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「生きがいの見つけ方」〜茂木健一郎博士の視点から〜https://www.cherry-piano.com

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「生きがいの見つけ方」〜茂木健一郎博士の視点から〜https://www.cherry-piano.com

序章 「生きがい」を求める脳と心

私たち人間は、ただ生存するためだけに生きているわけではない。呼吸をし、食べ、眠ることは確かに生命を維持するための基盤である。しかし、その基盤の上に「なぜ生きるのか」「何のために生きるのか」という問いが必ず芽生える。これが「生きがい」を求める心の働きである。茂木健一郎博士が繰り返し強調するのは、脳という器官が単なる情報処理マシンではなく、「意味」を生み出す存在であるということだ。私たちが朝目覚め、今日という一日を歩き出すとき、その背後には「意味」への渇望がある。

1. 脳がつくる「意味」の風景

脳科学的に見れば、「生きがい」とは報酬系の快楽を超えた現象である。たとえば美味しいものを食べたとき、ドーパミンが分泌されて快感が得られる。しかし、それは一過性であり、次の瞬間には空虚が訪れる。では、人が長期的に充実感を抱くのはいつか。それは自分の存在が誰かとつながり、あるいは大きな物語に組み込まれていると感じたときである。脳は「自己」と「他者」との関係の中で、世界を意味づけていく。

恋愛や結婚においても、この脳の働きは顕著に表れる。愛する人が自分の存在を必要としている、その実感は単なる快楽以上の「意味」をもたらす。逆に孤立し、誰からも必要とされないと感じるとき、人は生きがいを見失う。脳は「誰かにとっての物語」であることを求めているのだ。

2. 「生きがい」は偶然の瞬間から生まれる

茂木博士はしばしば「偶有性」という言葉を用いる。人生は計算どおりには運ばない。予期せぬ出会い、思いがけない挫折、ふと耳にした言葉——その偶然が私たちの脳に新しい回路を開き、生きがいの芽を宿す。

ある女性は、長年勤めていた会社を突然リストラされた。絶望の淵で、気晴らしに参加した料理教室で一人の男性と出会った。その出会いが恋愛に発展し、やがて結婚へと結びついた。後に彼女はこう語ったという。「あのとき仕事を失っていなければ、夫と出会うことも、生きがいとしての家庭を築くこともなかった」。脳は過去の挫折をも意味ある物語に変換する。偶然は「生きがい」の母である。

3. 愛と結婚に宿る「生きがい」の契機

恋愛はしばしば「生きがい探し」の最も濃厚な舞台となる。脳は愛する相手との関係において、自分が「生かされている」感覚を強く抱く。茂木博士は「心は他者の中に開かれている」と述べるが、まさに恋愛はその典型だ。

結婚生活においても、「生きがい」はただの安定ではなく、日々の共同作業の中から醸成される。子どもの笑顔、食卓を囲む小さな幸福、時に衝突しながらも共に歩むパートナーとの関係。こうした日常の積み重ねが、人の脳に「生きている意味」の実感を刻み込む。

一方で、愛の喪失や夫婦関係の破綻は、しばしば「生きがいの崩壊」として体験される。だが、ここにもまた再生の可能性がある。離婚や失恋を経て、人生の新しい意味を探す人々は少なくない。その過程そのものが、生きがいを再構築する道となる。

4. 「生きがい」とは脳と心の共同作品

脳科学は「快感」と「報酬」の回路を明らかにしたが、それだけでは人の生を説明できない。なぜなら、私たちは単なる動物ではなく、「意味」を求める存在だからである。人は、自らの存在を物語として編み上げ、他者と分かち合うときに初めて「生きがい」を実感する。

恋愛も結婚も、人生の大いなる物語の一章にすぎない。しかし、その一章があるかどうかで人生の意味は大きく変わる。茂木博士の言葉を借りれば、「生きがいとは、脳と心が織りなす即興の交響曲」である。そこには予定調和はなく、出会いと別れ、喜びと痛みのすべてが旋律をつくる。

結び

本書全体を通して私たちは、「生きがい」とは何かを脳科学、心理学、そして日常の物語から探求していく。特に恋愛や結婚といった人間関係がどのように「生きがい」を形づくるかに焦点をあてることで、読者は自らの人生の中に小さな光を見出すだろう。

