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「恋を失ったとき得るもの」〜加藤諦三教授の視点から〜

2025.06.13

ショパン・マリアージュ

【序章】恋が終わる瞬間に始まる「自己」

恋が終わる時、私たちは何かを失う。だが、その喪失は必ずしも“敗北”ではない。それは一つの関係の終焉であると同時に、「自己」という最も大切な存在と向き合うための入口でもある。加藤諦三教授は、愛の喪失を「自己発見」の契機とみなす。その視点から見ると、恋の終わりはむしろ“出発点”である。

■ 喪失は「何もない」ではない
恋を失うという経験は、精神に大きな衝撃を与える。心がむき出しになり、日常の色がすべて退色してしまったかのような感覚に陥る。電話の音が鳴らなくなる、手帳に予定が書き込まれなくなる、思い出が突然フラッシュバックする。恋愛に深く依存していた人ほど、この「空白」に苦しむ。

しかし加藤諦三は述べる――「喪失の痛みの中で、人は初めて“自分の心”を見つめることになる」と(加藤, 1997). 恋が存在していた間、心の多くは相手の存在に向けられていた。だがその相手がいなくなったとき、行き場を失ったエネルギーが、自分自身へと向かい始めるのだ。

■ 「偽りの自己」が剥がれ落ちる時
人は恋をしているとき、自分を“よりよく”見せようとする。相手に嫌われたくない、自分の価値を認めてほしい、そうした願いが「偽りの自己」を作り上げる。それは“相手の理想に応じた自分”という仮面であり、愛されるための演技ともいえる。

しかし恋が終わるとき、この仮面は必要なくなる。強制的に“演じること”をやめさせられる瞬間に、人は初めて「ありのままの自分」と向き合うことになる。加藤は『なぜか恋愛がうまくいかない人の心理学』で、「恋人という存在が、自分の欠落感を埋める“幻想のパーツ”になっていた人は、恋が終わってはじめて、その依存を自覚する」と述べている(加藤, 2018)。

■ 「本当の自分」を再発見する旅
失恋直後の心は混乱し、誰かにしがみつきたくなる。だがその孤独を抱えながらも時間を過ごすことで、人は自分の中に静かで確かな声があることに気づく。好きな音楽、好きな時間帯、嫌いな食べ物――かつて相手に合わせて無視していた「自分らしさ」が、少しずつ蘇ってくる。

加藤諦三はこれを「心理的自立への入口」と表現する。恋の喪失が、自立の入り口になりうるのだ。相手に合わせることが愛だと信じていた人ほど、愛が去ったあとの世界の“自分らしさ”に驚くだろう。そしてその発見こそが、真の癒しにつながっていく。

■ 「痛み」と「再生」は同時に訪れる
人は傷つきながら、学び、変わる。恋の終わりを経験することは、過去の自分を手放すことでもある。とりわけ、恋人に“何かをしてもらうこと”にばかり期待していた人にとって、それは自己責任への目覚めでもある。

加藤は繰り返しこう述べている――「恋の終わりとは、相手の心が離れたことではなく、自分が自分に戻るための『機会』なのだ」と(加藤, 1999)。

結びに:喪失は「入口」である
恋の終わりを悲しむことは自然である。だが、その痛みの中には種子がある。それは「再生の種子」であり、「自己発見の種子」だ。花開くかどうかは、自分がそれを育てようとするかにかかっている。

この序章は、そうした“種子”の存在に気づくための第一歩だ。そして、喪失という名の土壌の中で、本当のあなたが根を下ろし始める。

【第一章】恋に失敗した人が得る「心の自由」

「失恋は、心の独立宣言である」——加藤諦三教授の数多くの著作のなかで、失恋とは単なる恋愛関係の破綻ではなく、内面における“解放の始まり”と位置づけられている。苦しみの最中にいるとき、人はこのような視点を持つことは難しい。だが、恋に破れた人だけが得られるものがある。それが「心の自由」である。


