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女性たちの憧れの王子様 メンデルスゾーン

2024.02.25

ショパン・マリアージュ

19世紀ロマン派の巨星たちがきら星のごとく輝く、クラシックの歴史上、最も華やかな時代の幕開けである。作曲家は芸術家として認められるようになり、現代に近い演奏会の仕組みや指揮者・オーケストラのあり方が徐々に出来上がっていく。過去の作曲家の名作を演奏会でとりあげるようになるのも、この頃からである。

19世紀を語るその前に、ショパン、シューマン、リストらとほぼ同世代でありながら、ロマン派になりきらず、後に新古典主義と呼ばれるようになった作曲家がいる。メンデルスゾーンである。メンデルスゾーンはバッハやモーツァルトの音楽を敬愛し、ひと昔前の音楽手法を大切にした、ある意味保守的な男だった。

メンデルスゾーンの生い立ちは、クラシック音楽の作曲家の中では、相当に変わっている。1809年、ドイツのハンブルグで、裕福なユダヤ人家庭の長男として生まれ、2歳の頃、家族とともにベルリンへ移住して、そこで育った。祖父は高名な哲学者、父は成功した銀行家、母は大実業家の娘にして音楽の才能に恵まれた教養人という申し分のない家庭に生まれた。

しかも、広大な敷地内にある館には音楽会が行える大広間がいくつもあり、そこでは頻繁に演劇や音楽会が行われていて、メンデルスゾーンは幼い頃からそれらにふれて育った。貴族ではないけれど正真正銘のお坊ちゃん。こんな人は、それまでの作曲家の中には一人もいない。

両親がメンデルスゾーンに与えた教育がまたすごかった。父親がさまざまな分野の優秀な専門家を家庭教師として雇って、子供たちに学ばせたのである。ドイツ語、フランス語、イタリア語、ラテン語、ギリシャ語、英語などの言語、文学、数学をはじめ、体操や乗馬、さらに、図画、舞踏、音楽といった芸術分野に至るまで、どの教科も最高の教育者がそろっていたという。メンデルスゾーンは朝5時にはたたき起こされて、ハードなスケジュールで勉強に追われる日々を送っていた。

音楽の方は、情操教育の一環として、子供たち全員に理論、声楽、ピアノが教えられた。最初に子供たちにピアノのレッスンをしたのは、メンデルスゾーンらの母親だったという。早くから音楽でケタ違いの才能を発揮していたメンデルスゾーンは、さらにヴァイオリンとヴィオラも学び、8歳からは、ベルリン・ジングアカデミーという市民合唱団の監督でバッハの崇拝者だったカール・フリードリヒ・ツェルターという当時一流の作曲家を家庭教師にし、10歳前後からすでに作曲を始めていた。
極めつけは、メンデルスゾーン家にはお抱えのオーケストラがあったこと。このため、メンデルスゾーンは10歳の頃に作った作品をそのオーケストラで試演してみることができたという。

ちなみに、メンデルスゾーンの才能は音楽にとどまらなかった。すでに12歳で喜劇を執筆、画才もあって若い頃から素晴らしい風景画をたくさん描いている。

それでもメンデルスゾーンの父親は、当初、大事な長男を芸術家にするつもりはさらさらなかった。なんといっても大事な跡取り息子。ちゃんと銀行家になってもらうつもりだったようだ。このあたりが、父親が何とか息子を稼げる音楽家にしようと躍起になったモーツァルトやベートーヴェンの家庭と完全に異なるところ。メンデルスゾーンも子供の頃からたびたび人前で楽器を演奏したけれど、御礼の金品は一切受け取らなかったという。やっぱり、本物の金持ちは違う。だいたい、子供の頃のメンデルスゾーンの宝物が、お婆様からもらったバッハの「マタイ受難曲」のスコア譜だったというから、一般の家庭ではあり得ない話だ。

こうして、ほかの作曲家からしてみれば夢のように恵まれた環境で育った早熟の天才は、15歳で交響曲第1番を作曲した。さらに、メンデルスゾーンが16歳の頃から住んだベルリンの家は、庭に何百人も収容できる音楽堂があって、そこでメンデルスゾーン家の人々は日曜日にたびたびコンサートを開いていた。演奏会にはベルリンの名士や当時活躍していた音楽家たちが大勢集まったという。

やがて20歳になったメンデルスゾーンは、当時あまり一般に知られていなかったバッハの「マタイ受難曲」をベルリン・ジングアカデミーで復活公演することを企画する。いくつもの困難をかいくぐり、1829年、自ら指揮をして歴史的大成功を収め、世間に忘れられかけていたバッハの名前を世界的に復活させるという偉業を成し遂げる。こうして若き天才指揮者・メンデルスゾーンの名前はヨーロッパ中に響き渡り、メンデルスゾーンはブルジョワ階級の好青年にして注目の若手新進音楽家という、とても珍しい、特別な存在になった。