次章以降では、「生きがい」の哲学的基盤と脳科学的理解、そしてそれが恋愛・結婚・社会との関わりにどう広がっていくかを具体的事例とともに紐解いていく。

第Ⅰ部 生きがいの哲学と脳科学

第1章 生きがいとは何か——自己超越と喜びの瞬間

「生きがい」という言葉は、日本語特有の響きを持っている。「生きることに値する」「命を支える理由」といった意味を込めつつ、それは単なる目的意識や役割のことではない。そこには「喜び」や「情熱」、そして「超越的な感覚」が含まれる。

哲学者ヴィクトール・フランクルは、アウシュビッツという地獄の中でなお「生きる意味」を問うことの重要性を説いた。彼にとって、生きがいとは極限状況を耐え抜く支えであった。

一方で、日常の私たちにとって生きがいは「小さな瞬間の輝き」として現れる。恋人からの微笑み、夫婦で交わすささやかな会話、子どもが描いた稚拙な絵を見たときの胸の温かさ。これらは計算や効率から生じるものではなく、むしろ「無駄」と思える部分にこそ宿る。

茂木博士は「生きがいとは即興の交響曲のようなものだ」と語る。そこでは緻密な設計図よりも、偶然の和音や出会いが旋律を豊かにする。恋愛や結婚もまた、予定調和ではなく、予期せぬ「喜びの瞬間」の積み重ねの中で意味を帯びていく。

第2章 脳科学が示す「快」と「意味」のメカニズム

脳科学の視点から見ると、人間が「生きがい」を感じるとき、脳内では二つのシステムが同時に動いている。一つは「報酬系」と呼ばれる快楽の回路、もう一つは「前頭前野」による意味の統合機能である。

報酬系:ドーパミン分泌による快感。恋人の声を聞いたとき、LINEの通知が届いたとき、抱擁されたときなどに活性化する。

意味の統合:それが一過性の快楽を超え、「自分の人生を形づくるもの」として体験されるとき、前頭前野が働き「物語化」される。

たとえば、恋愛初期の高揚感は報酬系によって支えられる。しかし、それが結婚生活へと発展し、日常の習慣や困難を乗り越えていく中で「二人で生きる物語」として意味を持ち始める。脳はこのとき単なる快楽を超え、「生きがい」としての充実を経験する。

茂木博士が提唱する「クオリア」の概念もここに重なる。私たちの意識は、単なるデータではなく、固有の質感=クオリアを伴う。恋人と見た夕焼けの色、子どもの寝顔に感じた安らぎ、それらは唯一無二の体験として脳に刻まれ、生きがいを構成する記憶となる。

第3章 日本文化における「生きがい」の伝統

「生きがい」という言葉が日本人に深く響くのは、文化的背景によるところが大きい。古来、日本人は自然との調和や共同体とのつながりの中に意味を見出してきた。

和歌や物語文学では、恋や結婚がしばしば「生きる喜び」として歌われた。清少納言や紫式部は、恋の駆け引きや夫婦関係の中に人間の心の機微を描き、その中に「生きがい」の萌芽を見ていた。

武士道の伝統では、忠義や使命が「生きがい」とされた。これは個人を超えた価値への献身という意味である。

現代日本においては、「家族のために働く」「子どもの成長を支える」といった家庭中心の生きがいが一般的であったが、近年は個人の趣味や自己実現も重視されるようになっている。

恋愛や結婚に関しても、昭和期までは「家制度」や社会的規範の中での義務としての側面が強かった。しかし平成以降、「愛がある結婚」「パートナーと共に夢を育む」という価値観が広まり、個人の生きがいと結婚生活がより密接に結びつくようになった。

茂木博士は「生きがいは個人の脳内に完結するものではなく、社会や文化と共鳴してこそ豊かになる」と説く。つまり、恋愛や結婚という文化的制度は、私たちが生きがいを見出すための重要な舞台装置でもある。

第Ⅰ部のまとめ

ここまで見てきたように、「生きがい」は

哲学的には「自己超越と喜びの瞬間」、

脳科学的には「快楽と意味の統合」、

文化的には「共同体と物語の共有」

として理解される。

恋愛や結婚はこれらすべての要素を兼ね備えた現象である。愛する人と出会う喜び(快楽)、その人との人生を物語として描く意味(統合)、そして社会や文化の中でその関係を認め合う共有性。これらが一体となって、人は「生きがい」を強く感じる。

