三宅香帆氏『「夫婦」不在社会』をショパン・マリアージュの視点から読む ――「結婚する二人」から「夫婦であり続ける二人」へ https://www.cherry-piano.com
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はじめに――結婚したはずなのに、なぜ「夫婦」がいなくなるのか
結婚相談所という場所にいると、日々、不思議な言葉に出会う。 「結婚したいんです」 多くの人がそう言って相談室の扉を開く。 けれども、その人に、 「では、どんな夫婦になりたいですか」 と尋ねると、しばしば沈黙が訪れる。 「優しい人がいいです」 「経済的に安定している人がいいです」 「価値観が合う人がいいです」 「一緒にいて疲れない人がいいです」 こうした答えはもちろん間違ってはいない。 だが、それらは多くの場合、「どんな相手を選びたいか」についての答えであって、「その相手とどんな関係をつくりたいか」についての答えではない。 ここに、現代の婚活が抱える大きな空白がある。 私たちは結婚相手については驚くほど詳細に考える。 年齢。 年収。 学歴。 職業。 身長。 居住地。 趣味。 喫煙の有無。 飲酒。 家族構成。 結婚後の居住地。 子どもを望むかどうか。 共働きを望むか。 プロフィール欄には、人生のあらゆる条件が並ぶ。 しかし、 「結婚後、二人は何について話すのか」 「悲しいとき、どんなふうに支え合うのか」 「意見が食い違ったとき、どのように仲直りするのか」 「仕事に追われているとき、相手の孤独に気づけるのか」 「10年後も、夫婦として二人だけで食事をする時間を持つのか」 という問いについては、不思議なほど語られない。 結婚の入口については熱心なのに、結婚の内部については驚くほど想像されていないのである。 三宅香帆氏の『「夫婦」不在社会』が投げかける問題は、まさにこの場所に触れている。 本書は2026年7月に講談社から刊行され、昭和から令和にかけて広く読まれ、見られてきた小説・漫画・ドラマ・映画を通して、「夫婦」がどのように描かれてきたのかを考察する。そこに浮かび上がるのは、同じ家族でありながら、互いを理解できず、言葉を交わせず、ディスコミュニケーションに陥っている夫婦の姿である。 三宅氏は『【推しの子】』『THE FIRST SLAM DUNK』『汝、星のごとく』『海のはじまり』、村上春樹作品、坂元裕二脚本『ファーストキス 1ST KISS』など、一見異なる作品を横断しながら、「家族の中で夫婦という関係はどこにいるのか」という問いを掘り下げている。 この問いは、結婚相談所にとって決して遠い文学論ではない。 むしろ、婚活支援の核心にある問いである。 なぜなら結婚相談所が本当に支援すべきなのは、 「結婚できる人を増やすこと」だけではなく、「結婚後も夫婦であり続けられる二人を育てること」 だからである。 ショパン・マリアージュの立場から言えば、婚活とは結婚式というゴールへ向かう競走ではない。 それは、まだ出会っていない二人が、 やがて同じ人生を演奏するための、 長い「調律」の時間なのである。
第1章 恋愛物語は多いのに、夫婦の物語が少ないという奇妙さ
私たちは、恋が始まる物語には慣れている。 偶然出会う。 惹かれ合う。 すれ違う。 ライバルが現れる。 別れる。 再会する。 そして最後に抱きしめ合う。 画面には夕焼けが広がり、音楽が流れ、 物語は終わる。 だが本当の人生は、その翌朝から始まる。 洗濯物がある。 電気料金の支払いがある。 どちらがゴミを出すかという話がある。 仕事で疲れて帰ってくる日がある。 子どもが熱を出すことがある。 親が病気になることもある。 転勤もある。 失業もある。 昇進もある。 更年期もある。 病気もある。 老いもある。 愛する人が隣にいることそのものが、日常になっていく。 つまり、恋愛物語が「出会い」を描くならば、夫婦の物語は「持続」を描かなければならない。 ところが、持続はドラマにしにくい。 「今日も夫婦が普通に夕食を食べました」 では、大事件にならない。 しかし人生とは、その大事件にならない日々の積み重ねなのである。 三宅氏はインタビューで、文芸の世界では夫婦の問題が意外に少なく、心理学やカウンセリングの分野には夫婦コミュニケーションの本が多数ある一方、文芸では急に遠い存在になっていることを不思議に感じたと説明している。 これは非常に示唆的である。 私たちの文化は、 恋愛の始め方については多くの物語を持っている。 しかし、 愛を続ける方法についての物語は、それほど豊富ではない。 だから婚活においても、 「どうすれば好かれますか」 「お見合いでは何を話せばいいですか」 「LINEは何時間後に返せばいいですか」 「何回目のデートで告白すべきですか」 という質問は大量にあるのに、 「結婚して7年後、会話が減ったときどうすればいいですか」 という問いを、婚活中から考える人はほとんどいない。 しかし本当は、後者こそ大切なのである。 婚活とは恋愛テクニックを磨く時間ではない。 夫婦になる能力を育てる時間なのである。
