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年齢への焦りをどう乗り越えるか 〜「遅すぎる」という思い込みを手放す婚活〜 https://www.cherry-piano.com

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年齢への焦りをどう乗り越えるか 〜「遅すぎる」という思い込みを手放す婚活〜  https://www.cherry-piano.com

アドラー心理学から考える、「今ここ」から始まる人生と結婚 


はじめに――私たちは、いったい何歳まで「間に合う」のだろう 

  「もう35歳だから」 「40歳を過ぎたら、婚活は厳しいですよね」 「もっと早く始めておけばよかった」 「今さら結婚を望むなんて、遅すぎる気がします」 婚活の相談をしていると、こうした言葉に出会うことがある。 それは単なる年齢の話ではない。 その言葉の奥には、 「私はもう選ばれないかもしれない」 「幸せになる順番に乗り遅れてしまった」 「周囲の人が手に入れたものを、自分だけが手に入れられなかった」 「若かった頃の自分に戻れない」 という、深い寂しさや焦りが隠れている。 年齢は、数字である。 しかし婚活において、年齢はしばしば数字以上のものになる。 それは、ときに「自分の価値」を測る物差しとなり、「可能性の残量」を示すメーターとなり、「人生の遅れ」を告げる時計のような意味を持ち始める。 本来、37歳という年齢そのものには、 「遅い」 「早い」 「価値がある」 「価値がない」 という意味は含まれていない。 37は37でしかない。 けれど人は、その数字に物語を付け加える。 「37歳なのに結婚していない」 「37歳だから、もう難しい」 「37歳まで何をしていたのだろう」 そうして、事実と解釈が一体化してしまう。 アドラー心理学は、このような苦しみに対して非常に興味深い視点を与えてくれる。 アドラー心理学は、人間を「過去によって決定された存在」とは考えない。 「これまで何があったか」だけで、現在や未来が決まるとは考えないのである。 むしろ、 人は、これからどう生きるかによって、自分の人生に新しい意味を与えることができる。 そう考える。 婚活において本当に問われているのは、 「何歳か」 だけではない。 「その年齢を、あなたがどう生きているか」 なのである。 28歳でも、「もう遅い」と怯えている人がいる。 45歳でも、「これから誰かと良い人生をつくりたい」と穏やかに歩き始める人がいる。 同じ40歳でも、 「40歳になってしまった」 と考える人と、 「40年生きてきた自分として、人と向き合おう」 と考える人では、表情も、会話も、相手に与える印象もまったく違ってくる。 年齢への焦りを乗り越えるとは、 年齢という現実を無視することではない。 年齢を魔法の言葉で消すことでもない。 「何歳でも大丈夫です」と無責任に言い切ることでもない。 むしろ、 変えられない条件と、これから変えられる生き方を分けること。 そこから始まる。 これは、アドラー心理学のいう「課題の分離」にも通じている。 過ぎた時間は変えられない。 昨日までの年齢も変えられない。 相手が自分の年齢をどう評価するかも、完全には支配できない。 しかし、 今日、誰に会うか。 どんな言葉を交わすか。 相手をどう理解するか。 自分の人生をどう語るか。 これからどんな関係を築こうとするか。 それらは、まだこちら側に残されている。 婚活とは、失われた若さを取り戻す活動ではない。 今の自分から、これからの人生を誰かとつくっていく活動である。 そのことを忘れたとき、人は年齢に追われる。 そして思い出したとき、年齢は「敵」ではなく、自分の人生を構成する一つの背景へと戻っていくのである。

 
第1章 「もう遅い」は事実ではなく、解釈である 
  婚活で年齢への不安を口にする人の多くは、 「現実的に考えて」 という言葉を使う。 「現実的に考えて、38歳は厳しいですよね」 「現実的に考えれば、40代からの結婚は難しいですよね」 確かに、年齢によって婚活市場での条件が変化することはある。 希望条件、出産に対する考え方、相手の年齢希望など、現実的な要因は存在する。 それを無視する必要はない。 しかし、ここで注意しなければならないことがある。 「条件が変化すること」と、 「もう幸せになれないこと」は、 まったく別の話だからである。 ところが焦っている人の頭の中では、この二つが一つになっている。 「若い頃より条件が狭まった」 ↓ 「だから私は不利だ」 ↓ 「不利だから選ばれない」 ↓ 「選ばれないから結婚できない」 ↓ 「結婚できないから人生は失敗だ」 こうして、最初は一つの現実的条件だったものが、いつの間にか人生全体の否定へと膨らんでいく。 アドラー心理学では、人間が出来事そのものによって苦しむというより、出来事にどのような意味づけをしているかが重要だと考える。 同じ41歳という年齢でも、 Aさんは、 「この年齢まで結婚できなかった私は、どこか欠けている」 と考える。 一方Bさんは、 「仕事や家族のことに向き合ってきた。今になって、誰かと人生を共有したい気持ちがはっきりした」 と考える。 事実は同じである。 どちらも41歳で、未婚である。 しかし、その事実に与えている意味が異なる。 そして意味が異なれば、行動も異なってくる。 Aさんは、お見合いの席でどこか萎縮する。 「私なんかで大丈夫でしょうか」 「若い方のほうが良かったのではありませんか」 と、まだ相手が何も言っていないうちから、自分を値引きしてしまう。 Bさんは違う。 「最近、誰かと一緒に食事をする時間っていいなと思うようになったんです」 と、自分の現在の気持ちを話す。 AさんとBさんの違いは、年齢ではない。 年齢に対する姿勢である。 私たちはしばしば、 「年齢が私を不安にさせている」 と思う。 しかし、厳密にはそうではない。 「この年齢で結婚していない自分には問題がある」 という信念が、私たちを不安にさせているのである。 ここに、自由への入り口がある。 数字は変えられなくても、 数字についての物語は書き換えられる。

 
 第2章 比較から生まれる「遅れ」という幻想 
  「遅すぎる」という感覚には、必ず比較がある。 誰とも比べなければ、人は簡単には「遅れている」と感じない。 電車が遅れていると判断できるのは、時刻表があるからである。 では、人生の時刻表とは何だろう。 多くの人の心の中には、無意識の時刻表が存在している。 23歳、就職。 27歳、恋人。 29歳、結婚。 31歳、第1子。 34歳、第2子。 30代後半には家庭が安定し、家を買う。 もちろん、現実の人生はこんなに整然とは進まない。 それでも社会の中で繰り返し目にする「典型的な人生モデル」が、いつの間にか心の時刻表になってしまう。 すると35歳で独身であるだけで、 「予定より6年遅れている」 という感覚が生まれる。 しかし、そもそも誰がその時刻表を作ったのだろう。 誰があなたに、 「30歳までに結婚しなければならない」 と命令したのだろう。 興味深いことに、本人に尋ねると、 「誰かに言われたわけではないんですが……」 という答えが返ってくることが多い。 つまり、自分を追い立てている時計の正体は、意外にも曖昧なのである。 友人。 兄弟姉妹。 職場の同僚。 SNS。 親戚。 かつて想像した自分。 それらを混ぜ合わせてつくられた「理想の人生年表」に、自分を当てはめている。 アドラーは、人間の苦悩の大部分を対人関係の中に見た。 年齢焦燥もまた、対人関係から生まれる。 「私は38歳だ」 だけなら苦しくない。 「友達はみんな結婚したのに、私は38歳だ」 となった瞬間、苦しくなる。