次なる第Ⅱ部では、この延長として「恋愛における生きがいの探求」を具体的に掘り下げていく。恋愛がなぜ人にとって「生きる意味」として機能するのか、脳科学と心理学の観点から検討していくことになる。

第Ⅱ部 恋愛における生きがいの探求

第4章 愛することは「生きる意味」か

人はなぜ恋をするのだろうか。単なる生殖のための本能だけで説明できるだろうか。茂木健一郎博士は「人間の心は意味を生み出す」と語る。恋愛もまた、単なる生理的欲求を超えて、「自分が生きている意味」を体験する舞台となる。

ある青年は、失業中で自尊心を失っていた。しかし、ボランティア活動で知り合った女性に「あなたの存在は人を元気にする」と言われた瞬間、彼の中に小さな光が灯った。その後二人は恋愛関係に発展したが、彼にとって重要だったのは「愛される」という事実以上に、「誰かに必要とされる」という感覚だった。愛はそのまま、生きがいの根拠になり得るのである。

愛することは、自分を超えて他者に心を開くことだ。そのとき、脳は「自分」という殻を越えた充実を覚え、人生の意味を再発見する。

第5章 脳内物質から見る恋愛の幸福感

脳科学の観点からすれば、恋愛が生きがいに深く関わるのは、脳内物質の働きによる。

ドーパミン:恋のときめきを生む。新しい出会いやメッセージのやり取りで分泌され、強烈な快感をもたらす。

オキシトシン:愛情ホルモンとも呼ばれ、抱擁や信頼関係を築くことで分泌される。結婚生活や家族関係における「安心感」を育む。

セロトニン:心の安定をもたらす。恋愛初期の不安定さを乗り越えた後、穏やかなパートナーシップに寄与する。

ある夫婦は、結婚して十年以上経つが、毎朝「いってらっしゃい」と「おかえりなさい」を欠かさない。それは小さな儀式にすぎないが、オキシトシンの分泌を促し、二人の「生きがいの回路」を維持している。

恋愛の脳科学は、単なる快楽ではなく、長期的な意味づけを支える生理的基盤を示しているのだ。

第6章 恋愛の喪失と再生——絶望から生きがいへ

愛は生きがいの源泉となる一方で、失恋や別離は生きがいの喪失をもたらす。脳科学的には、愛する人を失ったとき、報酬系の回路が急激に沈静化し、身体的にも痛みに似た苦しみを伴うことが知られている。

ある中年の男性は、二十年連れ添った妻を病で失った。最初の一年は「生きがいを失った」と語り、何も手につかなかった。しかし、妻が生前愛していた庭づくりを続けるうちに、彼は少しずつ「妻と共に生き続けている」感覚を取り戻した。庭の花は彼にとって、喪失の絶望を超えて新しい生きがいを紡ぐ象徴となった。

恋愛の喪失は人生に深い傷を残すが、その傷を癒し、新しい意味を見つけ出す過程そのものが、生きがいを再構築する道となる。

第Ⅱ部のまとめ

恋愛は人間にとって「生きる意味」を最も強く体験させる出来事である。

愛することは自己超越であり、他者を通して生きる意味を発見する。

脳内物質はその幸福感を支え、愛を生理的にも「生きがい」と結びつける。

喪失や別離さえも、新たな意味づけを経て再び生きがいへと昇華される。

茂木博士が語るように、「生きがいは偶然の中から生まれる」。恋愛はその最も劇的な形であり、人の脳と心を総動員して「なぜ生きるのか」という問いに答え続ける。

第Ⅲ部 結婚と家庭における生きがい

第7章 「共に生きる」ことの意味

結婚は、単なる契約や制度以上の意味を持つ。「共に生きる」という日常的な営みの中で、人は生きがいを育てていく。茂木健一郎博士の言葉を借りれば、結婚とは「偶然の連続を共有するプロセス」である。

一人で暮らすなら些細に思えることも、二人で過ごすと意味を帯びる。雨の日に傘を差し合うこと、体調を崩したときに薬を買いに行くこと、仕事の愚痴をこぼして聞いてもらうこと——これらは小さな出来事だが、脳にとっては「自分は一人ではない」という実感を強烈に刻み込む。