第2章 「条件の一致」と「関係の成立」はまったく違う
ある35歳の女性を想像してみよう。 仮にAさんとする。 Aさんは非常に真面目だった。 大学を卒業し、専門職として働き、貯蓄もしっかりしている。 婚活を始めた彼女は、希望条件を明確にしていた。 男性は、 35歳から42歳。 大卒。 年収600万円以上。 正社員。 非喫煙。 初婚。 北海道内在住。 身長170センチ以上。 結婚後も共働きを希望。 子どもを希望。 彼女は言った。 「私は現実的に考えているつもりです」 確かに現実的だった。 しかし私は彼女に尋ねる。 「仕事で失敗して落ち込んで帰ったとき、どんな人が隣にいてくれたら嬉しいですか」 彼女は少し困った顔をした。 「……優しい人でしょうか」 「では、優しいとは、具体的に何をしてくれる人ですか」 さらに沈黙した。 婚活では、この沈黙が重要である。 なぜなら人は、 年収600万円という数字は想像できても、 「悲しい夜に一緒に黙ってお茶を飲んでくれる人」 という幸福を、意外なほど想像していないからである。 数カ月後、Aさんは条件のほとんどを満たす男性と出会った。 38歳。 会社員。 年収約700万円。 穏やかな性格。 清潔感もある。 プロフィールだけを見れば申し分なかった。 ところが、3回目のデートの後、彼女は言った。 「いい人なんです。でも、なぜか疲れるんです」 詳しく聞くと、 男性はAさんの話に対していつも解決策を提示していた。 Aさんが、 「最近仕事が忙しくて」 と言えば、 「部署を変えてもらえば?」 と言う。 「上司との関係が少し大変で」 と言えば、 「気にしなければいいよ」 と言う。 彼に悪意はない。 むしろ助けようとしている。 しかしAさんが求めていたのは解決ではなかった。 「それは大変だったね」 という一言だったのである。 ここで起きているのは、 条件の不一致ではない。 感情の翻訳方式の不一致である。 プロフィールには書かれない。 年収にも書かれない。 学歴にも書かれない。 だが、結婚生活ではこちらの方がはるかに重要になる。 ショパン・マリアージュが婚活において重視するべきなのは、この「プロフィールの外側」である。 結婚相手を探すとき、人はどうしても「完成した人物」を選ぼうとする。 しかし夫婦とは完成品同士の契約ではない。 互いに未完成の二人が、 違いを翻訳し続ける共同作業なのである。
第3章 三宅香帆氏が示す「ディスコミュニケーション」という核心
『「夫婦」不在社会』の重要なキーワードの一つが、夫婦のディスコミュニケーションである。出版社も本書を、物語を分析することで「ディスコミュニケーションにあえぐ夫婦」を描き出す夫婦論として紹介している。 ここで考えたいのは、 「会話があること」と「コミュニケーションがあること」は同じではない、 ということである。 夫「今日、何時に帰る?」 妻「7時くらい」 夫「夕飯いる?」 妻「いる」 夫「明日ゴミの日だよ」 妻「分かった」 これも会話ではある。 しかし、この二人が半年間、 「最近どう?」 と聞き合っていないとしたらどうだろう。 「今の仕事、幸せ?」 「最近、不安なことある?」 「私たち、ちゃんと仲良くできているかな」 「何か我慢していることない?」 そうした会話が消えている。 すると夫婦は、いつの間にか「家庭運営株式会社」の共同経営者になる。 家計。 送迎。 掃除。 洗濯。 育児。 予定。 保険。 住宅ローン。 そのすべては大切である。 しかし、それだけになれば、 夫婦という関係は少しずつ透明になる。 同じ家にいる。 同じベッドで眠る。 同じ名字を名乗る。 同じ子どもの親である。 それなのに、 「あなたは今、何を考えているの?」 と聞けなくなる。 これこそ、 「夫婦不在」の一つの姿ではないだろうか。 不在とは、離婚ではない。 別居でもない。 相手の内面に関心を持たなくなった状態である。 そして恐ろしいことに、 この不在は音を立てて始まらない。 ある日突然、夫婦が壊れるのではない。 小さな無関心が堆積する。 「今日は疲れているから、また今度」 「言っても分からないからいい」 「こんなこと話すほどでもない」 「相手も忙しいし」 そうやって言葉が一つずつ減っていく。 ショパンの音楽で言えば、 音を間違えることよりも怖いのは、 互いの音を聴かなくなることだ。 連弾する二人が、 自分のパートだけを正確に弾いている。 音符は間違っていない。 しかし音楽にならない。 夫婦にも、 まったく同じことが起こるのである。
第4章 「結婚したい」の中に隠れているもの
