の行為である。 「私はどんな人生を望み、どんな人と物語を作りたいか」――。 それを言語化すること自体が、自分を見つめ直すセラピー的作用を持つ。 だが同時に、そこには“語れない私”が存在する。 本当は恋に臆病な私、過去に傷ついた私、愛に不器用な私。 婚活とは、この“語られない部分”を抱えながら、 “語れる形”で自分を提示する――心理的翻訳の営みなのである。 4. “条件”の中のロマンチック・ラブ――数値化できない想い 婚活において、条件は出会いの入り口である。 だが、関係が続くかどうかを決めるのは、“条件の外側にある何か”だ。 婚活心理学の調査では、マッチングの成立後、 相手に「共感」や「情緒的つながり」を感じた瞬間にのみ恋愛感情が生まれるという。 つまり、条件は恋愛のトリガーではあるが、愛の燃料ではない。 三宅香帆は、こうした現象を文学的に“愛の余白”として描く。 「条件が整っていても、心が震えない出会いがある。 条件が違っていても、言葉ひとつで世界が変わる出会いがある。」 婚活におけるロマンチック・ラブは、 「合理的な出会いの中で偶然のきらめきを探す試み」である。 心理学で言えば、これは統制された偶然性(controlled serendipity)―― すなわち、“確率の中で奇跡を信じる行為”である。 恋愛と婚活を対立させるのではなく、 三宅香帆は「婚活の中にも恋の詩が宿る」と読む。 彼女のまなざしは、データとアルゴリズムの時代においても、 人がなお“偶然という名の必然”を信じ続けることを肯定する。 5. 婚活の心理ドラマ――「選ぶ」と「選ばれる」のあいだで 婚活において最も深い葛藤は、「選ぶ私」と「選ばれる私」の狭間に生じる。 相手を“評価”する立場でありながら、自分も“評価される”立場にあるという二重構造。 心理学的には、これは**相互評価不安(mutual evaluation anxiety)**と呼ばれる。 人は選択の自由を得た瞬間、同時に“拒絶される可能性”にもさらされる。 婚活が疲れるのは、愛の不在よりも、評価の重圧に耐え続けるからだ。 三宅香帆は、この構造を文学的に“選ばれる神話”として批判する。 「婚活の舞台では、誰もが“選ばれる物語”の主人公を演じている。 けれど本当の幸福は、“選ぶ勇気”を持った人にしか訪れない。」 婚活を成功に導く鍵は、心理学的にも**自己決定感(autonomy)**にある。 自分で選んだ相手、自分で選んだ人生――。 この“選択の主体性”が、関係の満足度と持続性を高めることが実証されている。 三宅の文学的読解は、まさにこの心理学的知見と重なる。 婚活とは“選ばれる物語”ではなく、“自分が物語を選ぶ試み”なのである。 6. ケーススタディ:条件を超えた出会い 37歳の女性J子は、結婚相談所で“希望条件とは正反対”の男性と出会った。 最初は共通点が少なく、正直「ないな」と思ったという。 しかし、彼がふと漏らした一言―― 「無理に話さなくても、静かな時間っていいですね。」 この言葉に、彼女は心を掴まれた。 彼の年収も、学歴も、理想とは違った。 だが、会話の間(ま)と沈黙の居心地が、彼女の“心の条件”に一致していた。 三宅香帆の言葉を借りるなら、 「愛とは、数値ではなく、呼吸のリズムで合うこと。」 婚活の現場では、“統計的に正しい組み合わせ”が必ずしも幸福を保証しない。 愛は常に、条件の“外側”で起こる。 だからこそ、人は婚活をしながらも“偶然”を信じ続けるのだ。 心理学的には、これは**主観的適合感(subjective fit)**の発見である。 人は理論的な一致ではなく、感情的調和を「運命」と感じる。 それは、ロマンチック・ラブが依然として生き続けている証拠だ。 7. 終わりに――“条件の時代”における愛の希望 婚活は、合理化の象徴のように見えて、実は人間の感情の抵抗を映す鏡である。 