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「何が幸福で何が不幸か」〜加藤諦三教授の視点から〜

2025.06.08

ショパン・マリアージュ

はじめに:「幸福とは何か?」――盲信ではなく、問いとして生きる

「幸福とは何か――そして不幸とは何か」。この問いは、古代ギリシャの哲学者から現代の心理学者に至るまで、あらゆる時代の思想家が真剣に向き合ってきたテーマです。私たちは日常生活のなかで、目に見えない不安や焦りと向き合いながら「幸せになりたい」と願っています。しかしながら、何をもって「幸せ」とするのか、その輪郭は曖昧で、かつ多様です。

加藤諦三教授(1938年〜)は、こうした幸福論に独自の視点を加え、日本人の心の奥底に眠る“無意識の不幸”と向き合うことの重要性を説いてきました。教授の思想の根底には、「人間はしばしば自ら不幸を選び取ってしまう存在である」という逆説があります。つまり、人は「不安から逃げたい」という衝動ゆえに、不幸な選択にしがみつき、やがてその不幸に依存してしまうのです。

たとえば、愛されないと知りながらも暴力的なパートナーから離れられない女性。あるいは、過労と自己否定を繰り返しながらも「成果」を求めて働き続けるビジネスマン。そこには、「自分を愛することの難しさ」と「他人に認められたいという渇望」が絡み合い、複雑な心の迷路が広がっています。

加藤教授は、『自分に気づく心理学』や『不幸な人は不幸であることに安心する』といった著作を通じて、「幸せな人とは、苦しみを避ける人ではなく、苦しみを受け入れ、それに意味を見出せる人である」と述べています。幸福とは、喜びだけでなく、不安・悲しみ・喪失といった“人間らしさ”を包括するものにほかなりません。

このエッセイでは、加藤諦三教授の視点を軸に、「何が幸福で、何が不幸か」を問う旅に出ます。大学受験の失敗から立ち直る学生、アルコール依存から抜け出せない中年男性、SNSの中で他人と比較して疲弊する若者……そうした具体的なエピソードと共に、幸福と不幸の境界を探っていきます。

現代社会に生きる私たちにとって、本当に必要な問いとは何か。そしてその問いが、どのようにして生きる勇気と希望を与えるのか。

このエッセイは、単なる“幸福論”にとどまらず、“問い”としての生き方を提示するものです。幸福とは、答えではなく、問いとしての生き方なのです。


第1章:幸福と不幸の概念整理

私たちは「幸福」を語るとき、しばしばその前提として「不幸ではない状態」を思い描きます。しかし、加藤諦三教授の論点は、幸福と不幸が二項対立ではなく、むしろ連続的であり、時に重なり合うものだとする視点にあります。

幸福とは何か。物質的に豊かであること、誰かに愛されていること、あるいは目標を達成した瞬間の達成感——これらはいずれも幸福の一側面ではありますが、教授は「持続的な幸福感」を得るには、それ以上に“自己の理解”と“受容”が欠かせないと述べています。

逆に不幸とは、「あるはずのものが欠けている」ことによって生まれる主観的な感覚であると指摘します。そしてその“欠け”は、必ずしも実際に何かを欠いているというよりも、「そう感じる」心理的構造に由来するのです。つまり、客観的に見て恵まれている人でも、自分を価値のない存在と感じれば不幸になりえる、というわけです。

たとえば、ある大学生が一流大学に合格し、周囲からは羨ましがられていても、本人は「親の期待を裏切れない」というプレッシャーに潰されているとします。この学生にとって、名門校への進学という“幸福の象徴”は、内面的には“不幸の源”となってしまっているのです。

また別の例では、長年勤めた会社で部長に昇進した男性が、突然うつ病を発症します。彼は外から見れば成功者でありながら、自分の本当の感情や欲求を抑え込む生活に疲弊し、「本当の自分」を見失っていたのです。このように、「何を得たか」ではなく「どう感じたか」が、幸福と不幸を分ける鍵となります。