 
 ある38歳女性の話 
  仮に、由美さんとしよう。 38歳。 会社員。 仕事には充実感があり、収入も安定している。 一人暮らしの部屋も気に入っている。 旅行が好きで、休日には友人と食事を楽しむ。 生活だけを見れば、不幸というわけではなかった。 ところが、大学時代の友人4人のグループで、自分だけが独身になった。 グループLINEには、 子どもの運動会。 夫との旅行。 家族でのキャンプ。 入学式。 そんな写真が流れてくる。 彼女は友人たちを嫌いなわけではない。 むしろ大切に思っている。 だからこそ、苦しかった。 ある夜、彼女はスマートフォンを閉じながら呟いた。 「私だけ人生が進んでいない」 しかし、本当にそうだろうか。 彼女はこの10年間で昇進し、後輩を育て、海外旅行をし、両親の病気にも向き合い、一人で生活を整えてきた。 人生は進んでいた。 ただ、 友人たちとは違う方向に進んでいただけだった。 それなのに彼女は、 「結婚していない=止まっている」 と定義していた。 婚活を始めた直後の由美さんは、非常に焦っていた。 申し込みが来ると、 「この人を断ったら次がないかもしれない」 と思う。 2回会って違和感があっても、 「38歳なんだから贅沢を言ってはいけない」 と考える。 相手が強い口調で話しても、 「年齢的に選んでもらえただけありがたい」 と思った。 これこそ、年齢焦燥の危険なところである。 年齢への不安は、人から「選ぶ力」を奪う。 「結婚したい」という願いが、 「誰でもいいから結婚しなければ」 へと変質する。 しかし結婚は、ゴールテープではない。 その先に何十年という生活がある。 焦りから選んだ相手と、焦りが消えた後も暮らし続けなければならない。 由美さんはある日、こう尋ねられた。 「もしあなたが29歳だったら、その男性と3回目も会いますか」 彼女はしばらく黙った。 そして、 「たぶん会わないと思います」 と答えた。 そこで初めて気づいた。 自分は相手を見ていたのではない。 年齢への恐怖を見ていたのである。 

 第3章 アドラー心理学における劣等感――年齢は「欠点」なのか 
  アドラー心理学で非常に重要な概念の一つが「劣等感」である。 劣等感という言葉には悪い印象があるが、アドラーにとって劣等感そのものは必ずしも悪ではない。 人間は、 「もっと良くなりたい」 「できるようになりたい」 という気持ちを持つ。 子どもが大人に憧れるのも、未熟さを感じるからである。 劣等感は成長のきっかけにもなる。 問題になるのは、 「私は劣っている。だから行動できない」 という形で、劣等感を人生から逃げる理由として使い始めたときである。 婚活に置き換えてみよう。 「私は42歳だ。若い人より年齢では不利かもしれない」 ここまでは現実認識である。 しかし、 「42歳だから、誰も私を愛してくれない」 となれば、それは推論である。 さらに、 「傷つきたくないから婚活しない」 「申し込んでもどうせ断られるから動かない」 となれば、年齢が「行動しないための理由」になっている。 アドラー的に考えれば、ここでは少し厳しい問いが必要になる。 「年齢への劣等感を持つことで、あなたは何を避けようとしているのか」 これは責める問いではない。 心の仕組みを見る問いである。 婚活を始めれば、断られることがある。 好きになった相手から選ばれないこともある。 期待した交際が終わることもある。 傷つく。 怖い。 そこで人は、 「もう年だから」 という説明を使う。 すると傷が少し整理される。 「あの人とは相性が合わなかった」 より、 「年齢のせいで断られた」 と考えたほうが、ある意味では分かりやすい。 しかし、それは同時に、 「私は何をしても変えられない」 という無力感を生み出す。 年齢は変えられないからである。 だからこそアドラー心理学は、 「変えられない条件」ではなく、 「その条件を使って何をするか」 に目を向ける。 43歳である。 これは変わらない。 しかし、 43歳の自分がどう笑うか。 どう話を聴くか。 どんな関係を望むか。 どのような人に申し込むか。 お見合い後に何を振り返るか。 交際でどんなコミュニケーションをするか。 これらは変えられる。 人生は、変えられない部分より、 まだ選べる部分に目を向けたときに動き始める。 

第4章 「もっと早く始めていれば」という後悔 
  年齢への焦りの中には、未来への不安だけではなく、過去への後悔がある。 「32歳のときに始めていれば」 「あの人と別れなければ」 「仕事ばかりしていなければ」 「20代のとき、もっと真剣に結婚を考えていれば」 人は、現在が不安になると過去を編集し始める。 今から振り返れば、過去の分岐点がはっきり見えるような気がする。 しかし、それは現在の自分が過去を見ているからである。 30歳の自分には、30歳の事情があった。 仕事を覚えることで精一杯だったのかもしれない。 恋愛に疲れていたのかもしれない。 親の介護があったかもしれない。 結婚そのものにまだ現実感がなかったのかもしれない。 当時の自分は、当時の視野の中で生きていた。 ところが40歳になった自分は、 「なぜ30歳の私は、40歳の私の知恵を持っていなかったのだろう」 と責めてしまう。 それは少し不公平である。

 
 40歳男性・健一さんの後悔
  健一さんは40歳で婚活を始めた。 37歳のとき、3年間付き合った女性と別れていた。 彼女から結婚を求められたが、そのとき彼は決断できなかった。 仕事で転勤の可能性があり、 「今はまだ」 と考えていた。 彼女は待ちきれず、別れを選んだ。 3年後。 健一さんは婚活を始めながら、何度も言った。 「あのとき結婚しておけばよかった」 「あれが人生最後のチャンスだったのかもしれない」 この言葉は、一見すると元恋人への愛情のように見える。 しかし話をよく聴くと、少し違っていた。 彼が恋しがっているのは必ずしも彼女ではなかった。 「まだ30代だった自分」と「選択肢が残っていた感覚」を恋しがっていたのである。 ここは非常に重要である。 人は年齢焦燥に陥ると、過去の恋愛を必要以上に美化することがある。 もしあの人と結婚していれば。 もしあのとき決めていれば。 けれど人生に「別の世界線」は存在しない。 確認することもできない。 元恋人と結婚していたとして、幸せだった保証もない。 別れていた可能性もある。 まったく別の悩みを抱えていたかもしれない。 アドラー心理学は、原因論より目的論を重視する。 「なぜこうなったのか」を永遠に掘り続けるより、 「これからどうしたいのか」 を問う。 健一さんにも同じ問いが向けられた。 「もし過去を修正できないとしたら、これからどんな家庭をつくりたいですか」 最初、彼は答えられなかった。 頭の中がずっと過去に向いていたからである。 やがて彼は言った。 「家に帰ったとき、今日あったことを話せる相手がいる生活がしたいです」 そこで初めて、婚活の方向が変わった。 「失った3年間を取り戻す」 ための婚活から、 「これから30年を誰と生きるか」 を考える婚活へ。 過去は取り戻せない。 しかし未来まで過去に差し出す必要はない。

 
第5章 目的論から見る「年齢への焦り」 
  アドラー心理学の特徴的な考え方に「目的論」がある。 一般的には、 「過去の原因が現在の行動をつくる」 と考えやすい。 たとえば、 「40代だから自信がない」 「昔振られたから恋愛が怖い」 と考える。 しかしアドラー的な見方では、 「自信を持たずにいることによって、何を避けているのか」 という問いも立てる。 たとえば、 「40歳だから婚活に消極的なのだ」 ではなく、 「傷つく可能性のある婚活から距離を置くために、『40歳だから無理だ』という考えを使っている」 可能性を見るのである。 これは非常に耳の痛い考え方かもしれない。 だが、同時に希望でもある。 原因が年齢なら、年齢は変えられない。 しかし「今の生き方に目的がある」なら、その目的を変更できる可能性がある。 