■ 恋の呪縛——「相手の期待」に縛られた日々

恋をしている間、人はしばしば“自由”を見失う。相手の機嫌に振り回され、LINEの既読・未読に一喜一憂し、次のデートでの話題を前もって用意する。加藤はこれを「自己否定によって成立する恋愛」と呼び、愛することが相手に気に入られることと混同されてしまう危険性を指摘する(加藤, 1997)。

相手に合わせることで、安心を得ようとする——この無意識の行動は「承認欲求」の延長線にある。とくに幼少期に十分な愛情を受け取れなかった人は、「愛されるためには自分を変えなければいけない」という思い込みを抱えやすい。恋人の期待に応え続けることで、“本来の自分”は次第に見失われていく。


■ 恋が終わるとき、「自分を演じる」必要がなくなる

では、恋が終わったとき何が起こるのか。

加藤は『無理をして生きてきた人』のなかで、「失恋後に感じる解放感は、自己否定的な演技からの脱却を意味する」と述べる(加藤, 2024)。他人の視線に怯え、誰かの理想に合う自分を演じ続ける生活は、心の圧迫を生む。しかしその「観客」がいなくなった今、誰の期待にも縛られずに“自分らしく”あっていい。

たとえば、ある30代女性の例がある。彼女は長年、交際相手の趣味に合わせてアウトドアに付き合っていた。しかし失恋を経て、自分が本当は静かな美術館での読書を好んでいたと再認識したという。恋の終わりによって、抑圧された「好み」や「感性」が自由に息を吹き返すのだ。


■ 「心の自由」は“孤独”の中で育まれる

失恋直後、多くの人が陥るのは「孤独の恐怖」だ。誰にも必要とされていない、誰からも愛されていないという感覚に苛まれる。しかし加藤は『愛されなかった時どう生きるか』において、「孤独は自己成長に不可欠な空間である」と明言している(加藤, 1992)。

孤独の中でこそ、人は初めて「自分にとって何が大切か」「何を望んでいたのか」に気づく。それは、他人の価値観から切り離された“心の自立”の瞬間である。誰かの影に隠れていた自分が、ようやく光の中に出てくるのだ。


■ 真の自由とは「他人に支配されない心」

恋を失った直後、多くの人は「もう一度誰かに愛されたい」と思う。しかし加藤は『自分を活かす心理学』でこう説く。「本当に愛されるとは、演技をせずとも理解してもらえること」であり、「その前提には“自分を知る”ことがある」(加藤, 1999)。

恋の終わりによって得た「心の自由」とは、他者の承認や期待に支配されず、自分の感情や価値観に正直に生きる力のこと。それは“自由になったから孤独になった”のではなく、“自分を取り戻したから静かになった”という、新しい在り方である。


結びに:喪失がくれた自由に、感謝できる日まで

失恋は痛みである。しかし、その痛みの中には、今まで得られなかった「心の自由」という宝物が埋まっている。その宝を掘り起こすのは、自分自身の手だけだ。

そしていつか、あなたはこう言える日がくるだろう。

「失ったけれど、ようやく自由になれた」と。

【第二章】恋の喪失と「自己価値」の再構築

人は恋をすると、自分の存在が誰かに必要とされているように感じる。そして、恋が終わったとき、まるで自分の存在価値そのものが否定されたかのような錯覚に陥る。しかし実際には、恋の喪失は「自己価値の再定義」の絶好の機会となる。加藤諦三教授は、失恋を「自己肯定感の根源に立ち返るプロセス」と捉え、その中で再構築される価値観の変容に注目している。


■ 相手に委ねられた「価値感」

恋愛の渦中にあるとき、多くの人は自分の「価値」を相手の反応に委ねてしまっている。好きだと言われれば安心し、距離を感じれば自己否定に陥る。相手の一言や態度によって一喜一憂するその状態は、裏を返せば「自分自身を信頼できていない状態」である。

加藤はこのような関係性を「承認依存型恋愛」と位置づけ、自尊心が外部からの評価によって保たれている状態を危険視する。恋が破れたとき、まるで自分の存在意義までが否定されたように感じてしまうのはこのためだ(加藤, 2018)。


