新年あけましておめでとうございます✨ 今年も一年よろしくお願いします。
今年は午年。60年に一度の丙午です。1966年、昭和41年が前回の丙午の年です。この年の出生数は前後の年の出生数に比べて、約50万人も少ないそうです。実際に私が通っていた学校では、丸々一クラス少なかったです。では、なぜそんなに出生数が減少する程、丙午は避けられてしまったのでしょうか。
日本の伝統芸能歌舞伎の演目にもある「八百屋のお七」は、こんなお話。
天和元(1681)年2月の大火で焼け出された八百屋太郎兵衛一家は、駒込の円乗寺前に仮小屋を建て、しばらく住んでいました。 そのうちに、娘お七は、寺小姓の左兵衛と人目を忍ぶ仲になっていましたが、皮肉にも太郎兵衛の新居が元の場所にできたので、門前の仮住いを引き払わなければならなくなりました。 その後のお七の胸の内は、いまさらいうまでもありません、そこに現れたのが、ならず者の吉三郎で、彼はお七の耳にささやきました。 「それほどお小姓が恋しいのなら、もう一度、家が火事になれば円乗寺に行ってられるぜ。」 恋は盲目のたとえどおり、お七は前後の見境もつかなくなり、明けて間もない1月のある日、自分の家に火をつけ、円乗寺へと駆け出したのです。 この放火が、江戸の中心部を総なめにする大火の元となったという説もありますが、実際は近所の人がすぐに消し止め、ボヤで済んだというのが真実のようです。 しかし、当時は「失火者斬罪令」(延宝6年)があった時代です。 ましてや放火犯人は引回しの上、死罪とされていましたので、お七は天和3(1683)年3月29日、鈴ヶ森で火焙りの刑に処せられたのです。 この時、お七は17歳でした。 ならず者の吉三郎は、お七をそそのかし、火事場泥棒を決め込んでいたところを捕えられ、教唆犯としてお七と同じ刑に処せられたのです。 (『江戸火消年代記』より)
八百屋のお七が丙午だったことから、「丙午に女児を産んではいけない」「丙午の女性は災いをもたらす」「気性が激しく、夫の命を縮める」と言った迷信が存在した。
強い女性、いいじゃないですか… 丙午大歓迎ですッ! 婚活支援は丙午の今年もつづきます。