加藤教授の言う幸福とは、「他者から与えられた価値基準」に振り回されず、「自分自身が納得できる生き方を選ぶこと」にあります。社会的成功や物質的所有を超えて、自分の感情と向き合い、自己一致を図っていくことが、真の幸福への第一歩となるのです。

第2章:不幸へのしがみつき

加藤諦三教授がたびたび指摘するのは、「人は不幸でいることで安心することがある」という逆説的な現象です。これは一見理解し難いように思えますが、心理的には非常に自然な行動であるとも言えます。

人は成長する過程で、幼少期に得た愛情体験や家庭環境を通して「自分の居場所」を学びます。もしその家庭環境が愛情に乏しく、自己否定的なものであったなら、その人にとって“傷ついている状態”や“無価値感を抱えている状態”が、逆に“安心できる居場所”としてインプットされてしまうのです。

例えば、幼いころに親から「お前はダメだ」「お前なんかにできるわけがない」と繰り返し言われて育った人は、大人になっても自信を持つことが難しくなります。仮に成功を手にしても、「自分にはそれを受け取る価値がない」と無意識に感じ、わざわざその成功を壊してしまうことさえあるのです。これは“自己破壊衝動”とも呼ばれるもので、自らの不幸にすがりつく心の動きの一例です。

ある中年男性のケースでは、アルコール依存から何度も抜け出そうとするものの、最終的には元の生活に戻ってしまうということが繰り返されていました。彼にとってアルコールは、家庭や職場での葛藤から逃れる唯一の避難所であり、同時に自己否定の象徴でもあったのです。飲酒によって仕事を失い、家族との関係が悪化していく中で、「やっぱり自分はダメな人間なんだ」と再確認することによって、彼は“安心”していたのです。

不幸へのしがみつきは、単に怠惰や意志の弱さによるものではなく、「変化への恐れ」と「知らない幸福への不信感」が背景にあります。今までの苦しい状態はたとえつらくても、“知っている世界”であるがゆえに、そこから離れることが却って不安なのです。

加藤教授は、「人は『幸福になる勇気』がなければ、どんなチャンスも無駄にする」と述べます。つまり、幸福とは与えられるものではなく、勇気を持って手にするべき“選択”なのです。これまでの不幸に安住し続ける限り、新しい幸福は決して訪れません。

第3章:不幸を受け入れることの意味

不幸は回避すべき“敵”であるという考え方が、多くの人々に根強く存在しています。しかし加藤諦三教授の視点では、不幸は必ずしも排除すべき対象ではなく、むしろ「幸福への扉を開く鍵」として機能する場合があるのです。真に幸せな人とは、不幸の経験を否定するのではなく、それを自己理解や成長の材料として受け入れることができる人だと、教授は説きます。

たとえば、ある女性が結婚生活の破綻を経験したケースを考えてみましょう。彼女は、結婚に強い理想を抱いており、夫婦の関係が破綻することは“人生の失敗”だと考えていました。しかし離婚後、カウンセリングを通じて自己理解を深め、自らが親の期待に応えるために「良い妻」を演じてきたことに気づいたのです。その結果、彼女は初めて「自分の人生を自分で選び取る」という自由と責任を実感することができたといいます。離婚という“不幸”が、むしろ「本当の幸福」への通過点となったのです。

このように、不幸を経験することによって、人は初めて自分の本当の欲求や価値観と向き合う機会を得ることがあります。悲しみや喪失は辛い体験ではありますが、その深さが人の感受性や共感力を育てる土壌にもなり得るのです。

また、ある青年が進学に失敗し、浪人生活を送る中で自らのアイデンティティを見つめ直した例もあります。彼は「良い大学に入ること」がすべてだと思っていましたが、予備校での時間を通じて、自分が本当にやりたいことや得意なことを再認識しました。大学に合格したその時点ではなく、「自分に問いを立てることができた時間」こそが、彼にとっての幸福への転機となったのです。