数値と条件で管理された世界の中で、 人はなお「説明できない何か」に惹かれ、 「意味のない偶然」を信じ続ける。 三宅香帆の批評は、この矛盾を“人間の美しさ”として描く。 「婚活とは、愛を合理化する装置でありながら、 同時に、非合理な愛をあきらめきれない人間の証である。」 心理学的にも、婚活を通じて人は「選ばれる恐れ」から「選ぶ勇気」へと成長していく。 条件を語ることで自己理解を深め、 合理性の中に感情を見つけ直す。 ロマンチック・ラブは滅びない。 それは、アルゴリズムや統計の時代にあっても、 人が“物語を生きたい”と願う限り、形を変えて息づき続ける。 「婚活とは、愛を数値に変える試みではなく、 数値の隙間に“物語”を見つけようとする人間の祈りである。」 第Ⅸ章 恋愛の終わりにある成熟――“私”の拡張としての他者 1. 恋の終わりは“心の始まり” 三宅香帆が恋愛小説を読むとき、彼女の眼差しは常に「別れの後」に向かう。 恋の頂点よりも、その“静かな余白”にこそ、人間の本質が現れるからだ。 彼女は言う。 「恋愛の終わりは、感情の終点ではなく、自己の始点である。」 恋をしている間、人はしばしば“相手の中に自分を探す”。 だが、愛が終わった後にはじめて、人は“自分の中に相手を見つける”。 そこには、心理学で言う**内的対象化(internalization of the other)**のプロセスが働いている。 つまり、愛した相手の存在が、心の中に“内なる声”として残る。 その声が、私の思考や選択、人生の姿勢を静かに支える。 恋愛とは、他者を通して“私が拡張される”経験なのだ。 三宅香帆の読解では、恋愛の終わりとは“他者が自分の中に宿る瞬間”であり、 愛とは、終わったあとにもなお生き続ける“心理的共鳴”なのである。 2. 恋が成熟に変わるとき――「相手を変えようとしない」愛 未熟な恋は、相手を“自分の理想”に合わせようとする。 成熟した愛は、相手を“そのままの他者”として受け入れる。 心理学者エーリッヒ・フロムは『愛するということ』でこう述べた。 「未熟な愛は、『あなたが必要だから愛する』。 成熟した愛は、『あなたを愛しているから、あなたが必要だ』。」 この変化は、恋愛における**他者性の受容(acceptance of alterity)**の発達である。 つまり、愛の成熟とは、他者を“自分の延長”としてではなく、 “自分とは異なる世界”として尊重できる段階に到達することを意味する。 三宅香帆の批評の中で、たとえば『源氏物語』の終盤―― 光源氏が愛した女性たちを失い、ついに“他者の世界を理解しえない孤独”を受け入れる場面。 そこに、彼女は「愛の成熟の悲しみ」を読み取る。 愛とは“支配ではなく、見送る力”なのだ。 心理学的に言えば、これは共感的分離(empathic separation)―― 他者を理解しつつも、相手の人生を生きようとしない態度である。 成熟した愛とは、“相手を変えようとしない勇気”の別名である。 3. 他者を通して拡張される“私”――恋愛の心理的進化 人は恋を通じて、自分という存在の輪郭を広げる。 恋愛心理学者アーサー・アロンは「自己拡張理論(Self-Expansion Theory)」で、 恋愛とは「他者のリソース・視点・感情を取り込み、自己の可能性を拡張する行為」だと説いた。 つまり、恋愛は“成長の体験装置”である。 相手の価値観に触れ、知らなかった世界を知る。 その過程で、“自分”の定義が書き換えられていく。 たとえば、ある女性K子は、芸術家の男性と恋に落ちた。 彼の創作への情熱に触れ、彼女自身も“感じる力”を取り戻した。 恋が終わった後も、彼女は「彼の世界の一部を自分の中に残した」と語った。 三宅香帆なら、こう評するだろう。 「恋とは、他者の魂を少しだけ借りて、自分を更新する営み。」 