婚活相談で、 「なぜ結婚したいのですか」 と尋ねると、いろいろな答えが返ってくる。 「一人で老後を迎えるのが不安だから」 「子どもが欲しいから」 「親を安心させたいから」 「友達がみんな結婚したから」 「家に帰ったとき誰かいてほしいから」 「支え合える人が欲しいから」 どれも自然な気持ちである。 しかし注意しなければならない。 「孤独をなくすための結婚」は、 ときとして、 「相手を孤独対策として利用する結婚」 になってしまうからである。 例えば42歳の男性Bさん。 公務員。 穏やかで誠実。 婚活を始めた理由を尋ねると、 「家に帰って誰もいないのが寂しくなった」 と言った。 それ自体は何も悪くない。 しかし話を深めると、 彼が思い描く結婚生活はこうだった。 仕事から帰る。 妻がいる。 夕食がある。 一緒にテレビを見る。 休日は買い物に行く。 そこで私は聞いた。 「奥様が仕事であなたより遅く帰る日は?」 彼は少し驚いた。 「まあ、僕が何か作ることになるんでしょうね」 「奥様が落ち込んでいたら?」 「話を聞くと思います」 「では、あなたが奥様にしてあげたいことは何でしょう」 長い沈黙。 この沈黙こそ重要である。 彼の結婚像には、 「妻がいる生活」はあった。 しかし、 「妻という一人の人間の人生」は、 まだ存在していなかった。 これは決してBさんだけの問題ではない。 私たちは皆、 結婚を願うとき、 知らないうちに自分を主人公にする。 「私を幸せにしてくれる人」 「私を理解してくれる人」 「私を支えてくれる人」 しかし夫婦とは、 二人の主人公が存在する物語である。 相手にも仕事がある。 疲れがある。 親がいる。 過去がある。 夢がある。 不安がある。 一人になりたい夜もある。 夫婦になるとは、 自分の人生に相手を出演させることではない。 相手の人生にも、自分が登場人物として参加することなのである。
第5章 共働き時代に最も不足するものは「愛」ではなく「時間」である
三宅氏は刊行後のインタビューで、パートナーシップは「想像より大変」であり「想像より時間がかかる」と述べている。また、大人同士のパートナーシップそのものに時間を取ることが大切だという感覚が、日本ではまだ薄いのではないかとも指摘している。 ここは現代の結婚を考える上で非常に重要である。 私たちは夫婦問題を、 愛情の有無で説明しがちだ。 「冷めた」 「愛がなくなった」 「気持ちが離れた」 しかし実際には、 愛情がなくなったのではなく、 愛情を確認する時間がなくなった という夫婦も多い。 朝6時半。 夫が起きる。 7時。 妻が子どもを起こす。 7時半。 朝食。 8時。 保育園。 8時半。 通勤。 9時から18時まで仕事。 19時。 迎え。 19時半。 夕食。 20時。 入浴。 21時。 寝かしつけ。 22時。 洗濯。 23時。 仕事のメール。 0時。 就寝。 この生活のどこに、 「夫婦」がいるだろう。 父親はいる。 母親はいる。 社員もいる。 家事担当者もいる。 しかし、 恋人だった二人は、 どこにいるのだろう。 これこそ現代の「夫婦不在」の非常に具体的な姿である。 だから夫婦関係を守るために必要なのは、 壮大な愛情表現ではない。 週に30分でも、 夫婦として時間を予約することなのかもしれない。 スマートフォンを置く。 テレビを消す。 子どもが寝たあと、 コーヒーを淹れる。 そして、 「今週どうだった?」 と聞く。 たったそれだけでよい。 愛はしばしば、 激情ではなく、 予定表の中に確保された30分 として存在する。
第6章 婚活において見るべきは「会話力」ではなく「修復力」である
婚活ではよく、 「会話が盛り上がりました」 という報告を聞く。 もちろん喜ばしい。 しかしショパン・マリアージュの視点では、 盛り上がる会話以上に大切なものがある。 それは、 関係を修復する能力 である。 夫婦生活では必ず意見がぶつかる。 どんなに相性の良い二人でも、 意見は違う。 旅行。 家計。 子どもの教育。 親との付き合い。 住宅。 休日。 仕事。 性生活。 友人。 家事。 何もかも一致する夫婦など存在しない。 だから重要なのは、 「喧嘩しない相手」 ではなく、「喧嘩したあと戻ってこられる相手」 である。 例えば婚活中のCさんとDさん。 交際3カ月。 ある日、待ち合わせでDさんが30分遅刻した。 Cさんは不機嫌になり、 「時間にルーズな人は苦手です」 と言った。 Dさんは、 「そんなに怒ること?」 と反論した。 空気が悪くなった。 普通なら、 「相性が悪い」 という結論になるかもしれない。 しかし翌日、Dさんから連絡が来た。 「昨日はごめんなさい。遅刻したことより、あなたが嫌だったと言っているのに、それを軽く扱ったことが良くなかったと思いました」 Cさんも答えた。 「私も言い方がきつかったです。昔、約束を何度も破られた経験があって、時間のことに敏感になっているのかもしれません」 この瞬間、 二人は昨日より少し深い関係になった。 喧嘩しなかったからではない。 喧嘩を材料に、相手について学んだからである。 夫婦とは、傷つけない関係ではない。 人間同士である以上、必ず傷つける。 重要なのは、 傷つけた後に、 「あなたに何が起きていたのか」 と尋ねられることである。
第7章 村上春樹作品の「沈黙する夫」から婚活男性を考える