■ 喪失が暴く「無意識の劣等感」

加藤諦三が強調するのは、失恋によって炙り出される「深層心理」だ。恋がうまくいっている間、心の奥に眠る劣等感や不安は、相手の存在によって一時的に覆い隠される。だが、その相手が去ったとき、押し込められていた不安が一気に噴き出す。

『愛されなかった時どう生きるか』の中で加藤は、恋愛関係の崩壊が“自分に価値がないのでは”という疑念を呼び起こす原因になると述べている。これは単なる失恋の痛みではなく、過去のトラウマ——たとえば子どものころに受けた否定的なメッセージ(「お前はダメな子だ」「もっと〇〇だったらいいのに」)と結びつく深い心理的反応なのだ(加藤, 1992)。


■ 恋が終わったからこそ、自分を「育て直す」

自己価値とは、他者の評価ではなく「自分自身の声」を尊重できるかにかかっている。失恋の中で、自分を責める代わりに、「どんな自分でも生きていていい」と肯定すること。それが加藤が説く“心理的成熟”である。

たとえば、『自分を活かす心理学』では、失恋によって生まれた空白を“自己表現の源泉”に変えていくことが紹介されている。恋に夢中だったときには見失っていた、絵を描くこと、文章を書くこと、人と語り合うこと。そうした自発的な行動が、自分の内側から価値を見出す力になる(加藤, 1999)。


■ 「私には価値がある」ことを証明するのは“他人”ではない

この章の核心はここにある。失恋とは、自分の価値を他人の言動に依存していた構造の“崩壊”である。しかしそれと同時に、自分自身が自分に対して「お前には価値がある」と言えるようになるプロセスの“始まり”でもある。

『前を向きたくても向けない人』では、こうした自己価値の回復には「日々の小さな実感」が必要だと語られている。今日もきちんと起きた、誰かに挨拶した、自炊をした。そうした積み重ねが、他人の評価とは関係なく「私はこれでいい」と思える感覚を育てる(加藤, 2025)。


結びに:恋の終わりは、「自分の価値」のはじまり

恋が終わると、誰しも「私には価値がないのでは」と思い悩む。しかし実際は逆である。その喪失の中でしか見えない“自分だけの価値”が、必ず存在する。

あなたを価値ある存在にするのは、誰かの愛情ではなく、あなた自身のまなざしだ。恋が教えてくれたのは、愛される方法ではなく、「愛されなくても、自分には価値がある」と信じる強さだったのだ。

【第三章】「甘え」の断絶と精神的自立

恋が終わるとき、人はたいてい「捨てられた」と感じる。その感覚の根底には、愛する人に対する“甘え”が潜んでいる。甘えとは何か。それは単なる依存ではない。心理学的にいうと、甘えは「自分を受け入れてもらえるという無条件の前提」に基づいた感情表出であり、実は人間にとって必要不可欠な心の栄養でもある。

しかし、その甘えが一方的だったとき、あるいは相手にその役割を強く期待しすぎたとき、関係は崩壊する。そして、恋が終わることは、同時に“甘えの断絶”という痛みを突きつけられる瞬間でもある。


■ 「甘え」は大人の恋にも潜んでいる

加藤諦三は『「甘え」の心理』の中で、「甘え」は赤ん坊の領域にとどまるものではなく、大人の人間関係、特に恋愛の中に深く根を下ろしていると述べている(加藤, 1994)。それは「心を許している証」であり、「受け入れられているという確信」があるときに自然と表れる。

しかし一方で、この甘えは「無自覚に相手を支配する行為」にもなりうる。たとえば、常に“私の気持ちを察してほしい”“言わなくても理解してほしい”という願望は、一見可愛らしい恋人の姿に見えるが、実は相手に精神的負担を強いている。


■ 「甘えの断絶」が突きつける孤独

恋の終わりは、この「甘えの場」を一気に失う体験である。いままで無意識のうちに相手に寄りかかっていた自分に気づくとき、人は深い孤独に直面する。「誰も自分を受け入れてくれない」「もう甘える場所がない」という絶望感。それが、“大人の失恋”の苦しさの核心だ。