恋愛の終わりとは、その“借りた魂”を自分の中に統合するプロセスである。 心理学的には、これは**同一化から内在化への変化(from identification to internalization)**だ。 相手を模倣する段階を超え、相手の価値を自分の人格に内包する。 それが、恋愛のもたらす最も深い心理的成熟である。 4. “別れ”を通して得る自由――依存から共存へ 愛の成熟は、依存から共存への移行でもある。 恋愛初期の「あなたがいないと生きられない」という感情は、 心理的に言えば**未分化な依存(symbiotic dependency)**の段階である。 だが、別れを経験することで、人は他者と“心理的に分離された状態”でつながる力を学ぶ。 これが、発達心理学で言う**個体化(individuation)**の成熟形だ。 三宅香帆は、多くの恋愛小説の中でこの変化を繰り返し読み取る。 たとえば、『恋文』や『花束みたいな恋をした』に登場する女性たちは、 別れを通して“依存する愛”から“自由に愛する力”へと移行する。 「愛することと、相手を手放すことは、実は同じ動詞である。」 彼女のこの一文は、まさに心理学的成熟の真理を突いている。 恋愛が終わったあとに訪れる“孤独の静寂”こそ、 人が他者と対等に関われる自由の入り口なのだ。 心理学者カレン・ホーナイは、「自立とは、孤独の受容を通して獲得される愛の形」と述べた。 愛は、相手に寄りかかるものではなく、並んで歩く力なのである。 5. 愛の成熟と“沈黙の関係”――語らない理解の心理 成熟した愛は、言葉を必要としない。 それは、共感でも説明でもなく、“存在そのものの共鳴”である。 心理学では、これを**静的共感(silent empathy)**と呼ぶことがある。 三宅香帆が『失恋ショコラティエ』や『カルテット』を読み解く際、 彼女が注目するのは、言葉ではなく“間”の表現だ。 人は成熟した関係において、沈黙の中で理解し合うことを学ぶ。 それは、感情の制御ではなく、感情の信頼である。 つまり、沈黙とは“感情の死”ではなく、“心の熟成”なのだ。 愛が終わっても、相手を思い出すときの静けさの中に、 人はようやく「愛とは何か」を知る。 心理学的にも、これは**感情の統合(emotional integration)**の段階である。 愛の喜びと痛み、期待と喪失を同時に抱えられるようになる。 成熟とは、相反する感情を矛盾のまま受け入れられる心の広がりなのだ。 6. “他者”として生きる愛――恋愛の倫理的転回 恋愛の成熟の最終段階は、“他者を他者として生かす”ことである。 それは、所有でも理想化でもなく、“共在(coexistence)”という倫理的態度である。 哲学者レヴィナスは、「愛とは、他者の他者性に驚き続けること」と述べた。 三宅香帆の批評も、まさにこの哲学に通じる。 彼女は“恋愛の終わり”を、“倫理の始まり”として読む。 愛が終わっても、相手の幸福を願えること。 それは、自己を超えた“他者の生への敬意”であり、 心理学的には**超越的関係性(transcendent relatedness)**と呼ばれる。 たとえば、別れた恋人が新しい誰かと幸せになったとき、 嫉妬ではなく静かな祈りを抱けるとしたら――それは成熟の証である。 それはもう「恋」ではなく、“生きる力”としての愛なのだ。 三宅香帆ならこう書くだろう。 「恋の終わりとは、愛が倫理に変わる瞬間。 私の世界が、あなたの幸福を含むほどに広がる瞬間。」 7. 終わりに――愛の終わりに見える“拡張された私” 恋愛の終わりは、人生の縮小ではなく、心の拡張である。 かつての恋人、喪失した愛、報われなかった想い―― そのすべてが、私という物語の一部として生き続ける。 心理学的に言えば、それは**統合的自己(integrated self)**の形成である。 