加藤教授は、「人間は不幸を通してしか真の自己に触れられない」とも語っています。これは決して不幸を美化するわけではありません。不幸な体験を無理にポジティブに捉える必要はないのです。しかし、その体験に意味を見出し、それを人生の一部として統合できるかどうかが、幸福感の持続性を大きく左右するのです。

現代では、SNSやマスメディアを通じて「常に明るく前向きでなければならない」という空気が蔓延していますが、それが逆に“弱さ”や“悲しみ”を否定する風潮を生み出しています。加藤教授の視点は、こうした社会的な圧力に一石を投じるものでもあります。人間である以上、不完全であり、揺らぎ、迷い、傷つく――それらを認めることこそが、幸福への確かな一歩なのです。

つまり、幸福とは、苦しみや不幸を排除することではなく、それらを「自分の一部」として迎え入れる成熟した在り方なのです。

第4章:幼少期と欲望

加藤諦三教授の理論において、幼少期の体験が人間の幸福感に与える影響は極めて大きいとされています。とりわけ、幼少期にどのような愛情を受け、どのような欲望が満たされたか、あるいは抑圧されたかという経験は、その人の生涯にわたる心理的傾向を形成します。幸福の感じ方もまた、この初期体験に大きく左右されるのです。

加藤教授は、人間が感じる“不足感”の多くは、幼少期の「満たされなかった欲望」に起因すると指摘します。この「不足感」は、やがて「他人に認められたい」「注目されたい」「優位に立ちたい」といった形で表出し、大人になってもなお埋められない穴として残り続けます。そして、その穴を埋めようと過剰な成果主義に走ったり、対人関係に依存したりすることで、むしろ不幸を招くという悪循環が生まれます。

ある男性の例があります。彼は企業のエリート社員として他人からは羨まれる存在でしたが、常に不安を抱えて生きていました。自分が何かで一番でないと、自分には価値がないと感じるのです。彼の幼少期をたどると、常に兄と比較され、「もっと頑張れ」「お兄ちゃんのようになれ」と言われ続けて育ちました。彼は「存在そのもの」を肯定される経験が乏しかったため、自己価値を“成果”に依存するようになったのです。

このような「条件付きの愛」は、本人に強い劣等感と自己否定感を残します。そしてそれは、大人になってからの人間関係にも影を落とします。恋人や配偶者に対しても、「こんな自分では愛されない」と無意識に思い込むため、相手の愛情を素直に受け取ることができず、関係が破綻してしまうこともあります。

加藤教授は、こうした問題を解決する第一歩として「自分の欲望に気づくこと」を挙げています。他人にどう思われるかではなく、「自分は本当は何を欲しているのか」「どんな感情を押し殺してきたのか」に気づくことが、真の自己理解につながるのです。

たとえば、ある主婦が家庭に尽くす一方で、心の奥底に「もっと自由に生きたい」「自分の夢を追いたい」という思いを抱えていたとします。しかし、それを「母親として失格」と捉えて自らを戒め続けてきました。カウンセリングを受けた彼女は、自分の中にある“認めてほしい”“自分を表現したい”という欲望に正直になることで、生き方を少しずつ変えていきました。家族との関係も、「犠牲」から「共生」へと変化していったのです。

幸福とは、自分の内側にある欲望を見つめ、それを健全に表現することによって得られるものです。幼少期に押し殺された欲求は、人生のどこかで必ず顔を出します。それを抑圧し続けるか、向き合うか――選択は私たちに委ねられています。

加藤諦三教授の言う「成熟した幸福」とは、欲望を否定するのではなく、それを理解し、コントロールし、時に手放すことで得られる深い心の平穏なのです。

第5章:劣等感と自己不在

劣等感という言葉は、誰しも一度は耳にし、また内心で感じたことがあるに違いありません。加藤諦三教授は、この劣等感こそが「幸福を遠ざける心の正体」であると鋭く指摘します。問題なのは、劣等感そのものではなく、それによって「自己を見失い、他者の基準に自分を合わせようとする心」だというのです。

