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アドラー心理学に於ける「人生はダンスのように」https://www.cherry-piano.com

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アドラー心理学に於ける「人生はダンスのように」https://www.cherry-piano.com

序章|人生は、目的地ではなく「踊っている時間」そのもの 
 アドラー心理学において、しばしば引用される印象的な比喩がある。 それが――**「人生はダンスのようなものだ」**という言葉である。 人はつい、人生を「どこへ行くか」「何を達成するか」という目的地中心の物語として捉えがちだ。 成功、結婚、地位、承認、幸福―― それらを“ゴール”として設定し、そこに到達できたか否かで人生の価値を測ろうとする。 しかし、アドラーは静かに、しかし根本からそれを否定する。 人生の価値は、 どこへ行ったかではなく、 いま、どのように踊っているか によって決まる。 この視点は、現代人が抱える不安―― 「正解を選ばなければならない」 「失敗してはいけない」 「出遅れてはいけない」 という強迫的な生き方を、根こそぎほどいていく力を持っている。

 第Ⅰ部|「人生はダンス」――アドラー心理学の核心 

1. なぜアドラーは「ダンス」という比喩を選んだのか

  アドラー心理学の最大の特徴は、 人間を原因で縛られた存在ではなく、 目的を選びながら生きる存在として捉えた点にある。 過去のトラウマ、環境、才能の有無―― それらが人生を「決定する」のではない。 人はいつでも、 これからどう生きるかを“選び続けている”。 ダンスとは何か。 正解の振り付けはない 間違えても踊り直せる 上手さよりも「参加していること」に意味がある 観客の評価より、リズムに身を委ねているかが重要 人生をダンスに喩えた瞬間、 「失敗」という概念そのものが、別の姿を帯び始める。 失敗とは、 踊るのをやめてしまった状態なのだ。

2. 「準備が整ってから踊る」という幻想 

多くの人はこう考える。 自信がついたら動こう 傷が癒えたら恋をしよう 条件が揃ったら結婚しよう だがアドラーは、真逆のことを言う。 踊りながら、自信は生まれる。 踊りながら、傷は意味を持つ。 ダンスフロアの外で、 いつまでも完璧な一歩を待っている人は、 永遠に音楽を体験できない。 人生も同じだ。

 

第Ⅱ部|劣等感と「踊れない自分」の心理 

3. 劣等感は「才能の欠如」ではない 

 アドラーは劣等感を、 病理ではなく人間の普遍的な出発点と捉えた。 しかし問題は、 その劣等感をどう扱うかである。 「どうせ私なんて」 「笑われるくらいなら最初からやらない」 「失敗するくらいなら、踊らない方がいい」 これは、 評価されることを恐れて、人生のフロアに立たない姿勢だ。 ここで重要なのは、 踊らない理由が「能力不足」ではなく、 他者の目への過剰な配慮だという点である。

 4. 事例①|「正解の結婚」を探し続けた女性 40代・女性。

 長年、結婚相談所で活動を続けていたが、 交際が始まるたびに自ら関係を終わらせてしまう。 彼女の口癖はこうだった。 「この人で本当にいいのか、 まだ分からないんです」 深く掘り下げると、 彼女が恐れていたのは 「間違った選択をしたと思われる人生」だった。 彼女にとって結婚は、 人生のダンスではなく、 一発勝負の審査になっていた。 そこで問いを変えた。 「“正しい相手”を探す人生と、 “誰かと踊ってみる人生”、 どちらを生きたいですか?」 数ヶ月後、彼女はこう語った。 「完璧じゃないけど、 一緒に踊れる感じがするんです」 彼女は初めて、 評価される人生から、体験する人生へ足を踏み出した。 

第Ⅲ部|目的論と「踊り方を選ぶ自由」 

5. 人はいつも「目的」に向かって動いている 

アドラー心理学の中核である目的論は、 人生をダンスとして理解するための鍵である。 同じ出来事でも、 傷つくために使う人 学ぶために使う人 避けるために使う人 目的が違えば、 踊り方はまったく変わる。 重要なのは、 目的は無意識に選ばれていることが多いという点だ。 「失敗しないため」 「傷つかないため」 という目的で人生を選ぶと、 その人のダンスは極端に小さくなる。