三宅氏は『ねじまき鳥クロニクル』について、歴史・戦争・政治などの文脈で論じられることが多い一方、自身は強く「夫婦の問題に取り組んだ作品」として読んできたと語っている。また、村上春樹作品、とりわけ前期から中期にはパートナーシップへの焦点があるのではないかという読みを提示している。 ここから婚活に引き寄せて考えたいのは、 男性の「沈黙」である。 もちろん男女を単純に分類するべきではない。 しかし婚活相談では、しばしば、 「気持ちを言葉にすることが苦手な男性」 に出会う。 女性から、 「私のこと、どう思っていますか」 と聞かれる。 男性は、 「嫌なら会ってないよ」 と答える。 論理的にはその通りである。 しかし女性が聞きたいのは論理ではない。 「一緒にいると落ち着く」 「もっと知りたいと思っている」 「会えるのを楽しみにしている」 という感情なのだ。 ところが男性は、 そうした言葉を「わざわざ言う必要があるのか」と感じる。 その結果、 女性は、 「好かれているのか分からない」 となる。 男性は、 「ちゃんと行動で示しているのに」 となる。 ここにディスコミュニケーションが生まれる。 愛情には、 存在することと、 伝わることの間に、 大きな距離がある。 愛していることと、 相手が愛されていると感じることは、 同じではない。 だから婚活で必要なのは、 感情の言語化である。 「楽しかったです」 だけで終わらせない。 「あなたが仕事の話をしているとき、とても生き生きしていて素敵だと思いました」 と言う。 「また会いましょう」 だけではなく、 「今日話した本の続きを聞きたいので、また会いたいです」 と言う。 具体的な言葉は、 相手の不安を減らす。 言葉とは、 愛の証明書ではない。 相手がこちらまで渡ってくるための橋なのである。
第8章 「察してほしい」という愛の危うさ
一方で女性側にも、 沈黙はある。 それは、 「察してほしい」 という沈黙である。 婚活中のEさんは、 交際相手に不満を持っていた。 「彼、全然気が利かないんです」 何があったのか聞くと、 誕生日のことであった。 Eさんは、 「別に何もしなくていいよ」 と言った。 男性は、 その言葉を文字通り受け取った。 当日、 「誕生日おめでとう」 というメッセージだけ。 Eさんは激怒した。 「普通、何もしなくていいと言われても、少しくらい考えませんか?」 気持ちは分かる。 しかし、 相手からすれば、 言われた通りにしただけである。 ここで考えたい。 なぜ私たちは、 愛する相手にほど、 「言わなくても分かるはず」 と思ってしまうのだろう。 おそらく、 言わなくても分かってもらえることを、 愛の証明だと感じているからである。 しかし長期的な夫婦関係において、 これは危険な幻想である。 本当に成熟した関係は、 「察してくれる関係」 ではない。 「言っても嫌われない関係」 である。 「誕生日は少し特別に過ごしたい」 と言える。 「今日は疲れているから家事をお願いしたい」 と言える。 「その言い方は傷つく」 と言える。 「一人になりたい」 と言える。 そして相手も、 「分かった」 と言える。 夫婦の親密さとは、 心を読む能力ではない。 心を言葉にしても安全であるという信頼なのである。
第9章 結婚相談所は「成婚」をゴールにしてよいのか
結婚相談所には「成婚退会」という言葉がある。 非常に美しい言葉である。 二人が出会い、 交際し、 結婚を決意する。 カウンセラーにとっても嬉しい瞬間だ。 しかし私は、 この言葉に少しだけ警戒したい。 成婚を「卒業」にしてしまうと、 そこから先は二人だけの問題になってしまうからである。 本当の難しさは、 むしろそこから始まる。 お見合いでは、 相手に集中する。 デートでは、 相手の話を聞く。 交際中は、 LINEも送る。 記念日も覚えている。 ところが結婚すると、 「もう分かっている」 と思い始める。 恋人時代には、 「今日はどうだった?」 と聞いた人が、 結婚5年後には、 テレビを見ながら、 「ふーん」 と言う。 交際中には、 駅まで送った人が、 10年後には、 相手が重い荷物を持っていても気づかない。 なぜか。 愛がなくなったからではない。相手が「日常」に変わったからである。 人間は、 いつもそこにあるものを見なくなる。 窓から見える山。 時計の音。 冷蔵庫の低い振動。 そして、 隣にいる人。 だからショパン・マリアージュにとって、 婚活の最終目標は、 「結婚相手を見つけること」 ではない。 「相手を当たり前にしない習慣を身につけること」 でなければならない。
第10章 夫婦不在を生み出す5つの小さな習慣
夫婦は大事件だけで壊れるのではない。 むしろ日常の小さな習慣によって、 ゆっくり不在になる。 第一は、 返事をしなくなること。 「今日疲れた」 「ふーん」 「仕事大変だった」 「そう」 これが積み重なると、 人は話さなくなる。 第二は、相手を機能で見ること。 「ご飯を作る人」 「稼いでくる人」 「子どもを迎える人」 「車を運転する人」 人間が役割に変わる。 第三は、 感謝を省略すること。 「夫婦なんだから当然」 この言葉は、 愛情を静かに腐食させる。 第四は、 問題を先送りすること。 「今は忙しいから」 「また今度」 「別に大したことじゃない」 小さな違和感は、 消えるのではない。 堆積する。 第五は、 二人だけの時間を無くさないこと。 家族の時間はある。 しかし夫婦の時間がない。 この違いは大きい。 子どもと一緒に外食することと、 夫婦二人で食事をすることは、 同じではない。 夫婦には、 父と母になる前の二人を、 ときどき思い出す時間が必要なのである。