ある新婚夫婦は、初めての同居生活で洗濯物の干し方を巡って喧嘩をした。しかし、それを解決し、互いの「普通」の違いを受け入れる過程で、「自分たちは違う存在でありながら共に生きていける」という確信を得たという。その確信こそが、生きがいを育てる土壌となる。

第8章 夫婦関係における生きがいの変遷

結婚生活の生きがいは、時間とともに姿を変える。

新婚期:ときめきや未来への期待が生きがいの中心になる。恋愛の延長線上であり、脳内ではドーパミンが活発に働く。

子育て期:子どもの成長が最大の生きがいとなる。夫婦の役割は「親」としての共同作業に重心が移る。オキシトシンの分泌が増え、愛情と絆が強まる。

中年期:子育てが落ち着くと「夫婦二人の関係性」が再び問われる。ここで危機を迎える夫婦も多いが、新しい趣味や活動を共有できれば再び生きがいが芽吹く。

老年期:互いの健康や存在そのものが生きがいになる。朝起きて「おはよう」と言えること、共に夕飯を食べられることがかけがえのない意味を持つ。

ある夫婦は、子育てが終わった後に「一緒に山登りを始めた」。それまでの喧嘩や倦怠期が嘘のように、自然の中で共に汗を流す時間が新しい生きがいをもたらした。夫婦関係の生きがいは、固定されたものではなく、ライフサイクルに応じて変容し続ける。

第9章 育児・家族の中に見出す人生の喜び

家庭において「子ども」や「家族の絆」が生きがいとなることは多い。子どもが初めて歩いた日、運動会で走る姿、思春期の反抗すら、親にとっては人生を彩る物語である。

茂木博士の脳科学的視点からすれば、子どもの存在は「自分の遺伝子を超えた意味の継承」として大きな報酬をもたらす。親は子どもを通して未来を見出し、そこに生きがいを感じるのだ。

しかし一方で、家庭の中での役割に縛られすぎると、生きがいが「義務」や「重荷」として感じられることもある。母親が「子育てだけが自分の存在理由」と思い込むと、子どもが巣立った後に空虚感に襲われる「空の巣症候群」に陥る。

ある女性は、子どもが独立した後に地域のボランティア活動を始めた。最初は「寂しさを埋めるため」だったが、やがて「誰かの役に立っている」という実感が彼女に新しい生きがいを与えた。家庭から社会へと生きがいを拡張することが、人生後半においては重要になる。

第Ⅲ部のまとめ

結婚と家庭は、人が生きがいを育む最も身近で深い場である。

夫婦の共同生活は「共に生きる意味」を実感させ、脳に「つながりの報酬」を与える。

ライフサイクルに応じて、生きがいは「ときめき」「子育て」「夫婦の再発見」「存在そのもの」へと変容する。

育児や家族は大きな喜びであり、同時に役割の呪縛ともなり得る。だからこそ、家庭の外へと生きがいを広げることも必要である。

茂木健一郎博士が強調するように、「生きがいは脳と心が意味をつくり出すプロセス」である。結婚や家庭はそのプロセスを最も濃厚に体験できる舞台であり、愛と責任、喜びと苦悩が交錯するその営みこそが、人間を深く成長させていく。

第Ⅳ部 社会とのつながりと生きがい

第10章 仕事とキャリアにおける生きがい

社会における活動の中心は「仕事」である。私たちは一日の大半を職場で過ごし、その中で自己実現や社会貢献の機会を見出す。茂木健一郎博士は「脳は意味を求める装置である」と述べるが、まさに仕事は「意味」を得る大きな回路となる。

たとえば、教師として働く女性がいた。彼女は日々の授業準備や採点に追われて疲弊していたが、卒業式の日に教え子から「先生に出会えてよかった」と手紙をもらった瞬間、涙が止まらなかった。「自分の努力が誰かの未来につながっている」——この実感こそが、生きがいを支える根拠となったのである。