 6. 事例②|「失敗を恐れない」男性の選択 30代・男性。 

 転職・恋愛・引越しを何度も経験している。 一見、落ち着きがないように見えるが、 彼はこう語る。 「どれも正解かは分かりません。 でも、止まって後悔するより、 踊ってみたいんです」 彼の人生には一貫した目的があった。 「体験することから逃げない」 アドラー的に言えば、 彼は他者承認よりも 自己選択を優先する勇気を持っていた。

 終章|人生とは「上手に踊ること」ではない 

 アドラー心理学が私たちに差し出すメッセージは、 驚くほどシンプルで、そして厳しい。 人生に正解はない 他人の評価は変えられない それでも、踊るかどうかは選べる 人生とは、 観客席で評論するものではない。 音楽が鳴っているあいだ、 フロアに立っていること自体が意味なのだ。 上手に踊れなくてもいい。 迷っても、つまずいてもいい。 それでも一歩踏み出すとき、 人は初めて「自分の人生」を生き始める。 アドラーが言う「人生はダンスのようなもの」とは、 勇気の哲学そのものである。

 第Ⅳ部 恋愛・結婚における「踊る勇気」 ――愛とは、選び続けるリズムである

1.恋愛と結婚は「結果」ではなく「運動」である 

 多くの人が、恋愛や結婚を 人生のゴールとして捉えている。 恋人ができたら安心 結婚できたら一人前 選ばれたら価値がある だが、アドラー心理学の視点から見れば、 恋愛も結婚も「到達点」ではない。 それはむしろ―― 継続的な運動であり、関係性のダンスである。 ダンスにおいて重要なのは、 「相手と組んだ瞬間」ではない。 リズムが変わる中で、 どう足を運び続けるかである。 恋愛も結婚も同じだ。 始まった瞬間に価値が保証される関係など、存在しない。

 2.「選ばれたい」という心理が、踊りを止める 

 恋愛や婚活の現場で、 最も頻繁に耳にする言葉がある。 「どうしたら、選ばれますか?」 この問いの背後には、 深い劣等感と不安が潜んでいる。 嫌われたくない 失敗したくない 見捨てられたくない アドラー心理学的に言えば、 これは他者承認に人生を委ねている状態である。 ここで重要なのは、 「選ばれたい」という欲求そのものではない。 問題は、その欲求が強くなりすぎた結果、 本音を隠す 不満を言えなくなる 相手に合わせすぎる という、踊らない恋愛が始まってしまう点だ。 それは一見、穏やかで安全に見える。 だが実際には、 どちらか一方が動きを止め、 もう一方に寄りかかる、不自然なダンスである。 

3.事例①|「いい人」を演じ続けた女性 30代後半・女性。

 交際は続くが、結婚に至らない。 彼女は常にこう語っていた。 「相手に不満はないんです。 ただ、なぜか苦しくなってしまって…」 丁寧に話を聴いていくと、 彼女の恋愛には一貫した特徴があった。 嫌われそうなことは言わない 相手の意見を優先する 自分の希望は後回し 彼女は恋愛を、 評価される舞台だと無意識に捉えていた。 つまり彼女は、 踊っているつもりで、 実はずっと姿勢を正して立っていただけだった。 問いを変えた。 「この恋愛で、 あなたは“動いて”いますか?」 沈黙のあと、彼女は泣いた。 「…いいえ。 失敗しないように、 ずっと止まっていました」 この気づきは、 彼女にとって最初の「一歩」だった。 

4.愛に必要なのは「好かれる勇気」ではない 

 恋愛において必要なのは、 よく誤解される。 自信、魅力、コミュニケーション能力―― 確かにそれらは助けになる。 だが、アドラー心理学が本当に重視するのは、 嫌われるかもしれない勇気である。 意見が違うと言う勇気 不安を伝える勇気 それでも関係を続ける勇気 ダンスにおいて、 相手の動きにただ合わせるだけでは、 やがて息が詰まる。 少し踏み外す。 少しぶつかる。 リズムがずれる。 その不安定さを引き受ける覚悟こそが、 愛における「踊る勇気」なのだ。 5.結婚とは「固定された振り付け」ではない 