人は誰しも、他人との比較によって自分の立ち位置を知ろうとします。これは社会的存在としての人間にとって自然な行動です。しかし、他者と比較することで生まれた「自分は劣っている」という認識が、その人の人格の中心に居座ってしまうと、自分自身の価値を見失い、「自己不在」の状態に陥ります。

ある高校生の例を見てみましょう。彼は周囲から「優秀な兄」と比較され続け、自分の努力が認められないまま育ってきました。兄と同じ高校、同じクラブ活動、同じ志望大学——すべて兄と同じ道を選んだものの、「自分らしさ」が何かを見つけることができず、進路選択の時期に強い無力感を覚えるようになります。このように、劣等感は「他者の人生をなぞる」ことで強化されていくのです。

加藤教授は、「劣等感を持つこと自体は悪くないが、それを否定しようとすることで人は本当の自分から遠ざかる」と述べています。つまり、劣等感を完全に消そうとするのではなく、それを認めた上で「自分の価値をどう見つけていくか」が重要なのです。

ある女性は、何度も転職を繰り返していました。どこに行っても上司や同僚と比較し、自分が劣っていると感じては職場を去るという悪循環に陥っていました。カウンセリングの中で彼女が語ったのは、「他人のように振る舞わなければ愛されない」という思い込みでした。彼女は、幼少期から「空気を読め」「波風を立てるな」と言われ続けて育ち、本来の自分を抑え込む癖がついていたのです。

このような「他者基準の人生」は、長期的に見れば大きなストレスとなり、自己評価の低下、無気力感、対人関係の回避などの問題を引き起こします。加藤教授は、こうした問題の根底にある「自己不在」に対して、「まずは自分の中にある声に耳を傾けよ」と呼びかけます。

幸福とは、比較によって勝ち取るものではなく、自分自身の存在を肯定するところから始まります。他人と違っていてもいい、自分にしかない強みがあっていい——この当たり前の真理を深く実感できたとき、人は初めて「自分として生きる」幸福を手にすることができるのです。

劣等感を抱くことは決して恥ではありません。しかし、その劣等感に振り回され、自分を見失うことこそが、不幸の大きな原因となります。加藤諦三教授の言葉を借りれば、「自分の内面と正直に向き合い、自分という存在を育てていく勇気」が、真の幸福への第一歩なのです。

第6章:「自分」を取り戻す勇気

幸福への道は、自己発見の旅でもあります。加藤諦三教授は、人が本当に幸福になるためには、「他人に評価される自分」ではなく、「本来の自分」を取り戻すことが必要だと語ります。しかし、そのプロセスは決して平坦ではありません。むしろ、勇気と覚悟を要する、内面との真摯な対話が求められる道なのです。

現代社会では、「こうあるべき」という価値観が溢れています。学歴、収入、結婚、マイホーム……いわば幸福のテンプレートとも呼べる基準が社会にはびこり、私たちは知らず知らずのうちに、それらの基準に自分を合わせようとします。そしてその過程で、「本当は何が好きか」「本当は何を望んでいるか」という自己の声を見失ってしまうのです。

ある男性の例を紹介します。彼は大手企業に勤め、安定した収入と社会的地位を持っていましたが、常にどこか虚しさを感じていました。彼は周囲の期待に応えることばかりに集中し、自分の感情や欲求を無視して生きてきたのです。ある日、突然の体調不良を機に休職を余儀なくされ、その中で「自分が何のために生きてきたのか」を深く問い直すことになります。

休職中、彼は学生時代に夢中になっていた音楽に再び触れ、ギターを弾き始めました。誰に評価されるわけでもなく、ただ自分のために奏でる音楽。彼はその時間を通して、「誰かのためにではなく、自分のために生きる」という感覚を初めて実感したのです。復職後は、仕事に対する姿勢も変わり、以前よりも穏やかで満ち足りた表情を見せるようになりました。