第11章 「家事分担」の問題に見えて、実は「承認」の問題である
夫婦相談で頻繁に登場するのが、 家事の問題である。 「夫が家事をしない」 「妻が細かすぎる」 しかし家事の問題は、 単なる作業量の問題ではないことが多い。 例えば妻が言う。 「ゴミ出しくらいやってよ」 夫は答える。 「やってるだろ」 実際、夫は週2回ゴミを出している。 しかし妻が言いたいのは、 ゴミ袋を玄関から集積所へ移動することだけではない。 ゴミ箱がいっぱいになっていると気づく。 袋を交換する。 分別する。 収集日を覚える。 新しいゴミ袋を買う。 そうした「見えない管理」を、 誰が担っているのかという問題である。 夫からすれば、 「言ってくれればやる」 妻からすれば、 「言うこと自体が仕事なの」 となる。 ここに、 典型的なディスコミュニケーションが起きる。 重要なのは、 どちらが正しいかを決めることではない。 「あなたには世界がどう見えているのか」 を知ることである。 夫婦関係とは、 正解を競う場所ではない。 二つの現実を持ち寄る場所なのである。
第12章 仕事を愛することと、夫婦を愛することは両立できるか
現代の結婚における最大の競争相手は、 第三者ではない。 仕事かもしれない。 不倫相手より、 スマートフォンかもしれない。 三宅氏の問題意識には、忙しい現代において仕事と家庭をどう両立するのかという問いが明確に置かれている。 婚活では、 「仕事を頑張っている人」 は魅力的に見える。 責任感がある。 収入も安定している。 しかし結婚生活では、 仕事熱心さが別の顔を見せることがある。 帰宅は毎晩22時。 休日もメール。 旅行中もパソコン。 子どもの運動会でも電話。 本人は家族のために働いている。 しかし家族から見ると、 「私たちより仕事が大切」 に見える。 ここには悲劇がある。 誰も悪くない。 夫は愛している。 妻も愛している。 それでもすれ違う。 だから婚活中に、 「年収はいくらですか」 だけではなく、 「仕事は人生の中でどんな位置づけですか」 と尋ねることは重要である。 そしてさらに、 「忙しいときでも、夫婦の時間をどう確保しますか」 と考える。 結婚相手の職業を見るとは、 勤務先を見ることではない。その人が時間を何に捧げる人なのかを見ることなのである。
第13章 子どもが生まれた瞬間、夫婦が消えることがある
子どもの誕生は、 人生で最も大きな幸福の一つである。 しかし同時に、 夫婦関係に大きな構造変化を起こす。 恋人だった二人が、 父と母になる。 会話の中心は、 ミルク。 離乳食。 保育園。 病院。 学校。 塾。 習い事。 進学。 いつしか、 「あなたは最近どう?」 という会話より、 「明日の迎えお願い」 の方が増える。 家族は強くなる。 しかし夫婦は薄くなることがある。 ここに、 非常に重要な逆説がある。 良い家族を作ろうとして、夫婦関係を失うことがある。 子どものためにすべてを捧げる。 しかし子どもにとっても、 両親が互いを尊重している姿を見ることは、 一つの大切な経験である。 だから、 夫婦だけで食事に行くことを、 「子どもを置いて遊ぶ」 と考える必要はない。 それは家族を守るための時間でもある。 三宅氏は、成人同士のパートナーシップに時間を取ること自体が十分に重視されてこなかったのではないかという趣旨を語っている。 ショパン・マリアージュの立場から言えば、 これは婚活段階から伝えておきたい。 結婚した後、 子どもが生まれても、 「お父さん」「お母さん」だけにならないこと。 ときどき、 名前で呼ぶ。 ときどき、 二人で歩く。 ときどき、 出会った頃の話をする。 夫婦とは、 親になることによって消滅する役割ではない。
第14章 「好きだから結婚する」から「話し合えるから結婚する」へ
恋愛では、 好きという感情が大きな力を持つ。 胸が高鳴る。 会いたい。 声を聞きたい。 しかし結婚生活では、 それだけでは足りない。 結婚を支える重要な力は、 「話し合えること」 である。 婚活中のFさんは、 ある男性に強く惹かれた。 外見も好みだった。 話も面白い。 趣味も合う。 彼女は、 「この人しかいない」 と思った。 しかし結婚後の住居について話したとき、 男性は、 「そんなこと今から考えても仕方ない」 と言った。 お金の話をすると、 「結婚してからでいいじゃん」 親との付き合いを尋ねると、 「なんとかなるよ」 Fさんは不安になった。 彼は魅力的だった。 しかし、 未来について話し合うことを避けた。 一方、別の男性Gさんは、 最初の印象では地味だった。 ときめきも強くない。 しかし、 「どのあたりに住みたいですか」 と聞くと、 「二人の通勤を考えて決めたいですね」 と言った。 子どもの話では、 「僕は欲しいと思っています。ただ、授かることですし、もし難しいことがあれば二人で考えたいです」 と答えた。 Fさんは後に言った。 「最初の人にはドキドキしました。でもGさんとは未来について話せるんです」 ここに、 恋愛と結婚の重要な境界がある。 結婚相手として重要なのは、 すべて同じ考えを持つ人ではない。 違う考えをテーブルの上に置ける人 なのである。