結婚や家庭と両立させながらキャリアを築く人々にとっても、仕事は単なる収入源ではない。「誰かの役に立つ」「社会に存在を刻む」という実感が、人生の意味を強めていく。

第11章 コミュニティと共感の回路

人は孤立しては生きていけない。近隣との交流、地域活動、趣味の仲間とのつながりなど、小さな共同体が生きがいを支える。脳科学的にも、人とのつながりの中で分泌されるオキシトシンは、幸福感と信頼感を高める。

ある高齢男性は、退職後に生きがいを失い、家に閉じこもりがちになっていた。しかし、自治会の勧めで地域の囲碁クラブに参加したところ、毎週の対局が楽しみとなり、次第に活気を取り戻した。彼は「勝ち負けよりも、仲間と時間を共有することが生きがいになった」と語る。

恋愛や結婚もコミュニティの中で育まれる。お見合いは地域社会のネットワークが機能していた例であり、現代の婚活イベントやボランティア活動での出会いも、共同体の力によって支えられている。社会的つながりは、個人の恋や結婚を豊かにする土壌となる。

第12章 孤独社会における生きがいの再構築

現代日本は「孤独社会」とも言われる。単身世帯の増加、地域コミュニティの希薄化、テクノロジーによる人間関係の断片化。これらは生きがいを脅かす要因でもある。

しかし、孤独の中にも新しい生きがいの可能性がある。SNSやオンラインサークルを通じて、同じ趣味や価値観を共有する人々とつながれる。ある中年女性は、オンラインで知り合った同世代の友人たちと毎晩のようにチャットを楽しむようになり、「孤独ではなく、心の支えを得た」と語った。後にそのつながりをきっかけに恋愛へと発展し、遠距離での再婚を果たした例もある。

茂木博士は「偶然性を受け入れることが生きがいにつながる」と言う。孤独の時代においては、出会いや関係性の形も多様化している。結婚相談所や婚活アプリも、その偶然性を広げる社会的装置と捉えることができるだろう。

第Ⅳ部のまとめ

社会とのつながりは、生きがいを拡張し、深める重要な要素である。

仕事は自己実現と社会貢献の場として生きがいを支える。

コミュニティは小さな共感の回路を育み、孤独を和らげる。

孤独社会においても、新しい出会いやつながりを受け入れることで、生きがいを再構築できる。

恋愛や結婚は、この社会的つながりの中に位置づけられている。愛する人との関係は孤立を和らげ、家族は小さな共同体として人を支える。社会とのつながりを意識的に育むことは、恋愛や結婚をより豊かな「生きがいの場」へと導く。

第Ⅴ部 実践としての生きがい発見法

第13章 小さな「好き」を育てる

生きがいは、突然壮大な目標として現れるわけではない。むしろ、日常の中の「小さな好き」から始まる。茂木健一郎博士は「偶然に心がときめく瞬間こそが、脳を活性化させる」と述べる。

たとえば、料理が好きな人がいる。最初は趣味でレシピを試していただけだったが、やがて友人を招いて食事をふるまうことに喜びを感じ、さらに料理教室を始めるようになった。その場で生徒同士が出会い、恋愛に発展したケースもある。「小さな好き」が、自分だけでなく他者に意味をもたらし、つながりを生み出すとき、生きがいは豊かに成長する。

重要なのは、「完璧な情熱」を探そうとしないことだ。花を育てる、散歩をする、カフェで本を読む——そうした小さな喜びが、恋愛や結婚の入り口となり、ひいては人生の生きがいへとつながる。

第14章 挫折を通して生きがいを鍛える

生きがいは、順風満帆な人生の中だけで育つものではない。むしろ挫折や失敗こそが、生きがいを鍛える契機となる。

ある男性は、会社の倒産で職を失い、婚約者にも去られた。「人生に意味などない」と思った時期もあった。しかし、失意の中で始めたジョギングが彼を支えた。やがてマラソン仲間と出会い、新しい交友関係が広がり、その中で自然に恋愛が芽生えた。今では「当時の絶望がなければ、今の自分はいない」と語る。

脳科学的には、挫折の体験はストレスホルモンによって神経回路に深い刻印を残す。しかし、それを乗り越える過程で「報酬系」が再び活性化し、より強固な「意味回路」を形成する。つまり、失敗や喪失は「生きがいを深める訓練場」なのである。