加藤はこう述べる。「人は、甘える対象を失うことで、自立するという道を選ばざるをえなくなる。だが、そのときこそ、人間は精神的に一段階成長する可能性を秘めているのだ」と(加藤, 1992)。


■ 甘えの背後にある「抑圧された欲求」

精神的自立を阻むもの、それはしばしば“満たされなかった過去”にある。子ども時代、親に十分に甘えることができなかった人は、大人になってから恋人にその役割を過剰に期待してしまう。

加藤は『なぜか恋愛がうまくいかない人の心理学』の中で、この構造を「愛情の外在化」と呼んでいる。つまり、本来親との関係の中で解決すべきだった甘えの欲求を、恋人に投影してしまうのである(加藤, 2018)。


■ 精神的自立とは「自分の感情に責任を持つこと」

では、自立とは何か。それは“甘えをやめる”ことではない。“甘え”を自覚し、その感情に「責任を持つ」ことである。自分の寂しさを相手に埋めてもらうのではなく、「私は今、寂しい」と自分自身が受け止める力。それこそが加藤の語る“精神的自立”だ。

『自立と依存の心理』では、依存の癖が抜けない人の多くが、「自分で自分を抱きしめる力」を持っていないとされる。だが、それを獲得したとき、他者に無理を強いるような関係ではなく、自由でありながらつながる“成熟した関係性”が築けるようになる(加藤, 2015)。


結びに:甘えを知ることは、強さの始まり

恋の喪失が甘えの断絶であるとするならば、それは同時に「心の再構築」の始まりでもある。甘えを否定する必要はない。ただ、それに気づき、扱えるようになること。そこに、大人としての心の成熟がある。

甘えを自覚できた人だけが、自立を選ぶことができる。そして、自立できた人だけが、本当の意味で“対等な恋”を知ることができるのだ。

【第四章】恋を失うことで見える「過去との癒着」

恋が終わったあと、人はしばしば過去の記憶に呑み込まれる。「なぜ彼(彼女)は去っていったのだろう」「自分は愛されない人間なのか」——このような疑問は、いま現在の出来事のようでいて、実はもっと古い記憶、もっと深い心の地層から湧き上がってくる。

加藤諦三教授は、人が恋愛に依存する心理の背後には、幼少期の満たされなかった欲求やトラウマが影を落としていると語る。つまり、恋の喪失は、いまの失敗以上に、「癒着した過去」との関係性を浮き彫りにするのである。


■ 喪失が引き起こす“過剰な感情反応”の正体

失恋の悲しみは誰しも経験するが、その反応が極端に激しい場合がある。立ち直れない、夜が眠れない、身体の不調まで出てくる——それは、単に恋人を失った悲しみではなく、「過去に失った何か」が心の奥で再活性化されている証拠である。

加藤は『前を向きたくても向けない人』の中で、「失恋は、抑圧されてきた過去の感情を喚起する装置として働く」と述べている(加藤, 2025)。たとえば、幼少期に親の関心を得られず「愛されない自分」という印象を刷り込まれた人は、恋人に去られると、その記憶と感情が蘇る。そして「やっぱり自分はダメなんだ」という誤った確信を強化してしまう。


■ 恋人は“親の代理”になっていなかったか?

恋愛はしばしば、「心の穴埋め」を目的に始まる。加藤はそれを「補償的恋愛」と呼ぶ。とくに母親との関係が希薄だった男性、または父親の存在感が薄かった女性は、無意識のうちに恋人にその役割を求めてしまう(加藤, 1997)。

「恋人が離れた=もう愛してくれる人がいない」と感じるとき、それは“現在の孤独”ではなく、“過去の欠落”が疼いている状態だ。つまり恋の喪失は、過去の未解決な関係性を表面化させ、「癒着したままの記憶」と直面させる鏡でもある。


■ 恋愛の傷は、“親からの傷”を語りたがる

ある30代の女性は、交際相手が少しでも連絡を怠ると、極度に不安になり「嫌われたかもしれない」と涙をこぼしていた。彼女が恋に求めていたのは“安心”だった。そしてその安心の欠落は、幼少期に感情を受け止めてもらえなかった家庭環境に起因していた。