第15章 夫婦とは「価値観が合う二人」ではない
婚活プロフィールで人気の言葉がある。 「価値観の合う方を希望します」 しかし私は、 この言葉を見るたびに少し考える。 価値観は、 本当に合う必要があるのだろうか。 育った家庭が違う。 世代も違う。 父親も母親も違う。 学校も違う。 友人も違う。 恋愛経験も違う。 仕事も違う。 その二人の価値観が、 完全に一致するはずがない。 むしろ大切なのは、 価値観が違ったとき、 相手を否定しない能力である。 Hさんは倹約家だった。 Iさんは旅行好きだった。 Hさんから見ると、 旅行に30万円使うことは浪費である。 Iさんから見ると、 旅行は人生を豊かにする投資だった。 どちらも間違っていない。 二人は話し合った。 年間の貯蓄額を先に決め、 それを超えた分の一部を旅行費にする。 結果、 Hさんは安心して貯蓄でき、 Iさんも旅行を楽しめるようになった。 これは価値観が一致したわけではない。異なる価値観の間に橋を架けたのである。 夫婦に必要なのは、 同じ音を出すことではない。 ピアノの右手と左手のように、 違う音を鳴らしながら、 一つの和音を作ることである。
第16章 ショパンの音楽に見る「余白」と夫婦関係
ショパンの音楽には、 言葉では説明しきれない余白がある。 一つの旋律が終わり、 次の旋律が始まるまでの、 ほんのわずかな呼吸。 そこに音楽の深さが生まれる。 夫婦関係も同じである。 ずっと話している必要はない。 すべて共有する必要もない。 何でも一緒にする必要もない。 ときには、 別々の時間が必要である。 夫は釣りに行く。 妻は友人とランチに行く。 夫は一人で本を読む。 妻はピアノを弾く。 そして夕方、 また同じ家に戻ってくる。 良い夫婦とは、 常に密着している二人ではない。 離れても、戻る場所が同じ二人 である。 婚活では、 「趣味が同じ人」 を求めがちだ。 しかし趣味が違っていてもいい。 大切なのは、 相手が楽しんでいる世界を、 壊さないことである。 「そんなこと何が面白いの?」 と言わない。 「楽しそうだね」 と言える。 愛とは、 相手の世界に必ず参加することではない。 ときには、 その世界が存在することを、 静かに許すことなのである。
第17章 「理解する」より前に「興味を持ち続ける」
夫婦関係で危険な言葉がある。 「あなたのことは分かっている」 長く暮らすほど、 人は相手を分類する。 「この人はこういう人」 「どうせこう言う」 「昔からそう」 しかし人間は変わる。 30歳の妻と、 45歳の妻は同じではない。 35歳の夫と、 60歳の夫も同じではない。 仕事で成功する。 挫折する。 親を亡くす。 子どもが生まれる。 病気になる。 友人と別れる。 夢を諦める。 新しい夢を持つ。 人は人生によって変化していく。 だから夫婦とは、 一度相手を理解したら終わる関係ではない。 毎年、 相手を知り直す関係である。 「最近何が楽しい?」 「今いちばん欲しいものは?」 「10年前と考えが変わったことある?」 そんな問いを、 ときどき投げてみる。 すると、 知っていたはずの人の中に、 知らない人が現れる。 愛とは、 相手を完全に理解することではない。 理解しきれない相手に、興味を持ち続けること なのかもしれない。
第18章 三宅香帆氏の議論が婚活に突きつける問い
三宅氏は、パートナーシップ自体を肯定したいわけでも否定したいわけでもなく、「パートナーがいる方がいい」という単純な主張をしたいわけではないと明確に語っている。むしろ、パートナーシップは想像以上に大変であり、時間をかけて構築するものだという点を問題提起している。 この態度は非常に重要である。 結婚相談所も、 「結婚すれば幸せ」 と言ってはならない。 独身で幸福な人生もある。 結婚して苦しむ人生もある。 だから私たちが本当に考えるべきなのは、 「結婚するか、しないか」 という二択ではない。 「誰かと人生を共同で作るとは何か」 である。 結婚は幸福保証契約ではない。 相手が孤独を消してくれるわけでもない。 不安をなくしてくれるわけでもない。 人生を完成させてくれるわけでもない。 むしろ、 他人と暮らすことで、 自分の未熟さを何度も見せつけられる。 思い通りにならない。 分かってもらえない。 自分も相手を分かっていない。 それでも、 話し合う。 謝る。 譲る。 頼る。 許す。 笑う。 その反復が、 夫婦を作る。 結婚届は一日で提出できる。 しかし夫婦になるには、 何年もかかるのである。
第19章 「夫婦不在」を防ぐために婚活中から確認したい10のこと
