愛とはその人のために何を失うことができるか https://www.cherry-piano.com
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加藤諦三がたびたび強調するのは、「エゴ」と「愛」の混同である。多くの人が、相手に尽くすことや、自分を犠牲にすることを「愛」と勘違いするが、実際にはそれは「自己愛」であることが多いという。
たとえば、子どもが自立して一人暮らしを始めたいと言ったとき、「心配だからやめてほしい」と言う親がいる。これは愛ではなく、自己の安心を守る行動である。真の親の愛とは、子どもの自立を応援し、自らは寂しさや不安という「喪失」に耐えることである。
喪失は時に、人を破壊する。しかし、それを経てなお「その人と出会えてよかった」と思えるとき、人はそこに“愛”を見出すのだ。
恋愛において、「別れ」は失敗の象徴として語られることが多い。しかし加藤諦三は、別れこそが真の愛の選択であることもある、と説く。
それは、自己防衛であると同時に、彼女を守る行為でもあった。関係を維持することよりも、「互いを壊さないこと」を優先したその決断は、「与える愛」ではなく「見守る愛」である。
加藤諦三はフロムの影響を直接的に受け、「愛とは相手を自由にすること」「愛とは見返りを求めないこと」といった視座を明確に表現している。特に、自己愛と他者愛を峻別し、「愛は自立の上に成り立つ」という加藤の理念は、フロムの思想と響き合うものである。
加藤は、成長する人とそうでない人の差を「喪失の受け止め方」に見る。喪失を否定し、怒りや執着に変える人は停滞する。しかし、喪失を受け入れ、それを自己変容の機会と捉える人は、人生の質そのものを深めていく。
この境地は、必ずしも宗教を信仰することによってのみ到達できるわけではない。むしろ、深い喪失や痛み、孤独を経験した人間が、それでもなお他者を思うという行為の中で、自然と到達するものである。
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