愛を通して出会った他者が、私の思考・感情・価値観に宿り、 私の生をより複雑で、豊かなものにしていく。 三宅香帆の読解において、恋の終わりとは「物語の閉幕」ではなく、 「語り手が新しい文体を見つける瞬間」である。 それは、もはや“誰かのための愛”ではなく、“世界のための愛”への移行だ。 「恋は終わっても、私の中にあなたの語彙が残る。 その語彙で、私はこれからの人生を語っていく。」 ――それこそが、恋愛の終わりに訪れる“成熟”であり、 他者によって拡張された“私”という物語の、新しい始まりなのだ。 終章 恋愛は、“読む”という愛のかたち 1. 「読むこと」は、愛することのもうひとつの形式 三宅香帆が一貫して問い続けているのは、 「私たちは、なぜ恋愛を“読む”のか」という根源的な問題である。 それは単に物語を楽しむためではない。 彼女にとって“読む”とは、“自分の心を読み解く行為”であり、 他者を通じて自己を再発見する方法である。 恋愛小説を読むという行為は、 心理学的に言えば**内的投影(internal projection)**の安全な実験である。 登場人物に自分を重ねることで、私たちは“もしも”の愛を体験し、 そこに潜む自分の欲望や恐れに気づく。 三宅香帆の批評は、その「読書体験=恋愛体験」という二重構造を明晰に照らす。 「恋愛を読むことは、恋愛を生きることの延長線上にある。 読むことでしか、私たちは愛の意味を更新できない。」 恋愛とは、“理解できない他者”と向き合う経験であり、 読書もまた、“理解しきれない他者の言葉”と出会う行為である。 この構造的類似こそが、三宅香帆が「恋愛を読む」ことに見いだす本質的な美である。 2. 読む愛――他者の痛みを想像する力 恋愛の根底にあるのは、“想像する力”である。 他者の感情を推し量り、まだ言葉にならない思いを感じ取る。 心理学では、これを**共感的想像力(empathic imagination)**と呼ぶ。 三宅香帆は、読書を「想像力の倫理」として描く。 「物語を読むとは、他人の心に一晩泊まること。」 この“想像の宿泊”こそが、愛の基礎である。 恋人との対話、沈黙、誤解――それらすべては、 “相手の物語をどう読むか”という解釈行為に他ならない。 文学的読解とは、他者の言葉を奪わずに聴く訓練であり、 心理学的にもそれは**対話的自己(dialogical self)**の育成である。 恋愛において成熟した関係を築く人は、 相手を“読むように”観察し、“行間に耳を傾ける”人である。 三宅香帆が提示する“読む愛”とは、 他者の沈黙さえも受け入れる広がりを持つ愛の形だ。 3. “物語”が心を癒やす――読むことの心理的効用 失恋、別れ、孤独――それらはすべて、“語る”ことによって癒やされる。 心理学では、これを**ナラティヴ・ヒーリング(narrative healing)**と呼ぶ。 自分の体験を言葉として再構成することで、感情が整理され、意味が生まれる。 だが、三宅香帆はさらに一歩進める。 「自分の物語を語る前に、誰かの物語を読むことが、心を支える。」 読むことは、語ることの前段階である。 自分ではまだ言葉にできない痛みを、他者の物語が代弁してくれる。 “読む”とは、“言葉を借りる”ことであり、 それによって、心は静かに整っていく。 恋に敗れた人が小説を読むのは、逃避ではない。 それは、「誰かも同じ痛みを経験している」と知るための再接続の行為である。 心理学的に言えば、これは自己の普遍化(universalization of self-experience)―― “孤独の共有”を通じて癒やしが進むプロセスだ。 つまり、“読む愛”とは、心のリハビリテーションでもある。 読むことによって、私たちは“他者の痛みを通して、自分の痛みを整理する”のだ。 