「どうせ無理」と言えば、失敗しなくて済む 
  44歳の真紀さんは、結婚相談所に登録したものの、ほとんど申し込みをしなかった。 紹介を受けても、 「この方はもっと若い女性を希望すると思います」 「私では無理でしょう」 と断る。 担当者が、 「でも、プロフィールには40代まで希望と書いてありますよ」 と伝えても、 「形式的に書いているだけでは」 と返す。 まだ何も起きていないのに、彼女の中では断られる未来が完成している。 なぜだろう。 実は、 「申し込まない」 という選択には、一つ大きな利点がある。 断られなくて済む。 申し込まなければ、お断りは来ない。 会わなければ、交際終了もない。 好きにならなければ、失恋もしない。 つまり、 「もう年だから無理」 という信念は、自分を傷つきから守る鎧にもなる。 しかし鎧は、矢だけではなく抱擁も防ぐ。 傷つかない代わりに、出会いも起きない。 真紀さんにはこう問いかけられた。 「断られないことと、結婚の可能性を持つこと。どちらを選びたいですか」 答えはすぐには出ない。 なぜなら、人間は幸せだけを求めているわけではないからである。 傷つかない安全も求めている。 婚活では、この二つがしばしば衝突する。 関係をつくるということは、拒絶される可能性を引き受けることでもある。 アドラーが重視した「勇気」とは、 怖くない状態ではない。 怖さがあっても、人生の課題に参加する力である。 婚活の勇気とは、 「絶対に結婚できる」と信じ込むことではない。 「うまくいく保証はない。それでも人と出会ってみよう」 と思えることなのである。

 
第6章 「選ばれる年齢」から「共に生きる人」へ 
  年齢への焦りが強くなると、人は婚活を「選抜試験」のように考え始める。 自分のスペック。 年齢。 年収。 容姿。 学歴。 職業。 家族構成。 それらを一覧にして、 「私は市場で何点なのだろう」 と考える。 すると、相手に会うときも、 「この人と私は合うだろうか」 ではなく、 「この人は私を合格にしてくれるだろうか」 という視点になる。 お見合いは面接になる。 交際は試用期間になる。 LINEは採点される答案になる。 その結果、本来の魅力が消えていく。 婚活で非常に魅力的な人は、必ずしも最も若い人ではない。 相手の前で、 「私は評価される商品です」 という緊張から降りている人である。 たとえば、お見合いで相手が、 「休日は何をしているんですか」 と尋ねる。 年齢焦燥の強い人は、 「料理をしたり、ジムに行ったりしています。健康には気を遣っています」 と、少しでも高く評価されるように答えようとする。 もちろん悪い答えではない。 しかし、そこに「審査されている」という緊張があると、会話は硬くなる。 一方、 「最近、近所のパン屋を開拓するのに少しハマっているんです。朝に焼きたてを買うと、休日がちょっと豊かになる気がして」 と話せる人には、その人の生活が見える。 相手は「条件」ではなく、「一緒に暮らしたときの風景」を感じる。 結婚は商品購入ではない。 共同生活である。 アドラー心理学でいう共同体感覚を考えるなら、結婚とは、 「私を価値ある人間だと証明してくれる相手を探すこと」 ではない。 「私とあなたが、私たちなりの共同体をつくっていくこと」 である。 ここに立つと、年齢の意味が変わる。 「私は何歳まで選ばれるか」 ではなく、 「今の私には、誰かとどんな関係をつくる力があるか」 になる。

第7章 課題の分離――相手の評価まで背負わない
  年齢への焦りを手放すために、アドラー心理学の「課題の分離」は非常に役立つ。 婚活では、しばしば自分の課題と相手の課題が混ざる。 「この年齢では嫌われるかもしれない」 「もっと若い人がいいと思われるかもしれない」 「子どものことを気にされるかもしれない」 もちろん、相手がどう感じるかは重要である。 しかし、それは究極的には相手の課題である。 あなたが38歳であることを、 「素敵だ」 と思う人もいる。 「気にならない」 と思う人もいる。 「希望条件と違う」 と思う人もいる。 その評価を完全に操作することはできない。 ところが焦る人は、 相手の評価まで自分の責任にしようとする。 だから苦しくなる。 

 36歳の彩さん 
  彩さんは、お見合い相手が39歳男性だと知ると、不安になった。 「この人なら30代前半の女性を希望しますよね」 しかし実際に男性の希望欄には「30〜39歳」と書いてある。 それでも彼女は言う。 「本音はもっと若い方がいいと思います」 ここで重要なのは、 彼女が相手の心を先回りして決めていることである。 実際には相手に聞いていない。 つまり、 「相手が私を嫌うかもしれない」 という想像を、 「相手は私を嫌う」 という事実に変換している。 課題の分離の観点では、 彩さんの課題は、 「誠実に会って、自分の人柄を伝え、相手のことも知る」 ことである。 男性の課題は、 「その出会いをどう感じるか」 である。 彩さんが相手の評価までコントロールする必要はない。 結果として、その男性は彩さんに好印象を持った。 ところが彩さん自身が驚いてしまった。 「どうして私なんでしょう」 この言葉に、彼女の自己評価が現れている。 相手から好意を向けられたときに、 「ありがとう」 と受け取ることができない。 好意にすら疑いを向ける。 年齢焦燥が深まると、 自分を否定することが「謙虚さ」に見えてくることがある。 しかし、 「こんな私を選ぶなんておかしい」 と考えることは、実は相手の判断を尊重していない。 相手は自分の意思であなたを選んでいる。 その選択を、 「あなたは見る目がない」 と否定していることにもなる。 好意を受け取ることにも、勇気がいる。 

 第8章 「若さ」を相手に提供しようとしない
  年齢を気にする人の中には、若く見せようと過剰に努力する人がいる。 服装。 髪型。 話し方。 写真。 趣味。 SNS。 もちろん身だしなみを整えることは大切である。 健康的で清潔感のある外見は、婚活でも重要だ。 だが、 「今の自分をより良く見せる」 ことと、 「今の自分を消して若者を演じる」 ことは違う。 42歳の人が、 「42歳の魅力」 を磨くことはできる。 しかし、 「32歳のふり」 をし続けることは難しい。 そして何より疲れる。 婚活は、結婚後まで続く演技を探す場所ではない。 — ## 45歳男性・誠さん 誠さんは45歳。 プロフィール写真では、かなり若々しい服装を選んだ。 SNSで流行っている店を調べ、デート場所も若者に人気の場所ばかり。 「若々しいと思ってもらいたい」 と言っていた。 しかし仮交際相手からは、 「なんとなく無理をしている感じがしました」 と言われることが続いた。 話してみると、誠さんが本当に好きなのは、 昔ながらの喫茶店。 歴史小説。 温泉。 クラシック音楽。 静かなドライブ。 だった。 それを、 「おじさんっぽいと思われる」 と隠していたのである。 そこで彼は少しずつ、自分の好きなものを話すようにした。 「休日は古い喫茶店に行くのが好きなんです。コーヒーを飲みながら本を読むと落ち着くんですよ」 すると、ある女性が言った。 「私も静かなところが好きです」 二人の会話はそこから広がった。 若く見せることをやめた瞬間、 若い頃にはなかった彼の魅力が現れた。 落ち着き。 生活の安定。 聴く力。 焦って人を判断しない穏やかさ。 年齢には、失われるものがある。 しかし、増えるものもある。 ここを忘れてはいけない。

 

第9章 年齢と価値を切り離す 
  婚活市場には、どうしても条件比較が存在する。 そこで知らず知らずのうちに、 年齢=価値 という図式が生まれる。 しかし人間の価値は、本当に年齢だけで測れるだろうか。 33歳の人より39歳の人のほうが、必ず人間として劣るのか。 29歳の人は41歳の人より、必ず良い妻・良い夫になるのか。 もちろん違う。 若さには若さの魅力がある。 成熟には成熟の魅力がある。 しかし焦りの中では、前半だけが強調される。 「失ったもの」にしか目が行かなくなる。 ここでアドラー心理学の重要な思想が役に立つ。 アドラーは、人間を縦の関係で評価するより、対等な存在として捉えることを重視した。 誰かより上か下か。 勝っているか負けているか。 優れているか劣っているか。 この競争軸に人生を置くと、婚活は非常に苦しくなる。 30歳の人を見て、 「私は負けている」 と思う。 既婚者を見て、 「先に行かれた」 と思う。 成婚報告を見て、 「自分は取り残された」 と思う。 しかし、結婚は順位競争ではない。 1位になった人だけが幸せになる仕組みではない。 あなたが38歳で結婚しても、 友人が28歳で結婚していても、 両者の結婚は競合しない。 友人の幸せは、あなたの幸せを減らさない。 愛情は、席数の決まった椅子取りゲームではないのである。 