それでは、婚活段階で何を見ればいいのだろう。 第一に、自分の気持ちを言葉にできる人か。 第二に、 相手の話をすぐ評価せず聞ける人か。 第三に、 謝れる人か。 第四に、 「ありがとう」を言える人か。 第五に、 忙しいときほど相手を雑に扱わない人か。 第六に、 お金について話せる人か。 第七に、 家事を「手伝う」ではなく共同生活の仕事として考えられる人か。 第八に、*親と配偶者との境界を作れる人か。 第九に、 一人の時間も尊重できる人か。 そして第十に、 意見が違っても、関係そのものを脅かさない人か。 例えば、 意見が食い違うたび、 「じゃあ別れれば?」 と言う人がいる。 これは話し合いではない。 関係そのものを人質にしている。 成熟した相手は、 「私は違う考えだけれど、話したい」 と言える。 夫婦に必要なのは、 一致ではない。 関係を壊さずに不一致を抱える力 なのである。
第20章 理想の結婚相手を探すより「良い夫婦になれる二人」を探す
婚活が長期化する人には、 一つの傾向がある。 相手を完成品として評価する。 もっと年収が高い人。 もっと話が面白い人。 もっと外見が好みの人。 もっと若い人。 もっと気が利く人。 プロフィールを見るたび、 比較する。 しかし比較には終わりがない。 世界には常に、 今会っている人より年収が高い人がいる。 美しい人がいる。 若い人がいる。 話の面白い人がいる。 だから、 「最高の人」 を探す婚活は終わらない。 結婚に必要なのは、 最高の人ではなく、 一緒に関係を育てられる人 である。 これはピアノ選びにも少し似ている。 店頭で一音だけ鳴らし、 「完璧な音のピアノ」を探すことはできない。 楽器は、 弾き手との時間の中で音を深めていく。 夫婦も同じだ。 出会った瞬間に完成している関係などない。 二人が話し、 ぶつかり、 謝り、 学び、 笑い、 年月を重ねる中で、 「この二人の音」ができていく。
第21章 成婚した二人の5年後――ある架空の夫婦の物語
最後に、 一つの夫婦を描いてみたい。 Jさん、37歳。 Kさん、34歳。 結婚相談所で出会った。 最初のお見合いは、 特別盛り上がったわけではなかった。 Jさんは後に、 「正直、運命とは思いませんでした」 と笑った。 Kさんも、 「普通の人だなと思いました」 と言った。 それでも仮交際になった。 理由は単純だった。 二人とも、 「もう一度会ってみてもいい」 と思ったからだ。 2回目。 3回目。 5回目。 少しずつ話が深くなる。 Kさんが、 仕事で自信をなくしている話をした。 Jさんは答えた。 「大丈夫だよ」 ではなく、 「それは苦しかったね」 と言った。 その一言を、 Kさんは後まで覚えていた。 交際4カ月。 結婚について話し合う。 住居。 仕事。 子ども。 家事。 親。 お金。 意見は何度も違った。 しかし、 二人とも逃げなかった。 結婚。 3年後、 子どもが生まれる。 生活は一変した。 睡眠不足。 仕事。 育児。 喧嘩も増えた。 ある夜、 Kさんが泣いた。 「あなたは何も分かってくれない」 Jさんは反射的に、 「僕だって頑張ってる」 と言いかけた。 しかしやめた。 しばらく黙ってから、 「どのあたりが一番つらい?」 と尋ねた。 その夜、 問題は解決しなかった。 家事も減らなかった。 睡眠不足も続いた。 しかし、 夫婦は戻ってきた。 5年後。 休日。 子どもを両親に預け、 二人で昼食を食べる。 Kさんが言う。 「私たち、昔より仲良くなった気がする」 Jさんは笑う。 「昔の方が喧嘩は少なかったけどね」 Kさんも笑う。 「昔は喧嘩するほど、お互いのこと知らなかったんじゃない?」 これは、 派手な物語ではない。 映画にはならないかもしれない。 奇跡もない。 運命的な再会もない。 しかし私は、 こういう二人こそ、 「夫婦がいる」と思う。 夫婦とは、 喧嘩しない二人ではない。 相手を完全に理解している二人でもない。 **分からなくなったとき、もう一度相手のところへ戻っていく二人なのである。
終章 夫婦とは、毎日少しずつ相手を選び直すことである
三宅香帆氏が『「夫婦」不在社会』で提示した問いは、文学や映像作品の分析を超え、現実社会の私たちへ向かっている。 なぜ、 恋愛はこれほど描かれるのに、 夫婦は描かれにくいのか。 なぜ、 家族は描かれるのに、 父と母になる以前の「二人」は、 いつしか背景へ退いてしまうのか。 そして、 なぜ私たちは、 人生の多くの時間を費やす夫婦関係について、 これほど学ばずに結婚するのだろう。 三宅氏は、文芸は現実の欲望を映すだけでなく、現実の欲望にも影響を及ぼすという趣旨から、「夫婦」がもっと物語の中に存在してほしいと訴えている。出版社による本書紹介にも、その問題意識が明記されている。 ショパン・マリアージュも、 そこに一つの答えを重ねたい。 私たちは、 恋愛の成功例だけを語るべきではない。 プロポーズ。 婚約指輪。 成婚退会。 結婚式。 そこだけを幸福の頂点として描いてはならない。 その先にある、 平凡な月曜日。 疲れた火曜日。 少し喧嘩した水曜日。 仲直りした木曜日。 一緒にスーパーへ行く金曜日。 二人でコーヒーを飲む土曜日。 何も特別なことのない日曜日。 そこに、 結婚の本当の幸福がある。 愛とは、 いつも強い感情ではない。 むしろ、 「今日もあなたの話を聞こう」 という小さな決意かもしれない。 「ありがとう」 と言うこと。 