加藤教授は、「自分を偽って得た成功は、心を満たさない」と繰り返し述べています。これは、表面的な成功に酔いしれやすい現代人に対する痛烈な警鐘です。たとえ収入が少なくても、社会的評価が高くなくても、自分の心に正直に生きることで、人は深い満足と平穏を得ることができます。

「自分を取り戻す」とは、単なる自己主張ではありません。それは、周囲の価値観を一旦手放し、自分の感情や欲求に素直に向き合い、それを認めること。そして、たとえ不安があったとしても、「こうありたい自分」として一歩を踏み出すことです。

もちろん、それは時に孤独で、理解されない苦しみを伴うかもしれません。しかし、自分らしく生きるという行為は、やがて他者との関係にも好影響を及ぼします。ありのままの自分でいられる人は、他人にも寛容でいられるのです。

幸福とは、「自分に戻る勇気」を持ったときに開かれる世界です。加藤諦三教授の言葉を借りれば、「真の幸福とは、他人の期待に応える人生ではなく、自分自身を生きる人生の中にこそある」のです。

第7章:小さな喜びを見つける

幸福とは、常に劇的で華やかなものでなければならないわけではありません。むしろ、日常の中に潜む「小さな喜び」に気づく感性こそが、持続可能な幸福の核心だと加藤諦三教授は説きます。人はしばしば、目立った成果や大きな変化を追い求めるあまり、足元にある穏やかな幸福に気づかずに通り過ぎてしまいます。

たとえば、朝の光に包まれた静かな時間、一杯の温かいコーヒー、信号待ちのときにふと見上げた空の美しさ。これらは何の生産性も評価も生まないかもしれませんが、私たちの心をそっと癒やし、落ち着かせる力を持っています。

ある主婦の事例では、育児と家事に追われ、自己肯定感を失っていた時期に、毎朝ベランダで植物に水をやる習慣が生まれました。最初は義務的に行っていたその行為が、次第に楽しみとなり、やがて花が咲くことでささやかな達成感を得るようになりました。小さな営みの中にこそ、確かな「自分」が存在していることに気づいたと彼女は語ります。

加藤教授は、著書の中で「小さなことに喜べない人は、決して大きなことでも満たされない」と述べています。なぜなら、大きな喜びの多くは一時的で、また新たな欲望を生むきっかけになることが多いからです。それに対し、小さな喜びは日々の暮らしの中で繰り返され、心の中に穏やかな充足を育てていきます。

SNS時代において、私たちは他人の成功や幸福の演出を日々目にしています。その影響で、自分の生活が色褪せて見えることもしばしばです。しかし、他者と比較するのではなく、自分の感覚に正直に生きることが、真の喜びを見つけるための第一歩です。

また、小さな喜びに敏感になることは、感謝の心を育てます。「ありがとう」と思える対象が日常に多くなることで、自己中心的な思考から離れ、他者とのつながりも豊かになります。たとえ孤独を感じていたとしても、「今ここにあるもの」に目を向けられる人は、心の中に温もりを宿すことができるのです。

幸福は、外から与えられるものではありません。それは、自分の感受性と、ものごとの捉え方によって育まれていくものです。加藤諦三教授の言葉を借りれば、「幸福とは、外的状況ではなく、内的態度によって決まる」のです。

日々の暮らしの中にある何気ない瞬間を大切にし、それを慈しむ心こそが、私たちを深い幸福へと導いてくれるのです。

第8章:他者と共に生きる幸福

加藤諦三教授は、「人間関係の中でこそ、人は最も深く傷つき、また最も大きく癒やされる」と語っています。私たちはしばしば、「他人に振り回されたくない」「人と関わるのが面倒」と考え、孤立を選ぶことで自分を守ろうとします。しかし実際には、人は誰かとつながり、理解し合い、支え合うことでこそ、深い幸福を実感できる存在なのです。