 第10章 「結婚できるか」ではなく「どう生きたいか」 
  婚活相談の中で、 「私、結婚できますか」 と尋ねられることがある。 非常に切実な問いである。 しかし誰にも確実な答えは出せない。 未来を保証することはできないからである。 そこで問いを少し変える。 「結婚できるか」 から、 「どんな人生を生きたいか」 へ。 似ているようで、大きく違う。 「結婚できるか」は未来の結果に焦点を置く。 「どう生きたいか」は現在の選択に焦点を置く。 たとえば、 「誰かと食事を囲む生活がしたい」 「お互いの仕事を尊重できる夫婦になりたい」 「休日に散歩したり旅行したりする相手がほしい」 「疲れた日に、無理に話さなくても同じ部屋にいられる人がほしい」 ここまで具体的になると、婚活の視点が変わる。 条件だけでは見えなかったものが見えてくる。 年収は希望より少し低い。 でも、会話が穏やか。 趣味は違う。 でも、お互いの時間を尊重できる。 外見は理想と違う。 でも、一緒にいると肩の力が抜ける。 婚活では、「人生の目的」がはっきりするほど、条件の意味を整理できる。 逆に、 「年齢的に早く結婚しなければ」 だけで動くと、 目的地を決めずに高速道路を飛ばしているような状態になる。 速い。 しかし、どこへ向かっているのか分からない。

第11章 「焦るな」と言われても焦りは消えない 
  年齢を気にする人に、 「焦らなくて大丈夫ですよ」 と声を掛けることがある。 しかし、その言葉だけでは十分ではない。 焦っている本人は、 「焦らないほうがいいことくらい分かっています」 と思っているからである。 不安は、命令では消えない。 「不安になるな」 と言われて消えるなら、誰も苦労しない。 重要なのは、 焦りをなくしてから行動しようとしないこと である。 「落ち着いたら婚活しよう」 「自信がついたら申し込もう」 「不安が消えたら人を好きになろう」 それでは、いつまでも始まらない。 勇気とは、不安が消えることではない。 不安を連れて歩くことである。 — ## 39歳の奈緒さんの例 奈緒さんは、 「40歳までに絶対に結婚したい」 と言っていた。 誕生日まであと8か月。 彼女の頭の中にはカウントダウンがあった。 お見合いが一件終わるたび、 「あと7か月」 交際終了になるたび、 「あと6か月」 誕生日が近づくほど、表情が険しくなった。 そこで一つ提案された。 「40歳までに結婚する」という目標を、一度棚に上げる。 代わりに、 「今月、3人と丁寧に会う」 「相手の良いところを一つ見つける」 「違和感があったら具体的な言葉にする」 という目標に変える。 つまり、 結果目標から行動目標へ 移したのである。 すると彼女は少しずつ落ち着いた。 39歳の残り時間を数えるのではなく、 今週できることに集中できるようになった。 結婚は完全にはコントロールできない。 相手がいるからである。 しかし、 丁寧に会うこと。 誠実に返事をすること。 自分の気持ちを言葉にすること。 これらは自分の課題である。 自分の課題に集中すると、人は強くなる。 

 第12章 年齢焦燥が生む3つの危険 
  「早く結婚しなければ」という焦りは、単に精神的につらいだけではない。 婚活の判断そのものを歪めることがある。 大きく3つの危険がある。
 1.違和感を無視する 
  「次がないかもしれない」 と思うと、相手への違和感を軽視する。 強い束縛。 価値観の押しつけ。 店員への横柄な態度。 金銭感覚の大きな差。 子どもに対する考え方の不一致。 こうした重要な問題にも、 「でも年齢的に……」 と目をつぶる。 しかし年齢が上がったからといって、 尊重されない結婚を受け入れる義務はない。 
 2.相手を急かす 
  年齢焦燥が強いと、 2回目のデートで結婚意思。 3回目で将来設計。 1か月で真剣交際。 と、関係の成熟より時計を優先してしまう。 本人にとっては真剣でも、相手には圧力に感じられる。 愛情には時間が必要な場合がある。 焦りは、 「あなたを知りたい」 ではなく、 「私の期限に間に合ってほしい」 というメッセージに変わることがある。
 3.自分を安売りする 
  「私はもう40歳だから」 「選んでもらえただけありがたい」 この考えは危険である。 感謝することと、自己尊重を失うことは違う。 結婚は恩赦ではない。 「この年齢の私を拾ってくれた人」 と結婚するのではない。 二人とも、 「この人と生きたい」 と思って結婚するのである。 対等性が必要だ。 アドラー心理学は、上下ではなく横の関係を重視する。 婚活においても、 「選ぶ側」 「選ばれる側」 という固定的な上下関係から降りる必要がある。 あなたも相手を見る。 相手もあなたを見る。 その対等な相互選択の中に結婚はある。 

 第13章 「遅咲き」という言葉を超えて 
  年齢について語るとき、 「人生に遅すぎることはない」 という表現が使われる。 美しい言葉である。 しかし時に、それすらプレッシャーになる。 なぜなら、 「遅咲きでも咲かなければならない」 という新しい義務になってしまうからだ。 私はもっと静かな考え方が好きである。 人生は「早咲き」「遅咲き」と分類しなくてもいい。 桜と紫陽花を並べて、 「紫陽花は桜より遅れている」 とは言わない。 季節が違うだけである。 けれど人間だけが、 「友人は28歳で結婚した。私は38歳。10年遅れている」 と考える。 人生には、一つの開花時期しかないわけではない。 恋愛に向き合う時期。 仕事に集中する時期。 家族を支える時期。 自分を立て直す時期。 誰かと暮らしたくなる時期。 それぞれ違う。 30歳には分からなかったことが、 40歳で分かることがある。 「優しい人がいい」 と言っていた人が、 40歳になると、 「感情的になったときに話し合える人がいい」 と具体的になる。 「高収入の人」 と言っていた人が、 「金銭感覚を相談できる人」 を求めるようになる。 「楽しい人」 と言っていた人が、 「沈黙していても落ち着く人」 を大切にするようになる。 これは衰えではない。 解像度が上がったのである。 

第14章 年齢を重ねた婚活の強み 
  年齢について語ると、どうしても「不利」ばかりが話題になる。 では、年齢を重ねた人には強みはないのだろうか。 もちろん個人差はある。 しかし一般的に、人生経験を重ねたことで培われやすいものがある。 
 1.自分の生活が分かっている 
  20代では、 「どんな生活が自分に合うか」 がまだ分からないことも多い。 しかし30代、40代になると、 自分がどれくらい一人の時間を必要とするか。 休日をどう過ごしたいか。 仕事と家庭をどう両立したいか。 何にお金を使いたいか。 ある程度分かってくる。 結婚生活を具体的に考えやすい。
 2.他人を変える難しさを知っている 
  若い頃は、 「愛があれば分かり合える」 と思いやすい。 しかし人生経験を重ねると、 他人は簡単には変わらないことを知る。 だからこそ、 「違いがあっても話し合えるか」 を見るようになる。 これは結婚生活において非常に重要な成熟である。 
 3.完璧な相手などいないと知っている
  失敗や別れを経験した人ほど、 人間には欠点があると知っている。 自分にもある。 相手にもある。 だから、 「欠点がない人」 ではなく、 「欠点があっても共に暮らせる人」 を選べるようになる。
 4.感情の波を少し待てる
  恋愛初期のときめきだけに人生を預けず、 「もう少し会ってみよう」 と時間を使えることがある。 恋愛感情がゆっくり育つ人にとって、この成熟は大きな強みになる。

 