実際のメンデルスゾーンはすらりとした体格で、上品でおっとりとした顔立ち、気品漂う物腰、明るい性格で、基本的に真面目だけれど、活発で適度に遊びもこなすタイプだったという。あえて難癖をつけるなら、あまりにもバランスがとれていたため、ちょっぴり男としての面白みに欠けていたと言えなくもない。だけど、これほどすべてがそろった富豪の長男を女性たちが放っておくはずもなく、当時メンデルスゾーンは、若い女性たちの間で憧れの王子様的存在だった。

ここまで見る限り、メンデルスゾーンに不幸の影は一切見当たらないけれど、子供の頃から、ユダヤ人であったために迫害を受けることはあった。音楽家としても、ユダヤ人であることが活動の障害になることがあったようで、あのワーグナーなどは後にあからさまにメンデルスゾーンに対して嫌がらせをしているのだから、まったく困ったものだ。

メンデルスゾーンの作品は、代表作である「真夏の夜の夢」やヴァイオリン協奏曲のように、古典派的均整のとれた、明朗でよどみない美しさに満ちている。そのあたりが、人間の悲しみやドロドロしたところを表現したり、新しい音楽を作ろうとした、ショパン、ワーグナー、ベルリオーズら、同時代のほかのロマン派の作曲家たちとひと味違うところだった

 また、メンデルスゾーンは1835年、26歳の時にライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の監督に招かれて以降、亡くなるまでその地を中心に活躍を続けた。メンデルスゾーンはオーケストラという組織を整え、団員たちの労働環境を改善し、わずかな間に同楽団をヨーロッパ有数のレベルに育て上げている。それまで作曲家が片手間にやっていた指揮者の役割を独立させ、明確にしたのもメンデルスゾーンの大きな功績だし、作品はやや保守的でも、メンデルスゾーンは新しい道を切り拓く進歩的なところもちゃんと持ち合わせていた。

良家の子息にして秀才、しかも愛情あふれる教養豊かな母親と厳格で真面目な父親にしっかり育てられたメンデルスゾーンだから、当然、女性関係もキレイでそつがない。

1831年、22歳でミュンヘンを訪れた時、姉のファニーに書いた手紙に「昨夜、ちょっとした恋愛遊びをして」といった記述がある。この時のお相手は、デルフィーネ・シャウロートというまだ17歳のピアニストだった。二人は以前にも一度会っていて、メンデルスゾーンは前年から書き始めていたピアノ協奏曲第1番をその地で仕上げ、バイエルン国王が臨席した慈善演奏会で自ら指揮し初演している。この時ピアノ・ソロを担当したのがデルフィーネで、この作品はデルフィーネに贈られた。

若き二人の共演に大喜びだった国王は、「余が仲人を務めるから、二人は結婚したらどうだ?」とのたまったそうだが、メンデルスゾーンは丁重に断ったという。でも、ファニーへの手紙に「ちょっとした恋愛遊び」と書くところを見ると、多少のロマンスはあったのだろう。

その後は浮いた話もほとんどなく、メンデルスゾーンは次に本気で好きになった女性と結婚することになる。その出会いは1836年、27歳の時だった。お相手は、メンデルスゾーンがフランクフルトの親戚の家に滞在していた時に紹介された娘で、名前はセシル・ジャンルノー。牧師の娘で、父親を早くに亡くし、若く美しい夫人に育て上げられた。年はメンデルスゾーンの8歳年下で、教会の合唱団に所属する美少女だったという。

実は、メンデルスゾーンがジャンルノー家に出入りするようになって、最初にその仲を噂されたのは若く美しいとはいえ、すでに40を過ぎていた夫人の方だったという。メンデルスゾーンはすでに超有名人だったから、日に日に親しくなっていくものの、まさか自分が本気で愛されているとは思っていなかったようだ。どんどんのめり込んでいったのは、メンデルスゾーンの方だったと言われている。

でも、冷静沈着なメンデルスゾーンは、感情に任せてぱぱっと結婚を決めたりはしない。いよいよ二人の関係が盛り上がってきたところで、いかにもメンデルスゾーンらしい行動に出た。それは、一定期間セシルと離れて自分の気持を確かめてみる、というものだった。こうしてメンデルスゾーンは約1ヶ月の旅に出て、自分は本当に彼女が好きなのか自問自答したという。なんという手堅さ! なんという生真面目さ! 結局、旅から帰ったメンデルスゾーンはセシルに結婚を申し込む。セシルの方は驚きつつも申し出を喜んで受け入れ、二人は1837年3月にフランクフルトで結婚式を挙げた。メンデルスゾーン28歳の春だった。

ところが、この式にメンデルスゾーンの親戚で出席したのはフランクフルト在住のおばさんただ一人。母親も(父親はすでに他界)、姉妹も弟も、誰ひとり出席しなかった。富豪の長男の結婚式にしては、あり得ない状況だ。母親は旅行嫌いで有名だったそうだが、とても仲が良かった姉のファニーも、妹のレベッカも出席していないのはおかしい。

 

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