たとえば、ある独居老人がいました。家族との関係は疎遠で、地域社会とも断絶していた彼は、常に孤独と不安を抱えていました。ある日、近所の小学生が「こんにちは」と声をかけてくれたことをきっかけに、彼は地域の清掃活動に参加するようになりました。最初はぎこちなかったものの、徐々に他人との交流が心を温め、やがて「生きていてよかった」と語るまでに変化したのです。

この例のように、「誰かの役に立てている」「必要とされている」と感じることは、存在価値の実感につながります。加藤教授は、「人は他人に貢献して初めて、自己肯定感を深めることができる」と述べており、実際、幸福感の高い人々は、しばしばボランティアや家族・友人との密な交流を重視している傾向があります。

また、他者との関係において重要なのは、「自分を偽らない関係性」です。他人に好かれるために自分を演じるのではなく、自分の感情や考えを誠実に伝えることで、信頼関係は築かれていきます。ある若い女性は、友人関係の中で常に「いい人」を演じてきましたが、心の中では虚しさを感じていました。カウンセリングを通して、自分の本音を伝える勇気を持つようになってからは、より深く満たされた関係性が築けるようになったと語っています。

さらに、他者を受け入れることは、自分自身を受け入れることにもつながります。他人の欠点を許せるようになると、自分の弱さにも寛容になれる。これは成熟した人間関係の基本であり、その中で育まれる共感と信頼が、私たちにとって最大の安心と喜びをもたらすのです。

幸福とは、自己完結では得られないものです。誰かと共に笑い、支え合い、そして時には涙を流す——そうした共有された感情の中に、人生の豊かさが宿ります。加藤諦三教授の言うように、「本当の幸福は、他人と深く関わることを恐れない心の中にある」のです。

第9章:「幸せは決断から始まる」

加藤諦三教授は、「幸せとは偶然訪れるものではなく、自分自身で決断するものだ」と明言しています。幸福を願うだけでは何も変わりません。大切なのは、「幸せになることを選び取る勇気」を持つことです。つまり、幸福とは“決断の産物”であり、その選択こそが私たちの人生を根底から変えていくのです。

人は変化を恐れます。たとえ今が不満だらけでも、それが「慣れ親しんだ不幸」である限り、そこにとどまってしまう心理が働きます。しかし、現状を受け入れてしまえば、心は成長を止めてしまう。幸せになるには、まず「今のままではいけない」と気づき、変わることを決意しなければなりません。

ある女性は、長年DVに悩まされながらも離婚を決意できずにいました。理由は「経済的に不安だから」「世間体が気になるから」でした。しかし、カウンセリングを通じて、「本当に怖いのはこの生活を一生続けることだ」と気づき、ついに離婚を決断します。彼女はその後、仕事を始め、自立の道を歩みながら「自分で選んだ人生」を生きている実感を得るようになりました。

決断には痛みを伴います。それは今までの自分を手放すことでもあり、不確実な未来に身を投じることでもあるからです。けれども、加藤教授は「不安があるからこそ、人は自由になれる」とも述べています。幸福な人生とは、不安を消すことではなく、不安を抱えながらも“より自分らしい道”を選ぶことに他なりません。

また、「幸福になる決断」とは大きな人生選択に限りません。日常の些細な選択——たとえば、誰かに「ありがとう」と言う、仕事を早めに切り上げて家族と過ごす、心の声に従って休む——そうした小さな行動もまた、「自分を大切にする」という決断です。

幸福とは環境の産物ではなく、態度の産物です。どんな状況であっても、「幸せになる」と決めることができるかどうか。それが、人生の質を決める最大の要因なのです。加藤諦三教授の哲学が示すのは、幸福とは待つものではなく、「自分自身の手で始めるもの」であるという真理です。