 第15章 共同体感覚――婚活を「自分の価値証明」にしない 
  アドラー心理学の核心にある概念の一つが「共同体感覚」である。 簡単に言えば、 「私はこの世界の一員であり、人とつながり、貢献することができる」 という感覚である。 婚活が苦しくなる人には、 結婚を自己価値の証明に使っている場合がある。 結婚できれば、 「私は愛される価値があった」 結婚できなければ、 「私は誰にも必要とされない」 という考え方である。 すると婚活が、人生を懸けた最終試験になる。 断られるたびに、 「あなたとは合わない」 ではなく、 「あなたには価値がない」 と言われたように感じる。 しかし本来、結婚の成立と人間の価値は別である。 独身の人にも価値がある。 既婚者にも悩みはある。 離婚した人にも人生は続く。 結婚は価値の証明書ではない。 共同体感覚の視点に立つと、 婚活の問いも変化する。 「どうすれば選ばれるか」 だけではなく、 「私はこの人の人生に、どんな温かさを持ち込めるだろう」 「この人と私は、どんな共同生活をつくれるだろう」 と考えられる。 これは自己犠牲ではない。 相互貢献である。 あなたが支える。 相手も支える。 あなたが話す。 相手も聴く。 相手が疲れた日は、あなたが少し多く担う。 あなたが弱った日は、相手が支える。 結婚とは、 二人で「私たち」という小さな共同体を育てることなのである。

 

 第16章 50歳の婚活――「今さら」から始まった物語 
  ここで一つ、象徴的なケースを考えてみたい。 仮に和彦さん、52歳。 会社員。 若い頃は仕事一筋だった。 30代で一度大きな恋愛をしたが、結婚には至らなかった。 40代になると、 「もう一人でいい」 と思うようになった。 実際、一人暮らしには慣れていた。 料理もする。 家事もできる。 経済的にも困っていない。 それでも50歳を過ぎた頃、母親が亡くなった。 葬儀を終え、誰もいない自宅に帰った夜、 彼はふと思った。 「この先、嬉しいことがあったとき、誰に一番に話すのだろう」 寂しいから誰でもいいというわけではなかった。 ただ、 人生を共有する相手がいてもいい。 そう思った。 しかし相談所の扉を開くまで半年かかった。 「52歳で婚活なんて、恥ずかしい」 という思いがあったからだ。 初回相談で彼は言った。 「今さらですよね」 そのとき返ってきたのは、 「何歳なら『今から』になり、何歳から『今さら』になるのでしょう」 という問いだった。 和彦さんは笑った。 答えがなかったからである。 52歳という数字が「今さら」なのではない。 彼がその数字に「今さら」という意味をつけていた。 婚活を始めて半年。 何人かとはうまくいかなかった。 一度は交際終了になり、 「やっぱり遅かったかな」 と落ち込んだ。 しかし、その後54歳の女性と出会った。 彼女もまた、一人で暮らすことに慣れていた。 初対面で劇的な恋愛感情があったわけではない。 二人とも、 「感じの良い人だな」 くらいだった。 2回目。 3回目。 話すうちに、不思議な安心感が生まれた。 ある日、女性が言った。 「一人で生きられる二人が、一緒に暮らすのって、いいかもしれませんね」 和彦さんは後に、 「あの言葉で結婚を意識しました」 と話した。 依存するためではない。 寂しさを埋めるためだけでもない。 一人でも生きられる。 それでも二人で生きる。 それは、若い頃に想像していた結婚とは少し違っていた。 しかし彼にとっては、とても自然だった。 52歳のスタートは、 遅かったのだろうか。 そんな問いは、二人の生活が始まった後には、ほとんど意味を持たなくなる。 結婚した人が、 「もっと10年前にこの人と出会いたかった」 と思うことはある。 けれど10年前なら、同じ二人ではなかった。 人生経験も違う。 価値観も違う。 出会ったとしても惹かれ合わなかったかもしれない。 人は、 今の自分だから出会える人 というものがいる。

 第17章 婚活における「勇気づけ」
  アドラー心理学で「勇気づけ」は非常に重要である。 勇気づけとは、 「あなたなら絶対できます」 と根拠なく励ますことではない。 むしろ、 「あなたには、自分の人生に参加する力がある」 と伝えることに近い。 年齢で落ち込んでいる人に、 「まだ若いですよ」 だけでは十分ではない。 なぜなら、いつか本当に若くない年齢になるからだ。 そうではなく、 「その年齢のあなたにも、選べることがある」 と伝える。 これが勇気づけである。 たとえば、 「39歳だから遅い」 と言う人に、 「そんなことありません」 だけで返さない。 「39歳の今、あなたはどんな関係をつくりたいと思っていますか」 と尋ねる。 すると視点が、 年齢という固定条件から、 未来をつくる主体性へ移る。 勇気づけとは、 希望を与えるというより、 本人の中にある選択権を返すこと なのかもしれない。 — # 第18章 「婚活市場」という言葉に飲み込まれない 現代の婚活では、 「市場価値」 という言葉を見かけることがある。 確かに、マッチングには一定の傾向がある。 条件ごとに人気が集中することもある。 しかし、この言葉を自分の存在価値にまで拡大してはいけない。 市場価値とは、 ある条件の中での相対的評価である。 人間そのものの価値ではない。 アンティークのピアノを考えてみよう。 最新機種としての性能比較なら、新しい電子ピアノが優れているかもしれない。 しかし長い年月を経た木の響き、楽器の歴史、個体ごとの音色は、別の価値軸にある。 人間を楽器にたとえるのは完全ではないが、 年齢を重ねた人にも、 その人にしかない「響き」がある。 苦労したからこその優しさ。 失敗したからこその慎重さ。 一人で生きた年月があるからこその自立。 遠回りしたからこそ理解できる他人の迷い。 これらはプロフィール欄の一行には書き切れない。 婚活で本当に大切なのは、 その人が条件表の上で何点かではなく、 一緒にいるとき、どんな関係が生まれるか なのである。

 第19章 「若い頃の自分」と競争しない 
  年齢焦燥のもう一つの特徴は、 他人だけでなく「過去の自分」と比べることである。 「30歳の頃はもっと誘われた」 「昔はもっと自信があった」 「若い頃なら、この人にも選ばれたかもしれない」 しかし過去の自分との競争には、絶対に勝てない。 今日のあなたが何をしても、昨日より若くなることはないからである。 この競争を続ける限り、毎年負ける。 ではどうするか。 評価軸を変える。 「若さ」ではなく、 「成熟」 「関係構築力」 「自己理解」 「生活能力」 「誠実さ」 「対話力」 を見る。 42歳のあなたは、28歳のあなたより若くない。 これは事実である。 しかし28歳のあなたより、 自分が何を大切にしたいか分かっているかもしれない。 人の弱さを理解できるかもしれない。 一人で生活を支える力があるかもしれない。 失恋した友人に、以前より優しい言葉を掛けられるかもしれない。 年齢とは、 何かを失うだけの過程ではない。 何かを引き受け、何かを深めてきた時間でもある。

 第20章 「選ばれなかった」という傷をどう扱うか 
  年齢焦燥の背景には、 実際に年齢を理由として断られた経験があることもある。 これは簡単に、 「気にしなくていい」 とは言えない。 傷つくからである。 プロフィールを見て断られる。 交際相手から、 「子どものことを考えると、もう少し若い方が」 と言われる。 これは痛い。 無理に前向きに変換する必要はない。 悲しいものは悲しい。 しかし、ここでも課題の分離が必要になる。 相手が年齢を重視する。 それは相手の価値観である。 あなたの人間的価値の判定ではない。 たとえば、 あなたが犬を飼いたい。 相手が動物のいない生活を望む。 結婚しない理由になるかもしれない。 しかし、 「犬を飼いたいあなたには価値がない」 という意味ではない。 同じように、 年齢条件が合わないことと、 人間として劣っていることは違う。 婚活では、 「合わない」 を 「否定された」 に変換しない練習が必要である。 お断りは痛い。 しかし、 一人から選ばれなかったことは、世界全体から拒絶されたことではない。