4. SNS時代における“読む愛”の再定義 SNSの時代、私たちは他者の恋愛を「読む」ことに慣れすぎている。 タイムラインには、幸せそうなカップル、別れの報告、愛のポエム。 だが、それらは“編集された物語”に過ぎない。 三宅香帆の批評が鋭いのは、 この“無限に流れる他者の恋愛物語”の中で、 私たちが「読むこと」をどう回復するかを問う点である。 「本を読むように、誰かの人生を読めるだろうか。 評価ではなく、解釈として。」 SNS的読解は、速く・浅く・反射的だ。 しかし、三宅香帆の提案する“読む愛”は、 遅く・深く・沈黙を伴う。 それは「相手を解釈する」行為であり、 心理的には**熟考型共感(reflective empathy)**と呼ばれる能力である。 この読解的な愛は、情報に満ちた現代社会において、 “スピードよりも意味”を重視する生き方そのものでもある。 恋を読むとは、生きるペースを取り戻すことなのだ。 5. “読む愛”が導く成熟――他者との共存の文学 恋愛の終着点は、所有でも情熱でもない。 それは、「他者と共に生きることを理解する」地点である。 そしてその理解の形式が、“読む”という行為である。 三宅香帆は、恋愛を「共読(きょうどく)」とみなす。 つまり、愛とは二人でひとつの物語を“読んでいく”プロセスであり、 時に異なる解釈が生まれ、語り合い、すれ違い、 それでも同じ本を閉じない関係のことだ。 心理学的にも、これは**共感的共存(empathic coexistence)**と呼ばれる関係性である。 相手を理解しようと努力しつつ、理解できない部分をも受け入れる。 その“余白”にこそ、愛の成熟が宿る。 文学とは、他者の声を聴く訓練であり、 恋愛とは、他者の沈黙を聴く実践である。 “読む愛”とは、この二つをつなぐ橋である。 6. “私”を超えていく愛――物語が示す人間の可能性 恋愛を読むとき、私たちは他者の感情に入り込みながら、 同時に自分の感情を相対化している。 この往復運動こそが、“私”を超える第一歩である。 心理学者ヴィクトール・フランクルは、 「人生の意味は、自己超越(self-transcendence)の中にある」と語った。 恋愛を通して他者を思うこと、 そして他者の物語を読むこと――そのどちらも、 私を超えて“人間全体”への感受性を開く行為なのだ。 三宅香帆はその到達点を、こう言葉にするだろう。 「恋愛とは、世界をもう一度“読む”こと。 愛することは、生を新しい文法で書き直すこと。」 読むという行為がある限り、愛は終わらない。 なぜなら、人は読むことで、常に他者とつながり直すからである。 7. 終わりに――“読む”という静かな祈り 愛とは、語ることよりも、読むことに近い。 誰かの言葉を信じ、沈黙を理解し、 見えない部分に想いを注ぐこと。 三宅香帆の批評が導く最終的な境地は、 「愛は、読むように生きること」だ。 読むとは、待つこと。 読むとは、信じること。 読むとは、他者に場所を譲ること。 恋愛心理学が「愛の成長」を語るなら、 文学は「愛の静けさ」を語る。 そしてそのふたつが交わるところに、 “読む愛”という人間の成熟が生まれる。 「愛することも、読むことも、 結局は“世界を信じ直す”ための行為である。」 恋愛を読むこと――それは、 他者を理解しようとする心の最も美しいかたちであり、 人間が孤独を超えるための、静かな祈りなのである。 【全体結語】 三宅香帆の視点から見ると、恋愛とは“物語としての人間存在”である。 愛すること、失うこと、語ること、沈黙すること―― そのすべてが、「読む」という営みに還元される。 恋とは、他者を読む練習であり、 愛とは、他者を読み続ける勇気である。 読むことによって、人は他者を理解し、 愛することによって、人は世界を理解する。 “読む愛”――それは、言葉と沈黙を超えて、 人間が最も人間らしく生きるための、永遠の行為である。