第10章:幸福論の現代的意義

加藤諦三教授の幸福論は、単なる個人の内面的問題にとどまらず、現代社会全体に警鐘を鳴らすものでもあります。物質的には豊かになった一方で、精神的な疲弊が進み、自分の価値を見失ってしまう人が増えている現代において、教授の提言は一つの羅針盤となるのです。

私たちが生きる現代社会では、SNSや広告、マスメディアを通じて「こうあるべき」という理想像が日々刷り込まれています。常にポジティブで、成功していて、社交的で、健康的でなければならないというプレッシャーは、人々から自然体で生きる余地を奪っていきます。そして、その理想像とのギャップに苦しみ、幸福感を喪失する人が後を絶ちません。

加藤教授の幸福論は、そうした外圧から自由になるための思考を提供してくれます。それは、「自分をよく見せること」ではなく、「自分を正直に見つめること」への転換です。外的基準による幸福の評価から、自分の内面の充足へと重心を移すことで、初めて本当の意味での幸福が見えてくるのです。

また、加藤教授は教育や社会制度の在り方についても示唆を与えています。子どもが小さな頃から「評価されること」ばかりに晒され、他人の視線に怯えて自己肯定感を育めない環境が、将来の不幸の種をまいていると指摘します。学校教育や家庭教育において、「そのままのあなたでいい」と伝えられる経験が、どれほど大切であるかは想像に難くありません。

企業文化や職場の人間関係もまた、幸福と密接に関わっています。加藤教授の視点を職場に応用すれば、成果主義だけでなく、共感・協力・安心といった価値がもっと重視されるべきだという結論に至ります。生産性や競争よりも、「人間としての尊厳」が守られることが、働く人々の幸福につながるのです。

そして何より、現代に生きる私たち一人ひとりが、社会の風潮に流されることなく、「自分にとっての幸福とは何か」を問い続ける姿勢を持つことが求められています。他人の基準ではなく、自分の感覚、自分の価値、自分の真実に耳を傾けること。幸福は、その問いかけの中にしか存在しません。

加藤諦三教授の幸福論は、外部条件に振り回されることの多い現代において、「自分自身に戻る」勇気を与えてくれます。社会全体が幸福を目指すならば、私たちはまず一人ひとりが「何が幸福で、何が不幸か」を自分の言葉で語れるようになる必要があるのです。

 

第11章:結びに――「何が幸福で何が不幸か」を問い続ける生き方へ

ここまで、加藤諦三教授の視点をもとに「幸福とは何か」「不幸とは何か」について多角的に考察してきました。幸福は決して一義的なものではなく、人の数だけその形があり、さらに同じ人であっても、人生の局面によって感じ方は大きく変化していきます。

加藤教授の幸福論の核心にあるのは、「他人の期待に応える生き方から、自分の真実に耳を傾ける生き方への転換」です。それは、ときに不安を伴い、時代や社会の空気に逆らう行為にもなるかもしれません。しかし、だからこそ意味があり、その中にこそ人間としての成熟と自由があるのです。

不幸から逃げようとするのではなく、不幸と共に歩む覚悟を持つこと。劣等感や不完全さを抱えたまま、それでも自分を受け入れ、他者とつながり、小さな喜びを慈しむこと。そうした地に足のついた幸福観こそが、私たちを人生の荒波から守り、真の満足感をもたらしてくれるのではないでしょうか。

結局のところ、幸福とは「状態」ではなく「姿勢」であり、「持っているもの」ではなく「見つめ方」であり、「答え」ではなく「問い続ける意志」なのです。たとえ完全な答えが出なくても、自分自身に正直に、誠実に問い続けるそのプロセスこそが、生きる意味を育てていきます。

本稿が、読者一人ひとりにとって、「自分にとっての幸福とは何か」を見つめ直すきっかけとなることを願ってやみません。そして、あなた自身の幸福を、あなた自身の言葉で語る勇気を持つことができるよう、加藤諦三教授の思想がその助けとなることを心から願っています。

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