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恋が美しいのは〜加藤諦三教授の視点から〜

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恋が美しいのは〜加藤諦三教授の視点から〜
序章:なぜ「恋は美しい」とされるのか?

「恋が美しいのはなぜか」という問いに、加藤諦三は何度も向き合ってきた。彼の言葉を借りるならば、恋の美しさとは「心の未成熟と未完成が、最も強く自己の存在を訴える瞬間」に宿るものである。恋とは、自己を完全に理解しないまま、他者に自分を投影し、理想を映し出す行為である。

たとえば、高校生の少女が美術部の先輩に恋をしたとしよう。彼女は先輩の実像ではなく、寡黙で絵に集中する彼の姿に「優しさ」や「深さ」を感じ取り、そこに理想的な異性像を投影する。この時、彼女は実際には自分自身の内面の希求、すなわち「理解されたい」「肯定されたい」という感情を先輩という対象に託している。

加藤はこのような恋を「自我の未確立からくる投影の美学」と表現する。だからこそ、叶わぬ恋、すれ違う想い、片思いには特別な輝きがある。完結しない物語にこそ、人は「美しさ」を見出すのだ。

第1章:恋は「自分を発見する」装置である

第2章:孤独と空虚感を埋めるための恋

第3章:すれ違いのなかにある純粋性

第4章:恋とナルシシズムの微妙な関係

第5章:成就した恋とその後

第6章:恋が人を成長させるという真実

加藤諦三は繰り返し、恋愛とは「自己発見のドラマ」であると語る。人は誰しも、自分が何者であるかを知りたがっている。しかし、自分ひとりではその答えにたどり着けない。他者との関係、特に「恋」によって初めて、自分の感情、欲求、欠落に気づくのである。

ある大学生の事例を紹介しよう。彼は内向的で、人間関係が苦手だったが、ある日サークルの女性に強く惹かれる。彼女の無邪気さや社交性に魅了された彼は、彼女と接することで、自分が「自由になりたい」「愛されたい」と願っていることに気づく。

このように、恋の対象は時として、自分に欠けている要素を体現している。そのことを通じて、人は自分の心の深層を知る。加藤が言うように、「恋とは、自分自身を鏡に映して見る行為」なのだ。

「自分を愛せない人は、他人も愛せない」。これは加藤諦三の代表的な言葉のひとつである。恋が美しいのは、孤独や空虚という“欠落”を背景にしているからだ。誰かに必要とされたい、誰かとつながっていたい——その渇望が恋を生む。

40代のキャリア女性・美和子のエピソードがある。仕事では成功していたが、私生活は常に空虚だった。そんな彼女が20代の男性と恋に落ちる。彼の無邪気さ、頼りなさに「自分が守ってあげたい」「求められたい」と思ったのだ。

この恋はやがて終わる。彼女は、相手を通して自分の孤独と向き合い、自分自身を愛することの難しさに直面する。しかしその苦しみすらも、美しい記憶として心に残る。加藤は言う、「恋の本質は、心の空白に染み入る痛みの中にある」と。

恋が美しいと感じられる最大の理由の一つは、「すれ違い」にある。成就しない恋、伝わらない想い、報われない気持ち。そのすべてが、「純粋」であることの証なのだ。

加藤は「成就した恋より、成就しなかった恋の方が、純粋である」と述べる。なぜなら、見返りを求めない想いこそ、本質的に美しいからだ。

例として、文学作品『こころ』の「先生」と「K」の三角関係を挙げよう。先生の恋は複雑で、罪と後悔に満ちている。しかし、その未完成な想いこそが、読者の心を打つのだ。

すれ違うことで、恋は「永遠の未完」となり、だからこそ美しく記憶に残る。加藤の視点からすれば、それは人間の心が「未完であること」に安らぎを覚えるからだ。

恋は自己愛の一種であるという見方も、加藤諦三は受け入れている。恋に落ちるとき、人は「理想の自分」を相手に投影することが多い。つまり、自分がなりたい存在、自分を肯定してくれる他者を愛するのだ。

SNSで出会った男女の事例がある。女性は写真を加工し、理想の自分像を作り出して男性に恋をする。男性もまた、成功者のふりをして彼女に接する。二人は互いに「本当の自分」ではない存在に恋をした。

加藤はこれを「自己否定からくるナルシシズム」と呼ぶ。本当の自分に自信が持てないと、人は理想化した自己像を他者に認めさせようとする。その過程で生まれる恋は、一見美しいが、どこか切なく、儚い。

では、恋が成就した後はどうなるのか? 恋の美しさは失われるのか? 加藤はここで、「愛」という別の概念を導入する。恋は瞬間の輝き、愛は時間の蓄積である。

ある夫婦の話を紹介しよう。若い頃、激しく惹かれ合った二人は結婚後、喧嘩も絶えず、互いに幻滅もした。しかし、30年経った今、「あの時の恋は、本物だった」と振り返ることができる。

恋は変質する。しかし、変質するからこそ価値がある。加藤が言うように、「恋は愛へと昇華されることで、より深い美しさを持つようになる」。

人は恋によって傷つき、傷つくことで成長する。加藤は「人間の成長は、痛みを経なければあり得ない」と断言する。だからこそ、恋の苦しみは意味がある。

ある男性が、10年付き合った恋人に突然別れを告げられた。彼は失意のなか、自分の傲慢さや依存心に気づき、初めて自己と向き合った。そして数年後、より成熟した関係を築く恋愛を経験する。

恋は人を試し、変え、磨く。加藤の言葉を借りれば、「恋は、魂の進化の試練」なのだ。

終章:それでも人はまた恋をする

どんなに傷ついても、人はまた恋をする。それは人間が「完全でない存在」であることの証である。加藤は「不完全性こそが、人間を人間たらしめる」と説く。

恋は常に未完成で、不安定で、時に破壊的ですらある。しかしその不安定さこそ、人が自分自身と世界を見つめ直すきっかけを与えてくれる。そして、それが「美しい」と感じられるのは、人の心が成長を求めているからだ。

だからこそ、恋は美しい。

そして人はまた、新しい恋へと歩み出すのである

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