 第21章 婚活に必要なのは「楽観」ではなく「現実的な希望」 
  ここで誤解してほしくないことがある。 「年齢を気にしない」 とは、 現実を見ないことではない。 「何歳でも同じ条件で婚活できる」 という意味でもない。 年齢によって、希望条件の組み合わせによっては出会いの数が変化する。 それは現実として考える必要がある。 しかし現実を見ることと、悲観することは違う。 たとえば42歳で、 「35歳以下、年収1000万円以上、初婚、容姿が好み、同居不可、転勤不可」 という条件を絶対視すれば、出会いは狭くなるかもしれない。 そこで必要なのは、 「私はもう年だから妥協する」 ではない。 「自分が結婚生活で本当に大切にしたいものは何か」 を精査することである。 条件を捨てるのではない。 条件の意味を理解する。 年収1000万円を求めるのは、なぜか。 安心したいからか。 生活水準を維持したいからか。 尊敬できる仕事をしていてほしいからか。 その目的が分かれば、別の条件でも満たせる場合がある。 「若い相手」を望むのは、なぜか。 子どもを望むからか。 活発な生活をしたいからか。 外見的な好みなのか。 目的が分かれば、自分の希望をより誠実に扱える。 アドラー心理学は、現実逃避の思想ではない。 むしろ、 現実を受け入れた上で、主体的に選択する思想 なのである。 

 第22章 「子ども」という問題と年齢焦燥
  婚活で年齢を語るとき、避けて通れない問題の一つが出産である。 ここは非常に繊細である。 「年齢なんて関係ありません」と簡単に言ってはいけない領域がある。 医学的な現実もある。 個人差もある。 男女双方に生殖に関する年齢変化があり、具体的な判断については必要に応じて医療専門家に相談することも大切である。 しかし心理学的に重要なのは、 子どもを望むことと、 「子どもを持てなければ私の結婚には意味がない」 を区別することである。 さらに、 「結婚したい」 「子どもがほしい」 「若いうちに親になりたかった」 「親を安心させたい」 これらは別々の願いである。 混ぜると焦りになる。 一つずつ分けて考える。 私は結婚生活そのものを望んでいるのか。 子どもを強く望んでいるのか。 子どもがいない人生も受け入れられるのか。 パートナーの希望とどう擦り合わせたいか。 ここには正解はない。 しかし、自分の本音を曖昧にしたまま、 「年齢が……」 という一言に押し込めると、苦しみが大きくなる。 人生の選択には、叶わない可能性も含まれる。 アドラー的な勇気は、 すべてが思い通りになると信じることではない。 不確実な人生を、それでも引き受けて生きる力 なのである。

第23章 婚活を「期限」だけで管理しない 
  目標を持つことは良い。 「1年以内に成婚したい」 という目標も悪くない。 しかし、その期限が自分を脅すようになったら注意が必要である。 「今年中」 「40歳まで」 「誕生日まで」 期限そのものが主人になり、自分が奴隷になる。 婚活はプロジェクトの側面を持つ。 しかし、人間関係は工事工程表のようには進まない。 相手にも心がある。 タイミングがある。 恋愛感情が育つ速度も違う。 だからこそ、 結果の期限と同時に、 「今日の質」 を見る。 この人の話を丁寧に聞けたか。 自分を無理に大きく見せなかったか。 相手への違和感を恐れずに認識できたか。 好意を受け取れたか。 断られた後、自分を全否定せずに済んだか。 これらは婚活の重要な進歩である。 成婚だけが進歩ではない。 人を愛する準備が深まることも、立派な前進なのである。

 第24章 ある41歳女性の変化――「残り時間」から「これからの時間」へ 
  恵さん、41歳。 婚活を始めた理由は、 「周りがみんな結婚してしまったから」 だった。 最初の面談で彼女は言った。 「もう残り時間が少ないので」 この「残り時間」という言葉が印象的だった。 まるで人生が終盤に入ったかのようだった。 しかし41歳である。 仮に80歳まで生きるなら、約39年ある。 もちろん人生の長さは分からない。 しかし少なくとも、 「残りわずか」 と決めつける必要もない。 彼女に、 「41歳から81歳まで40年あります。40年前、あなたは1歳でした。そこから今日までと同じくらいの時間です」 と伝えると、 少し驚いた顔をした。 年齢焦燥に陥ると、 未来が極端に短く感じられる。 「もう時間がない」 という感覚になる。 しかし結婚生活の本質は、 結婚式の日ではない。 その後の水曜日。 何でもない日曜日。 風邪をひいた夜。 買い物。 食事。 介護。 旅行。 喧嘩。 仲直り。 そうした時間の積み重ねにある。 恵さんはやがて、 「あと何か月で結婚できるか」 ではなく、 「これから何十年をどんな人と暮らしたいか」 と考えるようになった。 すると不思議なことに、条件が変わった。 以前は「年収」「身長」「大学」を細かく見ていた。 しかし、 「話し合いができるか」 「機嫌が悪いときに人に当たらないか」 「生活リズムが合うか」 を見るようになった。 焦りが減ったから、現実的になったのである。 焦りは現実を見る力を高めるように思える。 実際には逆であることが多い。 焦りは視野を狭める。 落ち着くことで、本当に重要な現実が見えてくる。

 

第25章 「私はもう遅い」と言う人へのアドラー的な問い
  もし今、 「自分はもう遅い」 と思っているなら、 次の問いを自分に向けてみてほしい。
 「誰と比べて遅いのか」  友人だろうか。 兄弟姉妹だろうか。 社会の平均だろうか。 昔思い描いていた自分だろうか。 
 「何歳なら間に合っていたのか」35歳なら? 32歳なら? 29歳なら? では、その頃本当に安心していたのだろうか。 29歳のときは、 「30歳になる」 と焦っていたかもしれない。 つまり、問題は年齢ではなく、 どの地点でも不足を見る癖 かもしれない。
 「年齢を理由に、私は何を避けているのか」申し込み? デート? 好意を伝えること? 傷つくこと? 自分の本音を見ること? 
「私は結婚によって何を手に入れたいのか」安心。 家族。 日常の共有。 愛情。 子ども。 経済的安定。 社会的承認。 孤独からの解放。 ここを分ける。 
 「今の自分だからこそ持っているものは何か」生活力。 仕事経験。 人を見る力。 対話力。 優しさ。 失敗から得た知恵。 一人で生きてきた強さ。 
 「結果ではなく、今日できることは何か」プロフィールを一つ見直す。 一人に申し込む。 紹介を受ける。 服を整える。 会話で一つ質問する。 お断りされた自分を責めない。 それでよい。 人生は、 大きな決意だけで変わるのではない。 小さな参加の積み重ねで変わる。 

 第26章 「若さ」よりも大切な、関係を育てる力
  婚活初期には、 外見やプロフィール条件が出会いの入口になる。 しかし結婚生活を支えるのは、それだけではない。 長い結婚生活では、 謝る力。 感謝を伝える力。 相手の話を途中で奪わない力。 怒りをそのままぶつけない力。 自分の要望を言葉にする力。 違いを「間違い」にしない力。 こうした能力が大きな意味を持つ。 これらは年齢と共に自然に身につくわけではない。 しかし人生経験を通して学ぶことはできる。 婚活で本当に磨くべきものは、 若く見える技術だけではない。 人と暮らす技術 である。 たとえば、お見合い後に、 「盛り上がらなかったからなし」 だけで判断するのではなく、 「私は緊張していたか」 「相手も緊張していたか」 「安心感はあったか」 「もう一度会えば違う面が見えそうか」 と考える。 こうした視点は成熟した婚活をつくる。

 第27章 年齢を「プロフィールの数字」に戻す
  年齢焦燥から自由になる最終的な目標は、 年齢を好きになることではない。 年齢を気にしなくなることでもない。 年齢を、 必要以上の意味を持たない数字に戻すこと である。 プロフィールには年齢が書かれている。 それでよい。 38歳。 44歳。 52歳。 数字は書いてある。 しかし、その数字だけでは、 その人が笑うとどんな表情になるか分からない。 困っている人にどう接するか分からない。 どんな音楽を聴くか分からない。 どんな朝食を好むか分からない。 どんな家庭をつくりたいか分からない。 喧嘩した後に謝れるか分からない。 疲れた人に温かいお茶を入れられるか分からない。 人間は数字よりはるかに大きい。 プロフィールは入口であって、人間そのものではない。 