 結婚に対して、多くの人は幻想を抱く。 安定する 分かり合える 変わらなくていい しかしアドラー心理学の立場では、 結婚はむしろ変化が前提の関係である。 年齢、仕事、健康、価値観―― 人生の音楽は、確実に変調していく。 そのたびに必要なのは、 「この人と、 もう一度踊り直す勇気」 結婚生活が苦しくなる瞬間とは、 どちらかがこう考え始めたときだ。 もう分かっているはず 変わらないでほしい 今さら言わなくてもいい それは、 ダンスを止めてしまった関係である。

 6.事例②|沈黙で守られた結婚 40代・夫婦。

 大きな喧嘩はないが、会話も少ない。 夫は言う。 「特に不満はありません」 妻は言う。 「波風は立てたくないんです」 一見、安定しているように見える。 だが、そこには動きのない静止があった。 カウンセリングの中で、 こんな問いを投げかけた。 「お二人は、 最後に“気まずくなる勇気”を いつ使いましたか?」 沈黙のあと、 夫婦は顔を見合わせた。 数ヶ月後、妻はこう語った。 「怖かったけど、 言ってみたら、 また一緒に踊れる感じがしたんです」 結婚とは、 壊れない関係ではない。 壊れそうな瞬間を、何度も越えていく関係である。

 7.愛とは「成功」ではなく「参加」である 

 アドラー心理学において、 愛の本質は成功ではない。 うまくいったか 長く続いたか 周囲に認められたか それらは副次的な結果にすぎない。 本質は、 逃げずに参加したかどうかである。 恋愛も結婚も、 失敗する可能性は常にある。 だが、踊らなければ、 失敗もしない代わりに、 何も起こらない。 アドラーは、 その「何も起こらない人生」を、 最も深い不幸だと考えた。 

8.恋愛・結婚における「踊る勇気」とは何か 

 最後に、 この章の核心を言葉にするなら、こうなる。 恋愛・結婚における「踊る勇気」とは、 完璧な相手を選ぶ勇気ではない。 完璧でない関係の中で、 それでも動き続ける勇気である。 分からないまま進む 不安を抱えたまま手を取る 変わる相手と、変わる自分を引き受ける それは、 ロマンチックな幻想ではない。 むしろ極めて現実的で、 静かな勇気の連続だ。

第Ⅴ部 共同体感覚――ひとりで踊らない人生 ――人生のダンスは、いつも誰かのリズムと重なっている 

1.「ひとりで立つ」ことと「ひとりで生きる」ことは違う 

 現代社会は、 自立を美徳としてきた。 自分のことは自分で 他人に迷惑をかけない 依存しない強さ これらは一見、成熟した価値観のように見える。 だがアドラー心理学は、 そこに一つの危うさを見抜いていた。 ひとりで立つことと、 ひとりで生きることは、まったく違う。 人生をダンスにたとえるなら、 確かに一人で踊る瞬間はある。 だが、音楽を奏でているのは誰か。 フロアを支えているのは誰か。 アドラーが言う「共同体感覚」とは、 人は常に誰かとの関係の網の目の中で踊っている という事実への自覚である。 

2.共同体感覚とは「仲良くすること」ではない 

 共同体感覚という言葉は、 しばしば誤解される。 皆と仲良くする 空気を読む 対立しない だが、アドラー心理学における共同体感覚は、 迎合でも同調でもない。 それは、 自分は、この世界の一部であり、 同時に、他者もまた目的を持った存在だと理解すること という、極めて静かな認識である。 ダンスにおいて、 相手の存在を感じるとは、 相手に従うことではない。 相手の動きを尊重しながら、 自分の動きも引き受けることだ。

 3.なぜ人は「ひとりで踊ろう」としてしまうのか 

 多くの人が、 無意識のうちに人生を「ソロダンス」にしてしまう。 傷つきたくない 裏切られたくない 期待したくない これは、 人を信用しない強さではない。 失望を避けるための戦略である。 アドラー心理学では、 これを「人生の課題から退く姿勢」と捉える。 共同体感覚が育たないとき、 人はこう感じ始める。 誰も分かってくれない 自分は孤立している どうせ助け合えない だが皮肉なことに、 人は孤独だからこそ、 さらに他者から距離を取ってしまう。 こうして、 踊らない人生が静かに完成していく。 