第15章 脳科学的アプローチによる日常の喜びの増幅

茂木博士は「脳をだます」方法として、意識的に喜びを増幅する習慣を提唱する。これは生きがいを日常的に発見するために有効である。

感謝日記をつける:一日の終わりに「今日ありがたかったこと」を3つ書き出す。小さな出来事でも脳は「意味ある体験」として再評価する。

偶然を歓迎する態度:予定外の出来事に対して「これは何かのチャンスかもしれない」と考える。新しい恋や出会いは多くの場合、この偶然の中に潜んでいる。

身体を動かす習慣:ウォーキングやスポーツはセロトニン分泌を促し、心の安定を高める。パートナーと一緒に取り組めば、共有体験がオキシトシンを生み出し、生きがいを強化する。

ある夫婦は、毎朝の散歩を習慣にしている。最初は健康のためだったが、四季の移ろいを一緒に感じることが二人の喜びとなり、「ただ一緒に歩くこと」が生きがいになったと語る。

第Ⅴ部のまとめ

「生きがい」は遠い理想ではなく、

小さな好きから芽生え、

挫折を通して鍛えられ、

脳科学的習慣によって日常に広がる。

恋愛や結婚は、その実践の中で最も豊かな形をとる。「好き」から出会いが生まれ、挫折を支え合う中で絆が深まり、日常の小さな喜びが共有される。そのすべてが「生きがい」を育むプロセスである。

茂木健一郎博士が語るように、「生きがいは今ここにある」。実践的な工夫と心の姿勢によって、誰もが自分の人生に意味を見出すことができる。

第Ⅵ部 現代社会と生きがいの未来

第16章 AI時代における人間の役割と生きがい

テクノロジーが急速に進化する現代において、「人間の役割とは何か」という問いがますます重要になっている。AIは私たちの生活や仕事を効率化し、検索や計算、さらには文章作成まで担うようになった。しかし、生きがいは効率の向こう側にある。

茂木健一郎博士は「脳は意味を生み出す臓器である」と語る。AIは膨大な情報を処理できるが、「意味」や「感動」を創り出すのは人間だけである。恋をして心が震える瞬間、結婚式で互いに涙する瞬間——これらはAIには決して代替できない。

未来社会では、AIに任せられる作業が増える一方で、人間は「偶然性」「感情」「共感」に基づく生きがいをより強調するようになるだろう。たとえば結婚相談所においても、AIマッチングは効率的な出会いを提供するが、「最終的に愛を選び取る心の決断」は人間だけに許された営みである。

第17章 「婚活」と「生きがい」——愛を見つけることの社会的意味

現代日本では、「婚活」という言葉が社会に定着した。結婚相手を探す営みが一つの社会現象となり、それ自体が「生きがい探し」と重なることも少なくない。

かつては結婚が「義務」や「規範」として機能していた。しかし現代では、「愛のある結婚」が重視され、「誰と生きるか」が「どう生きるか」と直結している。つまり、結婚は単なる社会制度ではなく、「生きがいを共有するパートナーを見つけるプロセス」となった。

ある40代女性は、婚活を始めた当初「条件」で相手を選ぼうとした。しかし、何度も出会いを重ねる中で、「自分が心から笑える相手」と出会い、結婚を決意した。今では「この人と一緒にいること自体が生きがい」と語る。婚活は、生きがいの入り口であり、愛の探求そのものである。

茂木博士の言葉でいえば、「生きがいは他者との関わりの中に開かれている」。婚活はその社会的実践であり、人と人が意味を編み上げる場所なのだ。

第18章 死生観と生きがい——有限の中で生きる光

どれほど科学が進歩しても、人間は死を避けることはできない。むしろ「死を意識すること」が「生きがい」を強くする、とフランクルは説いた。茂木博士もまた「有限であることが生きる意味を生む」と語る。

ある高齢夫婦の話が印象的である。夫が末期がんと診断されたとき、二人は毎日を「最後の一日」と思って過ごした。病院のベッドの上で交わされる会話、孫との時間、窓から見える夕日——すべてが「生きている意味」として輝いた。夫の死後、妻は深い悲しみの中にいたが、「共に過ごした最後の日々が私の生きがいだった」と語った。

人は死を通して生きがいを深める。有限の命だからこそ、恋愛も結婚も、家族や友人との時間も尊い。死を見つめることは、逆説的に「今ここにある生きがい」を照らし出すのだ。