加藤はこうしたケースについて、「恋愛の破綻は、幼児期の“見捨てられ不安”を再演する舞台」だと表現する(加藤, 1992)。このように、私たちが恋人に抱く“愛してほしい”“見捨てないでほしい”という要求は、実のところ、過去に言えなかった親への叫びを代理的に吐露しているのかもしれない。


■ 「癒着」とは、過去を現在に持ち込むこと

「癒着(enmeshment)」とは、心理学的には“境界線がない関係”を意味する。過去と現在、自分と他人、親と恋人——その区別がついていないとき、人は常に“過剰な感情”に振り回される。

加藤は著作の中で、「過去の感情に現在の人間関係が汚染されるとき、人は本当に愛することも、自由に生きることもできなくなる」と警鐘を鳴らしている(加藤, 2015)。恋の喪失は、その癒着を断ち切るチャンスでもある。なぜなら、過去にすがる理由が消えて初めて、過去から自立する準備が整うからだ。


結びに:過去と切れて、ようやく「現在の自分」に出会える

恋の終わりは、過去の痛みと向き合うための貴重な機会である。自分がなぜあの人に執着したのか、なぜ不安で仕方なかったのか。その答えを探していく過程で、人はようやく“いまの自分”を取り戻す。

「過去との癒着を断ち切る」とは、親を責めることではない。むしろ、過去の自分を優しく見つめなおし、「私はもう、あの頃とは違う」と自分自身に語りかけられる力を育むことなのだ。

【第五章】内面化された恋人としての自己再統合

恋を失った後、人は空虚に直面する。「もうあの人はいない」という現実は、まるで心の一部を切り取られたかのような喪失感を与える。しかし不思議なことに、時が経つにつれ、その人の声が、姿が、まるで“内なる存在”として自分の中に残っていることに気づく。

この現象は、心理学において「対象の内面化」と呼ばれる。加藤諦三教授はこれを「心の再統合の始まり」とし、恋人という“他者”を自らの一部として統合していくことが、喪失からの回復と成熟を導くと説く。


■ 「対象の内面化」とは何か

対象の内面化(internalization of the object)とは、愛した人の言葉や価値観、態度が、自分の心の中に残る心理的プロセスである。恋人が目の前からいなくなっても、彼(彼女)がしてくれた言葉や存在は、自分の中で“内的対象”として息づく。

加藤は『なぜか恋愛がうまくいかない人の心理学』において、喪失体験とは「自我の再構成を促す出来事」であり、それを経て人はより“全体的な自己”に近づいていくと記す(加藤, 2018)。つまり、恋人という“外部にあった愛”を、自らの内部に取り込むことで、人は自己治癒を始めるのだ。


■ 愛された記憶が“内なる対話者”になるとき

ある女性のケースを挙げよう。彼女は数年間交際していた相手に突然別れを告げられ、深い絶望に沈んだ。しかし数か月後、ふとした日常のなかで「彼だったら、こんな時こう言うだろうな」と思う瞬間があったという。最初はそれが辛かったが、次第にその“声”が彼女を慰め、励まし、導いてくれるようになった。

加藤諦三は、こうした感覚を「内面の愛着対象との和解」と呼び、その存在が「自分自身と向き合う力」を育てると述べている(加藤, 2025)。


■ 「愛される感覚」を自分の中に持つということ

恋が続いていた時期、人は恋人からの肯定によって安心感を得ていた。しかし、その人が去ったあと、自分で自分を肯定する力——「自己受容」が必要になる。だが、それは一朝一夕には手に入らない。

だからこそ、恋人の愛情を「外から受けるもの」から「内に宿るもの」へと変化させる必要がある。たとえば、恋人に褒められた瞬間、守られたと感じた経験、それらを自分の内側に保存しておくことで、「もう誰もいない」という極度の孤独から自分を守ることができる。