「ごめん」 と言うこと。 「どうしたの?」 と聞くこと。 相手の好きな菓子を、 帰り道で一つ買うこと。 寒そうなら、 黙って暖房を少し上げること。 眠っている相手を起こさないよう、 静かにドアを閉めること。 そんな、 誰にも評価されない小さな行為の中に、 夫婦は存在する。 婚姻届には、 夫婦を続ける方法は書いていない。 結婚指輪にも、 相手を理解する力は宿っていない。 結婚式の誓いだけで、 その後の何十年が保証されることもない。 夫婦とは制度である前に、 日々の行為なのである。 そして、 ここに婚活の意味もある。 婚活とは、 自分を誰かに選んでもらう競争ではない。 条件の良い相手を獲得する市場でもない。 誰かと共に生きるための自分を育てていく時間 なのである。 だからショパン・マリアージュが考える婚活では、 「どんな人と結婚したいですか」 だけでは足りない。 もう一つ尋ねたい。 「あなたは、どんな夫、どんな妻、どんなパートナーになりたいですか」 さらに尋ねたい。 「相手が弱っているとき、あなたは何ができますか」 「意見が違ったとき、話を聞けますか」 「間違えたとき、謝れますか」 「寂しいと、素直に言えますか」 「相手の成功を喜べますか」 「相手が自分とは違う人生を持っていることを尊重できますか」 そして、 「10年後も、その人に『最近どう?』と尋ねられますか」 結婚とは、 一度だけ相手を選ぶことではない。 朝起きるたび、 忙しい日々の中で、 何度も小さく相手を選び直すことである。 昨日より疲れている相手を、 今日もう一度見る。 昨日喧嘩した相手と、 今日もう一度話す。 昨日まで分かっていたつもりの相手を、 今日もう一度知ろうとする。 その繰り返しの中で、 二人はようやく、 「夫婦」になっていく。 ショパンの《ノクターン》には、 華やかな音だけではなく、 沈黙に近いほど静かな瞬間がある。 その静けさがあるからこそ、 次の旋律が美しく響く。 夫婦も同じなのだろう。 喜びだけではない。 沈黙もある。 倦怠もある。 不安もある。 喧嘩もある。 しかし、 相手の音を聴こうとする限り、 音楽は終わらない。 一方が少し急げば、 もう一方が合わせる。 一方が疲れれば、 もう一方が旋律を支える。 ときにはテンポを落とす。 ときには休む。 そして再び、 二人で弾き始める。 これこそ、 ショパン・マリアージュが考える結婚である。 完成された幸福ではない。 二人で少しずつ作っていく幸福。 運命によって完成する関係ではなく、 対話によって育つ関係。 「理想の相手」を手に入れることではなく、 目の前の一人と、 理想に近い関係を作っていくこと。
三宅香帆氏が問いかける「夫婦不在」の時代だからこそ、 婚活の役割は大きい。 結婚する二人を作るだけではいけない。 結婚した後にも、そこに「夫婦」が存在し続けるための準備をする。 それが、 これからの結婚相談所に求められる仕事ではないだろうか。 プロフィールには、 年齢も年収も書かれている。 けれども、 その人が悲しい夜にどんな声をかけてくれるのかは、 書かれていない。 その人が喧嘩した翌朝、 「昨日はごめん」と言えるかどうかも、 書かれていない。 あなたの夢を笑わず聞いてくれるかも、 病気になったとき手を握ってくれるかも、 老いたあなたと同じ景色を眺めたいと思ってくれるかも、 プロフィールからは分からない。 だから婚活では、 数字を見る。 そして、 数字の向こう側を見る。 条件を見る。 そして、 条件では測れないものを見る。 言葉を見る。 その言葉の奥にある、 人間を見る。 そのとき婚活は、 「結婚できるかどうか」という焦りから、 「誰と、どんな人生を奏でたいのか」 という問いへ変わっていく。 そしていつの日か、 二人が老いて、 夕暮れの部屋で、 特別な話もせず、 同じ窓から同じ空を眺めている。 言葉は少ない。 けれど沈黙は寂しくない。 若い頃のような激しい恋ではない。 しかしそこには、 何十年もの会話と、 何度もの喧嘩と、 何度もの仲直りと、 何千回もの「おはよう」と、 何千回もの「おかえり」が、 静かに積み重なっている。 そこには、 確かに「夫婦」がいる。 そしておそらく、 結婚の幸福とは、 そんなふうに、 人生の最後まで二人の間から「夫婦」を不在にしないこと なのではないだろうか。 ショパン・マリアージュが目指したい婚活も、 そこへ続くものでありたい。 出会いを作る。 心をつなぐ。 結婚へ導く。 しかし、その先へ。 結婚という一日のためではなく、 その後の何千日、何万日のために。 二人が互いの音を聴きながら、 ときに揺れ、 ときに立ち止まり、 それでも人生という長い曲を、 最後まで二人で奏でていくために。 婚活とは、 その最初の一音を探す旅なのである。
ショパン・マリアージュ
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(「音楽で心を調律し恋愛心理学でご縁を育てる」釧路市の結婚相談所)
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