第Ⅵ部のまとめ

現代社会における生きがいは、次の三つの視点から考えられる。

AI時代:効率化が進むほど、人間にしかできない「意味づけ」や「感情の共有」が生きがいの核心となる。

婚活の時代:結婚は社会的義務から「愛を通して生きがいを共有する場」へと変容している。

死生観:有限性の自覚が、かえって「今を生きること」の尊さを際立たせる。

茂木健一郎博士の視点からすれば、「生きがいは偶然と有限の中で、意味を生み出す脳と心の営み」である。現代社会はその営みを加速させる場であり、恋愛や結婚はその中心に位置している。

終章 生きがいは「今ここ」にある

私たちはしばしば、「いつか」の幸せを追い求める。理想の仕事に就いたとき、望んだ結婚を果たしたとき、子どもが成長したとき——その未来にこそ生きがいがあると信じて疑わない。しかし、茂木健一郎博士が繰り返し指摘するように、脳が意味を創造するのは「今ここ」である。未来も過去も脳の中の物語にすぎない。私たちが確かに手にできるのは、ただこの瞬間の体験なのだ。

1. 「今ここ」の喜びを見出す力

朝、恋人から「おはよう」と言われたときに心が温まる。夕食後に夫婦で一緒に片付けをするときに、ささやかな連帯感を覚える。これらは小さな出来事だが、「今ここ」の生きがいである。

人はしばしば「もっと大きな成功」を求めて先延ばしにする。しかし脳科学的には、小さな日常の喜びを繰り返し認識することで、報酬系は安定し、幸福感は長続きする。茂木博士が語る「偶然の輝きを楽しむ脳の態度」とは、こうした「今ここ」の意味づけに他ならない。

2. 愛と結婚における「今ここ」

恋愛も結婚も、未来の約束や過去の思い出に支えられるが、最も大切なのは「今、この瞬間に共にいる」ことだ。

ある夫婦は、子育ても終え、老後の静かな生活を送っている。特別なイベントはなくても、朝一緒に散歩をし、夜には同じ布団で眠る。その日常こそが「生きがいだ」と語る。愛は派手なドラマではなく、共に呼吸する日々の中に育まれる。

恋人同士も同じだ。未来の約束を語り合うことよりも、今一緒に笑えること、今互いを必要とできることの方が、脳に深い充実を刻む。愛は「今ここ」にあるものなのだ。

3. 不確実性を受け入れる勇気

未来は不確実である。仕事がどうなるか、結婚生活がどこへ向かうか、誰にも分からない。茂木博士は「偶有性を受け入れることが創造を生む」と言う。つまり、不確実性を拒むのではなく、それを抱きしめる態度が「生きがい」をもたらす。

失恋や離婚といった痛みも、不確実性の一部である。だが、その痛みを通じて新しい出会いや人生の意味が芽生えることもある。愛も人生も、シナリオ通りには進まないからこそ、そこに「生きがい」という物語が紡がれていく。

4. 終わりの中に輝く「今」

死を意識したとき、人は「今ここ」に生きがいを感じやすくなる。ある高齢女性は、余命宣告を受けた夫とともに、最後の数カ月を「今日を大切にする」ことに費やした。毎日の食卓、短い会話、窓からの景色——それらは一つひとつがかけがえのない瞬間だった。夫が亡くなった後も、彼女は「今を生き切った日々が私を支えている」と語った。

有限だからこそ、一瞬一瞬が輝く。死を恐れるのではなく、その存在を背景にして「今ここ」を照らすことこそが、生きがいの核心である。

終章のまとめ

「生きがい」とは、未来に先延ばしにする理想ではなく、過去に縛られる懐古でもない。それは脳が「今ここ」で生み出す意味の輝きである。

小さな日常の喜びを大切にすること。

恋愛や結婚において「共にある」瞬間を味わうこと。

不確実性を受け入れ、偶然を楽しむこと。

有限性を自覚し、今を生き切ること。

これらすべてが重なり合い、人生という即興の交響曲を奏でる。茂木健一郎博士の言葉に倣えば、「生きがいは遠くに探すものではなく、すでに自分の脳と心の中に息づいている」。

つまり——生きがいは「今ここ」にある。

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