加藤は『自分を活かす心理学』で、「精神的な強さとは、外の世界が変わらなくても、自分の内側で肯定的な対話ができる能力だ」と述べている(加藤, 1999)。


■ 内面化された恋人は“自分を育てる親”となる

私たちは恋人に、無意識のうちに“理想の親像”を重ねる。やさしく、無条件に受け入れてくれる存在としての恋人。その存在が消えたとき、ただ失われるのではない。それは心の中に内在化され、今度は“自分を育てる存在”として機能し始める。

加藤はこう述べる。「本当に愛された経験は、たとえ関係が終わっても、その人の心に“肯定的な他者”として残り続ける。内なる愛着対象は、今後の人生を支える“心の支柱”になる」と(加藤, 1994)。


結びに:恋人を“内在化”できたとき、人は孤独ではなくなる

恋が終わった直後は、誰しも絶望する。しかし、愛は完全に消えるのではない。本当に大切にされた記憶は、その人の人格の一部になっていく。そして、自分を愛する力、自分を支える力、自分を慈しむ力へと変わっていく。

“あの人がくれたもの”を、自分の中に根づかせたとき、あなたはもう恋人に依存しなくても、一人で立っていけるようになる。それは別離ではなく、“統合”の完成である。

【第六章】喪失から創造へ——「本当の人生」の始まり

喪失とは、終わりではない。むしろそれは、「本当の人生」が静かに幕を開ける、ひとつの通過儀礼である。加藤諦三教授の心理学的視点において、恋の終わりとは、単なる関係の破綻や不運な出来事ではなく、「自己実現」へと至る創造的プロセスの第一歩として位置づけられる。

人は失うことで、初めて自分の本質と向き合う。そしてその喪失の痛みの中に、これまで見過ごしてきた“本当の願い”や“生き方”の芽が隠れている。


■ 愛を失ったとき、「期待された生き方」が終わる

恋をしている間、人はしばしば「誰かの理想像」として生きるようになる。可愛くあろうとし、頼られる存在になろうとし、優しく、強く、気遣いのできる人であろうとする。だが、その努力は他者に向けられた演技であり、「本当の自分」から遠ざかることにもなる。

加藤は『だれにでも「いい顔」をしてしまう人』の中で、「多くの人は、他者の期待に応えることで自己価値を感じている。しかし、その期待が消えたとき、無価値感に打ちのめされる」と述べている(加藤, 2007)。

しかし、それは絶望ではなく、自由である。他者に応える役割を手放したときこそ、自分が“どう生きたいか”という問いが、本格的に始まるのだ。


■ 恋の終焉が与える「自分を使う」自由

恋が終わってぽっかりと空いた時間。その空白は、新しい何かを創る余白にもなる。加藤は『自分を活かす心理学』で、「人間が本当に創造的になるのは、自分に向き合い、自分の心の内側から何かを出そうとしたときである」と語っている(加藤, 1999)。

創造とは、必ずしもアートや文章といった表現活動だけを指すのではない。自分で選んだ服を着ること、自分が心から望む場所へ行くこと、自分の価値観で行動すること——それらすべてが、「他人の目」から脱却し、自分の手で人生を形づくっていく創造的な行為である。


■ 喪失の中で浮かび上がる「本当の願い」

恋に夢中になっていた間、多くの人が自分の夢や人生の目的を後回しにしてしまう。だが、関係が終わり、誰かのために使っていた時間が自分のものに戻ってくると、人はふと立ち止まり、こう自問するようになる。

「私、本当は何をしたかったんだろう?」

この問いこそが、創造の始まりである。恋が失われた今、自分の人生を誰に気兼ねすることもなく使えるようになった。加藤は『人生を後悔することになる人・ならない人』で、「自分のために生きるという姿勢は、自己肯定と内的創造性を呼び覚ます」と指摘する(加藤, 2018)。


■ 「ひとりでいること」が創造を育てる

加藤は一貫して「孤独の重要性」を説いている。誰にも邪魔されず、自分と向き合う時間が、人生の本当の種を育てると。

恋があったときには感じなかった“ひとりでいる時間”の意味。それは、ただの寂しさではなく、「誰にも邪魔されない、自分という宇宙との対話の時間」である。静かで、孤独で、しかしそこには確かな“生の実感”がある。