4.事例①|「誰にも頼らない」男性の限界 50代・男性。 

 仕事でも家庭でも、 「自分がやらなければ」と抱え込んできた。 彼は言う。 「人に頼るのは、甘えだと思っていました」 だが体調を崩し、 仕事を一時離れたとき、 彼は初めて立ち止まった。 「何もしていないのに、 みんなが気にかけてくれたんです」 彼にとって、それは衝撃だった。 アドラー心理学的に言えば、 彼は初めて 共同体のリズムを感じた瞬間だった。 自分が役に立たなくても、 そこにいていい。 それは、 「存在して踊っていい」という 深い許可だった。 

5.愛と共同体感覚――ふたりの関係を超えて 

 恋愛や結婚が苦しくなる理由の一つに、 関係をふたりだけで完結させようとすることがある。 相手がすべてを分かってくれるはず この人だけいればいい 外の世界は関係ない だが、ダンスは閉じた空間では続かない。 仕事、友人、家族、社会―― それぞれが音楽を変え、 リズムを揺らす。 アドラーは、 愛を「閉じた依存関係」にしないために、 共同体感覚を不可欠な条件と考えた。 ふたりで踊るためには、 ふたり以外の世界とも リズムを共有していなければならない。 

6.事例②|「ふたりきり」で息苦しくなった結婚 30代・夫婦。

 結婚後、次第に関係が重くなった。 妻は言う。 「この人の人生を、 私が全部支えなきゃいけない気がして…」 夫は言う。 「妻がいないと、 自分はダメなんじゃないかと…」 そこには、 共同体が消えた関係があった。 カウンセリングでは、 ふたりそれぞれに問いを投げた。 「この結婚は、 社会の中で、 どんな“踊り”をしていますか?」 時間をかけて、 ふたりは仕事、友人、地域活動へと 再び足を伸ばしていった。 数ヶ月後、妻はこう語った。 「ふたりだけじゃないから、 逆に、 ちゃんと向き合えるようになりました」 

7.共同体感覚とは「役に立つこと」ではない 

 アドラー心理学では、 しばしば「他者貢献」という言葉が使われる。 だが、これも誤解されやすい。 他者貢献とは、 自己犠牲ではない。 無理に役立とうとすることでもない。 それは、 自分の存在が、 誰かの人生のリズムの一部になっている と感じられること である。 ダンスにおいて、 主役も脇役も存在しない。 すべての動きが、 全体の美しさをつくっている。

 8.孤独と共同体感覚――つながりは「信じる勇気」 

 人は、 完全に理解されることはない。 それでも、 理解されようとすることはできる。 アドラーが言う共同体感覚とは、 つながりの保証ではない。 裏切られない確信ではなく、 それでも信じるという選択 である。 孤独は消えない。 だが、孤立は選択できる。 人生のダンスを、 誰とも手を取らずに踊ることもできる。 だが、そのとき音楽は、 どこか遠くで鳴っている。

 9.ひとりで踊らない人生とは何か 

 最後に、 この章の核心を言葉にする。 ひとりで踊らない人生とは、 誰かに依存する人生ではない。 誰かと同じリズムの空間に、 自分を差し出す人生である。 分かり合えなくても、同じ場に立つ 完璧でなくても、関わり続ける 傷つく可能性を引き受ける それは、 孤独を消す魔法ではない。 だが、孤独を意味ある孤独に変える。 

第Ⅵ部 老い・喪失・再出発のダンス ――音楽が変わっても、人生は踊り続けられる 

1.人生は、いつか「テンポが落ちる」 

 若いころ、 人生の音楽は速い。 予定は先へ先へと延び 可能性は無限に広がり 体も心も、勢いよく動く しかし、ある時期から、 誰もが気づき始める。 体が思うように動かない 人が去っていく できないことが増えていく このとき多くの人は、 人生をこう解釈してしまう。 「もう踊れない」 だがアドラー心理学は、 その解釈そのものを問い直す。 踊れなくなったのではない。 音楽が変わっただけなのだ。