ショパン・マリアージュ
2025/11/10
17焦って婚活していた彼女が、肩の力を抜いた瞬間に出会えた理由
38歳のKさん。 「今年こそ結婚したい」と決意して始めた婚活。最初は月に8件以上のお見合いを組み、積極的に動いていました。 しかし3か月経っても成果が出ず、「なんで私はダメなんだろう」と焦りと自己否定に。
マリッヂサポート 梅田店
2025/10/24
18婚活男性必見!初デートの支払いはどうする?割り勘より男性が出すべき理由とマナー
婚活男性必見! 初デートの支払いはどうする? 割り勘より男性が出すべき理由とマナー 婚活中の男性にとって、初デートの支払いは悩みどころです。「割り勘でもいいの?」「全額出すと重く感じられる?」結論から言うと、初デートの支払いは男性が出すのがスマートです。 婚活における支払いは、単なるお金の問題ではなく、女性に与える印象やデート成功率に直結します。ここでは、婚活男性向けに「初回デートでの支払いのポイント」と「女性が好印象を持つマナー」を詳しく解説します。 女性は「奢られたい」わけではない 婚活デートで女性が見ているのは、単純にお金ではありません。本当に見ているのは、思いやりや気遣いの態度です。 「奢られたい」より「気持ちよく対応してくれる男性が素敵」 金額よりも、あなたの立ち振る舞いや表情、言葉遣いが印象を左右します。 初デートで男性が出すメリット 安心感を与えられる 初対面の女性は、男性の余裕や誠実さをチェックしています。自然に支払うことで「信頼できる人」と認識されやすくなります。 次のデートにつなげやすい 「今日は出しますね」とスマートに支払い、女性が「次は私が」と言いやすい雰囲気を作れます。 婚活マナーとして印象が良い 婚活市場では、初回デートで男性が支払うのが一般的マナーです。マナーを守れる男性は、女性に安心感を与え、他の男性との差別化にもなります。 スマートな支払い方のコツ 迷わずさっと支払う:会計のタイミングで迷うと女性が気まずくなります。 言葉を添える:「今日は会えてうれしかったので、ここは僕に出させてください」と一言添えるだけで印象が変わります。 次につなげる:女性が「次は私が」と言ったら、柔軟に受け止める。 割り勘はNG? 「割り勘でもOK」と言う女性もいますが、婚活では最初は男性が出す方が無難です。割り勘にする場合は、相手の価値観や雰囲気を見て自然に交わすことがポイントです。 まとめ 婚活男性にとって、初デートの支払いは金額より気持ちを伝えるチャンスです。割り勘より男性が出す方がスマートで、思いやりのある対応は女性の心に残ります。 マリッジサロン プールトゥジュールでは、初デートの支払いマナーや会話・立ち振る舞いまで、婚活男性が自信を持てるようサポートしています。柏市・流山市・松戸市・鎌ヶ谷市など近隣エリアで婚活中の男性の方は、ぜひ無料カウンセリングをご利用ください。
マリッジサロン プールトゥジュール
2025/10/23
19婚活プロフィールを“売れる広告”に変える方法|伝え方で印象は180度変わる
婚活プロフィールを“売れる広告”に変える方法――伝え方で印象は180度変わる こんにちは。ななほし結婚相談所、代表カウンセラーの柳原です。 婚活をしていて、「プロフィールはちゃんと書いてるのに、反応がない」という方はいませんか?実はそれ、“内容が悪い”のではなく、“伝え方がもったいない”だけなんです。 プロフィールは、あなたという“ブランドの広告”です。同じ内容でも、「伝わる文章」と「スルーされる文章」はまったく違います。 ▶ななほし結婚相談所では、毎日婚活情報を発信中!公式ホームページ:https://www.nanahoshi-marriage.jp/blog/ 「事実」ではなく「感情」で伝える 多くのプロフィールは、“事実の羅列”になっています。