結びに:「創る人生」は、誰のためでもなく、あなた自身のもの

恋を失ったことで得られた最大のもの——それは、「自分の人生を、誰かのためではなく、自分自身のために創っていける」自由である。

喪失の痛みを抜けた先には、まだ誰にも見せたことのない、自分だけの風景が広がっている。あなたが創るその景色こそが、“本当の人生”の証であり、これまでの人生の中でもっとも価値ある贈り物となる

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【終章】「恋を失ってよかった」と言える日まで

人生のある日、「もう、あの人は自分の世界にいない」という現実を受け入れたとき、人は深い孤独に出会う。その静寂のなかで、私たちはこれまで見てこなかった“自分”という存在と向き合うことになる。恋を失ったそのときこそ、人はようやく「本当の自分」との再会を果たすのだ。

加藤諦三教授は、「人間の成長は、喪失という体験なしには決して始まらない」と繰り返し語ってきた。だからこそ、“恋を失った”という出来事は、苦しみであると同時に、人格形成において非常に重要な“節目”なのだ。


■ 喪失からしか始まらない自己肯定

恋がうまくいっていた頃、自分は“愛されることで生きている”ように感じていた。だが、それが終わったとき、自分には何も残っていないような錯覚に襲われる。「あの人がいたから自分には価値があった」と思っていたなら、それは非常につらい現実だろう。

しかし、加藤は『自立と依存の心理』で、「他者に承認されなければ生きられないという状態から、自分の価値を自分で支えられる状態に至ることこそ、本当の意味での『大人になる』ということだ」と述べている(加藤, 2015)。

恋の喪失は、その「自己肯定の主体化」を始めるきっかけとなる。最初は空っぽに感じるが、その“空”に、自分の価値を自分の手で埋めていく時間が、人を変えていく。


■ 「もう誰かの人生を生きない」と思えた瞬間

加藤は、『なぜか恋愛がうまくいかない人の心理学』で、「他人の期待に応えようとする人生には、自己実現の余地はない」と語っている(加藤, 2018)。

失恋を機に、「もう誰かの期待通りに生きるのはやめよう」と決意する人がいる。そこから始まる日々は、不安に満ちていながらも自由だ。服を選ぶ、自分で行き先を決める、やりたかった趣味を始める。そのひとつひとつの行動が、「自分で自分を生きる」ための回復運動なのだ。


■ 心の中の「優しい声」に出会うまで

恋人を失った直後は、心の中に批判的な声が響く。「私が悪かった」「もっと愛せていれば」「魅力がなかったのではないか」。だが、加藤は『前を向きたくても向けない人』の中で、「心の回復とは、内面の声が『おまえはおまえでよかった』に変わること」だと述べている(加藤, 2025)。

その“優しい声”に出会えたとき、人は「恋を失ってよかった」と心から思えるようになる。それは、「愛されるために」ではなく、「愛さなくても大丈夫な自分」になれたからだ。


■ そして、もう一度、愛せる人になる

加藤は、“恋に敗れた人”が、ただ再び恋をするだけでなく、“以前よりも深く成熟した形で人を愛せるようになる”ことを「本当の癒し」と呼んでいる。

相手にすがるのでも、依存するのでもなく、ただ一緒にいたいと思うこと。そんな愛し方ができるようになるのは、失恋を通して“自分自身を育て直した人”だけに与えられる力である。


結びに:愛を失って、自分を手に入れた

「恋を失ってよかった」——そう思えるようになるには、時間がかかる。痛みを味わい、後悔し、自己否定をくぐり抜ける道のりが必要だ。しかし、その果てに見えるのは、「本当の自分」と「本当の人生」である。

他人ではなく、自分自身が自分の支えである人生。他者に愛されなくても、自己を失わない人生。それが、失恋の贈り物だ。

だから、あなたが「もう大丈夫」と思えたその日、きっとこう言えるはずだ。

「恋を失ってよかった。あの別れがあったから、私はようやく、自分を生き始めることができた」と。

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