 第28章 年齢を受け入れるとは、諦めることではない 
  「現実を受け入れましょう」 と言われると、 「諦めろと言われている」 ように感じる人がいる。 しかし受容と諦めは違う。 諦めは、 「もう何もできない」 である。 受容は、 「これは変えられない。では、ここから何ができるか」 である。 42歳であることを受け入れる。 それは、 「もう無理」 ではない。 「私は42歳として婚活する」 ということである。 過去の自分を連れてくる必要はない。 未来の自分を怖がる必要もない。 今の自分を出発点にする。 アドラー心理学は、 「人生はいつでも再選択できる」 という方向を持つ。 もちろん、過去の影響が消えるわけではない。 条件も制約もある。 しかし、 条件があることと、選択肢がゼロであることは違う。 

 第29章 結婚は「人生に間に合う」ためにするものではない 
  「結婚しないと人生に間に合わない」 そんな感覚を持つ人がいる。 しかし、結婚はいったい何に間に合わせるためのものなのだろう。 世間? 親? 友人? 昔の自分の計画? 結婚とは本来、 誰かと人生を共有したいからするものである。 時計との競争に勝つためではない。 35歳で結婚しても、 二人が互いを尊重できなければ苦しい。 45歳で結婚しても、 安心できる関係なら幸せかもしれない。 早いことは、質を保証しない。 遅いことも、失敗を意味しない。 人生には、 「正しい時刻」 より、 「自分が納得して選ぶこと」 のほうが大切な場面がある。 結婚もその一つである。

 第30章 「今日が一番若い」という言葉の本当の意味 
  よく、 「今日が人生で一番若い日」 と言われる。 少し聞き慣れた言葉かもしれない。 しかし婚活では、本質を突いている。 なぜなら、 年齢焦燥の人は、 「過去に戻れない」 ことばかり考えているからである。 確かに昨日より一日年を取った。 しかし同時に、 明日より一日若い。 そこで問われるのは、 「失われた昨日を数えるか」 「まだ使える今日を生きるか」 である。 40歳で、 「35歳なら動けたのに」 と言って5年過ごせば45歳になる。 45歳になって、 「40歳ならまだ良かった」 と言う。 この構造はどこまでも続く。 60歳になれば、 「50歳なら」 と言える。 人生のどの地点でも過去は若い。 だから過去との比較に出口はない。 出口は一つ。 現在に戻ること。 

 第31章 婚活とは、「今の自分」に出会ってくれる人を探すこと 
  あなたが婚活で出会う相手は、 28歳のあなたとは結婚できない。 32歳のあなたとも結婚できない。 今ここにいるあなたと出会う。 だから、 「もっと若かったら」 という仮定は、実際の出会いには存在しない。 今のあなたには、 今の顔がある。 今の声がある。 今の人生経験がある。 今の傷がある。 今の優しさがある。 それら全部を持って、人と出会う。 恋愛には不思議なところがある。 本人が欠点だと思っていたものを、 相手が魅力として受け取ることがある。 「話下手だから」 と思っている人を、 「静かで落ち着く」 と感じる人がいる。 「地味だから」 と思っている人を、 「安心感がある」 と感じる人がいる。 「40代だから」 と思っている人を、 「人生観が近くて話しやすい」 と感じる人がいる。 自分が自分の価値をすべて決めなくてよい。 相手には相手の感じ方がある。 それもまた課題の分離である。 

 第32章 あるお見合いの午後 
  43歳の女性と46歳の男性のお見合いを想像してみよう。 ホテルのラウンジ。 日曜日の午後。 女性は席に向かう前、鏡を見ながら思う。 「43歳か……」 その一言で、背中が少し丸くなる。 男性も実は同じだった。 「46歳で婚活か」 と緊張している。 二人は向かい合う。 女性が言う。 「今日はありがとうございます」 男性が答える。 「こちらこそ。僕、こういう場所はいつも緊張するんですよ」 女性は少し笑う。 「私もです」 そこから会話が始まる。 好きな食べ物。 休日。 仕事。 北海道の冬。 昔飼っていた犬。 最近見た映画。 1時間が過ぎる。 帰り際、女性はふと思う。 「そういえば、途中から年齢のことを忘れていた」 これが大切なのである。 人と人が本当に会っている瞬間、 プロフィール上の数字は後ろに退く。 目の前には、 「43歳女性」 と 「46歳男性」 がいるのではない。 一人の人と、一人の人がいる。 婚活の目的は、 年齢という情報を消すことではない。 数字の奥にいる人間に出会うこと なのである。

 第33章 結婚相談所ができる「勇気づけ」とは何か 
  結婚相談所の役割も、 「大丈夫です、必ず結婚できます」 と言い続けることではない。 結果を保証することはできない。 むしろ大切なのは、 会員が自分を年齢だけで定義し始めたとき、 その視野を広げることである。 「もう39歳です」 と言われたら、 「39歳のあなたが持っている魅力を一緒に整理しましょう」 と返す。 「申し込んでも断られそう」 と言われたら、 「お相手がどう判断するかは相手の課題です。あなたは会ってみたい方に、誠実に申し込んでみましょう」 と伝える。 「もっと早く活動すればよかった」 と言われたら、 「過去を責めるより、今気づいたことを今日の活動に使いましょう」 と伝える。 これは慰めではない。 主体性を取り戻す支援である。 良いカウンセリングとは、 会員の人生を代わりに運転することではない。 助手席から、 「ハンドルはあなたが握っています」 と伝えることなのだと思う。

 

 第34章 「遅すぎる」という言葉を手放した後に残るもの 
  では、「もう遅い」という考えを手放すと、何が残るのだろう。 魔法のような自信ではない。 不安が完全になくなるわけでもない。 ただ、 「それでもやってみよう」 という静かな余白が残る。 40歳。 それでも会ってみよう。 43歳。 それでも誰かを好きになってみよう。 48歳。 それでも人生を共有したいと願ってみよう。 55歳。 それでも一緒に夕食を食べる人を探してみよう。 そこには派手なポジティブ思考はない。 むしろ、現実を知った大人の希望がある。 人生は思い通りにならない。 だからこそ、 まだ選べることを大切にする。 アドラー心理学の勇気とは、 このような静かな強さなのではないだろうか。

 第35章 婚活で実践したい10の習慣 
  ここまでの考え方を、日々の婚活に落とし込んでみよう。 
 1.「もう○歳」と言わない 
  「もう41歳」 ではなく、 「41歳」 と言う。 「もう」という一文字には、終わりの物語が入っている。 事実だけに戻す。 
 2.友人の人生年表と比べない 
 人にはそれぞれの背景がある。 スタート地点も、望むものも違う。 比較するなら、 「昨日の自分より一歩参加できたか」 を見る。 
 3.お断りを人格否定に変換しない 
  「ご縁がなかった」 は、 「価値がない」 ではない。
 4.条件の理由を考える 
  希望条件一つ一つに、 「なぜ私はこれを望むのか」 と問いかける。
 5.結果ではなく行動を目標にする 
  「3か月で結婚する」 だけでなく、 「今月5人に申し込む」 「2回目までは相手を知る姿勢を持つ」 など、自分が実行できる目標を持つ。 
 6.年齢を自虐ネタにしない 
  「私、もうおばさんなので」 「いい年したおじさんですが」 この言葉は、相手に反応を強いる。 自分を下げることで安心しようとしない。 
 7.好意を疑いすぎない
  相手が会いたいと言ったなら、 まずはその言葉を受け取る。 
 8.若さを演じるより、清潔感と今の魅力を磨く 
  今の自分に似合う服。 今の自分が自然に笑える髪型。 自分自身を消さない。 
 9.結婚後の生活を想像する 
  「選ばれるか」ではなく、 「この人と火曜日の夜を過ごせるか」 を考える。 結婚生活は特別な日より、普通の日のほうが多い。
 10.活動を「人生への参加」と考える 
  お見合い一つ。 申し込み一つ。 会話一つ。 すべて、人生に参加する行為である。 