たとえば、 ×「休日は映画を観たり、買い物に出かけたりしています。」○「映画館の静かな時間が好きで、観終わったあとに感想を語り合える相手がいたら嬉しいです。」 事実を“感情”に変えるだけで、相手の想像力が動きます。プロフィールは、相手にあなたとの未来をイメージさせる文章にすることが大切なんです。 “数字”ではなく“雰囲気”で差をつける 「年齢・年収・身長」などの数字は、婚活の判断材料にはなります。でも、数字で勝負してしまうと、比較の世界から抜け出せません。 本当に選ばれる人は、数字ではなく“雰囲気”を伝えています。 「周囲からは“穏やか”と言われることが多く、会話の中で笑ってもらえる瞬間が好きです。」「仕事帰りに一緒に夕飯を作れるような関係が理想です。」 このように、相手が会話を想像できる雰囲気を描くと、印象が残ります。 写真は「盛る」より「整える」 写真は、最初の3秒で判断される“広告の表紙”。多くの人が「盛る」ことに意識が行きますが、実際に大切なのは“整える”ことです。 背景が明るいこと 口角が自然に上がっていること 服装が清潔で柔らかい色味であること この3つだけで、見られ方が大きく変わります。あなたの印象を作るのは、“見せたい自分”ではなく“相手が感じる安心感”です。 柳原の意見 婚活プロフィールは、“履歴書”ではありません。数字や経歴ではなく、「あなたという人の物語」を伝える場所です。 婚活でうまくいく人は、自分を飾るのではなく、“共感してもらえる伝え方”を知っている人です。 文章を少し変えるだけで、あなたの印象は180度変わります。それこそが、“売れる広告”に変えるということ。 ▼下記の無料相談からご予約いただけます
ななほし結婚相談所
2025/10/30
20「年上の結婚相手」ってどうなの?年齢差婚のリアルと成功の秘訣
「年上の結婚相手」ってどうなの?年齢差婚のリアルと成功の秘訣 こんにちは。ななほし結婚相談所、代表カウンセラーの柳原です。 婚活中に「年上の相手はちょっと…」と思ってしまう方は少なくありません。でも実は、成婚者の中には“年上婚”で幸せな夫婦生活を送っている方も多いんです。 ▶ななほし結婚相談所では、毎日婚活情報を発信中!公式ホームページ:https://www.nanahoshi-marriage.jp/blog/ 年上婚が増えている理由 以前は「男性が年上・女性が年下」という形が主流でしたが、最近は女性が年上のカップルも増加傾向 にあります。 理由はシンプルで、 精神的な安定を求める人が増えた 同年代の恋愛に疲れた 年上の方が包容力・落ち着きがある といった価値観の変化が背景にあります。 年上の結婚相手が向いているタイプ 婚活では、“年上が合う人”と“そうでない人”がいます。 年上が合う人 相手に落ち着き・安心感を求める人 甘えられる関係を築きたい人 人生経験を尊重できる人 年上が難しい人 対等でない関係にストレスを感じやすい人 プライドが高く、相手のアドバイスを受け入れにくい人 つまり、年齢差そのものではなく、心の柔軟性があるかどうか がポイントです。 年上婚をうまく進めるコツ 年齢ではなく「相性」で判断する数字よりも、会話のテンポや価値観の一致が大切。 遠慮しすぎない年上相手だと、つい“立てよう”としすぎて距離ができてしまう。自然体を意識すること。 お互いの違いを楽しむ世代差はむしろ会話のネタになります。無理に合わせず、「違って当然」と受け入れる心が大事です。 柳原の意見(まとめ) 年上の結婚相手は、決して“妥協”ではありません。むしろ、安定・包容力・落ち着いた愛情 を求める方にとっては最適な選択です。 婚活では、年齢という“数字”ではなく、“一緒にいて心が落ち着く人”を探すこと。そこに気づける人ほど、年上婚で幸せをつかんでいます。 ▼下記の無料相談からご予約いただけます
ななほし結婚相談所
2025/10/21