 2.老いとは「価値が下がること」ではない 

 老いは、 現代社会ではネガティブに語られやすい。 生産性が下がる 役に立たなくなる 過去の人になる だがアドラー心理学は、 人の価値を能力や成果で測らない。 価値は、 共同体の一員として存在していること そのものにある。 ダンスにおいて、 激しい動きだけが踊りではない。 ゆっくりしたステップ 場を支える佇まい 若い踊り手を見守る位置 それらもまた、 ダンスの重要な一部である。 老いとは、 踊りをやめることではない。 踊り方が変わることなのだ。 3.喪失は、人生の「音楽が途切れる瞬間」 

人生には、 避けられない喪失がある。 愛する人との別れ 役割の喪失 健康の喪失 夢の終わり 喪失は、 人生の音楽が突然止まる瞬間のようだ。 その沈黙の前で、 人は立ち尽くす。 「もう何も始まらない」 だがアドラー心理学は、 ここでも問いを投げかける。 音楽が止まったとき、 あなたは何を選ぶか。 その場に座り込むか 失われた旋律だけを見つめ続けるか それとも、新しい音に耳を澄ますか 喪失は、 人生を終わらせる出来事ではない。 人生のリズムを問い直す契機である。

 4.事例①|退職後、「何者でもなくなった」男性 60代・男性。 

 定年退職後、抑うつ状態に陥った。 「自分には、 もう肩書きがないんです」 彼にとって仕事は、 人生のリズムそのものだった。 朝起き、 役割を果たし、 評価される。 それが消えたとき、 彼はこう感じた。 「踊る理由がなくなった」 カウンセリングでは、 問いを変えた。 「あなたが踊っていたのは、 役割でしたか。 それとも、生きている実感でしたか。」 少しずつ、 彼は地域活動や趣味に足を運び始めた。 数ヶ月後、彼はこう言った。 「誰にも評価されないけど、 なぜか、 ちゃんと生きてる感じがします」 それは、 再出発の小さなステップだった。 

5.悲しみは「克服」するものではない 

 喪失に対して、 人はよくこう言われる。 早く立ち直りなさい 前を向きなさい いつまでも引きずらないで だがアドラー心理学は、 悲しみを敵視しない。 悲しみは、 人生に深く参加してきた証だからだ。 ダンスにおいて、 止まる瞬間があるからこそ、 次の一歩に意味が宿る。 悲しみとは、 人生のダンスにおける 静止のポーズなのだ。 それを無理に消そうとすると、 次の動きが歪む。

 6.事例②|配偶者を失った女性の再出発 70代・女性。 

 長年連れ添った夫を亡くした。 「もう誰とも、 踊れないと思いました」 彼女は長いあいだ、 外に出なかった。 だが、ある日、 近所の集まりに誘われた。 「最初は、 ただ座っていただけです」 それでよかった。 人生の再出発は、 必ずしも「動くこと」から始まらない。 数年後、彼女はこう語る。 「夫と踊っていた時間があったから、 今も、 音楽が聴こえるんです」 喪失は、 すべてを奪うわけではない。 踊った記憶は、人生に残る。

 7.再出発とは「新しい自分になること」ではない 

 再出発という言葉は、 誤解されやすい。 生まれ変わる 強くなる 立派になる だが、アドラー心理学が示す再出発は、 もっと静かだ。 できない自分を含めて、 もう一度、 フロアに立つこと それだけでいい。 過去を消さなくていい。 若さを取り戻さなくていい。 人生の後半に必要なのは、 派手なステップではなく、 続ける意志である。 

8.老い・喪失・再出発における「踊る勇気」 

 この章で描いてきた 老い・喪失・再出発に共通するもの―― それは、勇気の質の変化である。 若いころの勇気: 挑戦する 目立つ 先へ進む 人生後半の勇気: 留まる 受け取る 手放す どちらも、 同じ「生きる勇気」である。

 9.人生の終わりに近づくということ 

 人生のダンスは、 いつか終わる。 だが、その終わりを意識したとき、 初めて見えてくるものがある。 どんな踊りだったか 誰と踊ったか どんな音楽を選んだか アドラー心理学は、 人生を評価しない。 ただ、こう問いかける。 あなたは、 人生の音楽に、 参加しましたか。