 第36章 「焦らない」と「のんびりする」は違う 
  年齢焦燥から自由になる話をすると、 「では、急がなくていいのですね」 と解釈されることがある。 そうではない。 焦らないことと、何もしないことは違う。 アドラー心理学は、むしろ行動を重視する。 今できることがあるなら動く。 プロフィールを整える。 会う。 振り返る。 必要なら条件を調整する。 伝え方を学ぶ。 これらは積極的に行う。 ただし、 自分を脅しながら動かない。 「今すぐ決めないと終わり」 ではなく、 「大切なことだから今日一歩進める」 この違いである。 恐怖は短期的に人を走らせる。 しかし長期的には疲弊させる。 納得は、派手ではないが長く歩ける。 婚活も長距離走になることがある。 自分を鞭打つより、良いフォームを身につけるほうが強い。 

 第37章 結婚した後、年齢焦燥は消えるのか 
  興味深いことに、 結婚すればすべての比較が終わるわけではない。 「もっと早く結婚すればよかった」 「同年代はもう子どもが大きい」 「家を買うのが遅かった」 今度は別の比較が始まることがある。 つまり、 問題の本質が比較習慣にあるなら、 結婚しても形を変えて続く。 だから婚活中に学ぶ価値がある。 他人の時刻表から降りること。 自分の人生を自分の時間で生きること。 これは結婚後にも必要である。 夫婦にもそれぞれのペースがある。 子どもを持つ夫婦。 持たない夫婦。 都市で暮らす夫婦。 地方で暮らす夫婦。 共働き。 片働き。 休日を一緒に過ごす。 別々の趣味を持つ。 「普通の夫婦」になる必要はない。 二人に合う形をつくる。 婚活で年齢焦燥を乗り越えることは、 実は結婚後の共同生活を学ぶことにもつながっている。 

 第38章 人生は直線ではなく、音楽に似ている
  人生を一本の直線として考えると、 遅い、早いが生まれる。 何歳までにここへ。 次はここへ。 そして次へ。 けれど人生は、むしろ音楽に似ているのかもしれない。 速い楽章。 静かな楽章。 休符。 突然の転調。 同じ旋律が、違う形で戻ってくることもある。 休符を、 「音楽が止まった」 とは言わない。 休符も音楽の一部である。 独身だった年月を、 「何もなかった空白」 にしなくてよい。 そこには仕事があった。 友情があった。 家族との時間があった。 失恋があった。 一人で泣いた夜もあった。 旅行もあった。 挑戦もあった。 その全部が、今のあなたの音色をつくっている。 そして婚活とは、 自分の音を消して誰かの曲に合わせることではない。 二人の音が、 どんな響きをつくれるか確かめることなのだろう。 一人では出せなかった和音が生まれる。 しかしそれは、 どちらかが自分を失ったときではない。 二つの異なる音が、 それぞれのまま響いたときである。 

 第39章 「遅かった人生」ではなく「ここから始まる人生」
  人は人生の途中で何度も、 「もう遅い」 と思う。 30歳で。 40歳で。 50歳で。 60歳で。 しかし10年後の自分から見れば、 今日の自分は驚くほど若い。 問題は、 何歳になったかではない。 何歳になった自分を、 人生から退場させてしまうかどうかである。 「もう40歳だから」 と言って恋愛から退場する。 「もう50歳だから」 と言って新しい関係から退場する。 「もう60歳だから」 と言って人生の楽しみから退場する。 そうやって人は、実際の年齢より早く人生を閉じてしまう。 アドラー心理学は、 人間を過去の犠牲者としてだけ見ない。 今日の選択者として見る。 これは厳しさでもある。 しかし、とても温かい思想でもある。 なぜなら、 「過去がこうだったから、もう無理だ」 という判決を、人生に下さなくてよいからである。 

 終章 「遅すぎる」という時計を外して 
  婚活をしていると、 どうしても時計を見る。 年齢。 活動期間。 交際期間。 誕生日。 周囲の結婚。 時間は確かに流れている。 私たちは年を取る。 これは止められない。 だからこそ、 年齢を否定するのではなく、 年齢と共に生きる方法を見つける必要がある。 「若ければよかった」 と思う夜があってもいい。 「もっと早く始めればよかった」 と悔しくなる日があってもいい。 友人の家族写真を見て、 少し胸が痛くなることもあるだろう。 人間なのだから。 アドラー心理学は、 そうした感情を消す魔法ではない。 けれど、その感情に人生のハンドルを渡さない方法を教えてくれる。 過去は変えられない。 年齢も戻らない。 相手があなたをどう評価するかも支配できない。 しかし、 今日、誰に会うかは選べる。 自分をどう語るかは選べる。 どんな相手を大切にするかは選べる。 断られた後、自分をどう扱うかも選べる。 焦りから誰かを選ぶのか。 納得から選ぶのか。 それも選べる。 婚活とは、 若さを取り戻す旅ではない。 誰かに価値を証明してもらう旅でもない。 今の自分として世界に参加し、誰かと「これから」をつくる旅である。 37歳には37歳の今日がある。 42歳には42歳の今日がある。 51歳には51歳の今日がある。 そのどれも、 過去には戻れない。 しかし、 未来に向かって開いている。 「もう遅い」 という言葉には、 人生の扉を閉める力がある。 けれど、 「ここから何ができるだろう」 という問いには、 扉をもう一度開く力がある。 婚活で必要なのは、 自分に「絶対にうまくいく」と言い聞かせることではない。 そんな保証は誰にもできない。 必要なのは、 「結果は分からない。それでも私は、自分の人生に参加してみよう」 と思える勇気である。 人を好きになる勇気。 好意を受け取る勇気。 断られる可能性を引き受ける勇気。 違和感には違和感と言う勇気。 自分の希望を大切にする勇気。 そして、 もう一度誰かと人生をつくりたいと願う勇気。 それこそが、 アドラー心理学が婚活に与えてくれる最も大きな贈り物なのかもしれない。 人生には、ときどき長い前奏がある。 すぐに主旋律が始まる人もいる。 長い休符の後に、静かに旋律が立ち上がる人もいる。 けれど、音楽は、 「何小節目で旋律が始まったか」 だけで価値が決まるわけではない。 大切なのは、 その先でどんな音を奏でるかである。 あなたの人生も同じである。 結婚が28歳だったか。 38歳だったか。 48歳だったか。 いつかそんな数字よりも、 「誰と、どんな毎日を生きたか」 のほうが、ずっと大きな意味を持つ日が来るかもしれない。 だから、 「もう遅いだろうか」 と問い続ける代わりに、 こう問い直してみてほしい。 「今の私には、どんな一歩ができるだろう」 その一歩は小さくていい。 一人に申し込むことかもしれない。 一度会ってみることかもしれない。 長く握っていた条件を一つ見直すことかもしれない。 過去の自分を許すことかもしれない。 あるいは、 「結婚したい」 という願いを、恥ずかしがらずに認めることかもしれない。 人の人生は、 年齢によって閉じるのではない。 「もう遅い」と自分に言い続け、可能性から退場したときに狭くなる。 そして、 「ここから始めよう」 と決めたとき、 同じ年齢、同じ人生、同じ今日の中に、 新しい道が生まれる。 時計の針を戻すことはできない。 けれど、 時計を見つめ続けるのをやめて、 目の前の人を見ることはできる。 そこに、 婚活の本当の始まりがある。 そしてもしかすると、 幸せな結婚とは、 「間に合った人」が手に入れるものではない。 自分の人生を他人の時刻表から取り戻し、 目の前の一人と、 「これからの時間を一緒に生きてみたい」 と思えた二人が、 少しずつ育てていくものなのではないだろうか。 年齢は、あなたの人生の注釈ではあっても、 結論ではない。 あなたの物語は、 今日というページからも、 まだ十分に続きを書くことができるのである。 

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