終章 人生はダンスのように ――勇気とは「人を信じる決断」である 1.人生の問いは、最後にひとつに収束する 

ここまで、私たちは アドラー心理学の視点から、 劣等感 恋愛と結婚 共同体感覚 老いと喪失 再出発 という、人生の主要な局面を 「ダンス」という比喩で辿ってきた。 一見、それらは別々のテーマに見える。 だが、深く潜っていくと、 すべてはひとつの問いに収束していく。 人は、 他者を信じて、 人生に参加する勇気を持てるか。 アドラー心理学における「勇気」とは、 無謀さでも、自己主張の強さでもない。 それは、 人と共に生きることを、 引き受ける覚悟である。

 2.人生を「踊らない理由」は、いつでも正しい 

 人生を踊らない理由は、 実にもっともらしい。 傷ついたから 裏切られたから 自信がないから もう遅いから どれも、 否定できない理由だ。 アドラー心理学は、 それらを「間違い」とは言わない。 ただ、こう問い直す。 それでも、 踊らないという選択を、 あなたは本当に望んでいますか。 人生を観客席から眺めている限り、 傷つくことは少ない。 だが、喜びもまた、 遠くで鳴っている。 

3.勇気とは「不安がない状態」ではない 

 多くの人が、 勇気を誤解している。 不安が消えたら 自信がついたら 確信が持てたら そのとき初めて、 動けると思っている。 だがアドラーは、 はっきりと言う。 勇気とは、 不安があるまま、 一歩を踏み出す力である。 ダンスフロアに立つとき、 完璧な保証など存在しない。 相手がどう動くかは分からない。 音楽が変わるかもしれない。 転ぶかもしれない。 それでも、 一歩を出す。 それが、 生きるという行為の本質だ。 

4.「人を信じる」とは、どういうことか 

 ここで言う「信じる」とは、 無条件に期待することではない。 裏切られないと信じること 失望しないと信じること ではない。 アドラー心理学における信頼とは、 裏切られる可能性を含めて、 それでも関係に参加する決断 である。 つまり、 信頼とは感情ではなく、 選択なのだ。 

5.愛も、共同体も、老いも――すべて同じ構造を持つ 

 恋愛において、 人はこう問われる。 「この人を信じて、 一緒に踊れるか」 結婚において、 問われるのはこうだ。 「変わり続ける相手と、 それでも踊り直すか」 共同体においては、 「完全には分かり合えなくても、 同じ場に立ち続けるか」 老いと喪失においては、 「失われたあとも、 人生に意味を見出すか」 すべてに共通しているのは、 人との関係を断たずにいる勇気である。 

6.人生の価値は、結果では測れない 

 アドラー心理学が 一貫して拒んだものがある。 それは、 人生を「成果」で測る態度だ。 成功したか うまくやれたか 評価されたか それらは、 人生の副産物にすぎない。 人生の価値は、 ただひとつの問いで測られる。 あなたは、 人生の音楽が鳴っているあいだ、 フロアに立っていましたか。 上手に踊れたかどうかは、 重要ではない。 

7.最後に残るのは「誰と踊ったか」 

 人生の終わりに近づいたとき、 人が思い出すのは、 地位 財産 評価 ではない。 誰と笑ったか 誰と黙って並んだか 誰と手を取り合ったか それらが、 人生の記憶として残る。 ダンスの記憶は、 動きそのものより、 一緒に踊った存在によって刻まれる。

 8.人生はダンスのように――もう一度、この言葉を 

「人生はダンスのようなものだ」 この言葉は、 軽やかな比喩ではない。 それは、 生き方への厳しくも優しい招待状だ。 正解はない 保証はない でも、選べる 人生において、 最も根源的な勇気とは何か。 それは、 人を完全には信じきれなくても、 それでも人と生きることを選ぶ勇気 である。 

結びにかえて 

 人生の音楽は、 ときに騒がしく、 ときに静かで、 ときに不協和音を奏でる。 それでも、 音楽が鳴っている限り、 人生は続いている。 どうか、 上手に踊ろうとしなくていい。 ただ、 人生のフロアに立ち続けてほしい。 それこそが、 アドラー心理学が私たちに遺した、 もっとも深い勇気のかたちなのだから。

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